新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

帰宅困難者(その2)

2014年09月03日 09時42分32秒 | 身辺雑記

Img_1950s

(平成23年3月12日午前4時30分国際フォーラム )

  有楽町駅から東京駅を目指して歩いた。多くの人たちが一緒だった。

  20分ほどで東京駅に着いた。

  駅前には人の渦が出来ていた。特にバス停は長蛇の列。

  案の定、新幹線も電車もすべてストップ。すでにどの改札口もオープンになっていた。

  何処であったか記憶は薄れているが、改札を入ったところで、テレビを見ている人たちがいた。遠くから、津波らしい映像が見えた。みんな真剣な眼差し。

  家に連絡しようと思い、携帯電話をしたが、まったく繋がらず。諦めた。

  「よし、腹ごしらえ!」

  いつも見ている「おにぎり屋」では、まだ商売をしていた。さほどの人だかりもなかった。

  おにぎり3個とお茶のボトルを1本買って、床に腰を下ろして食べた。あとで振り返ってみて、この判断がとてもよかった。

  構内アナウンスが、大地震と大津波を報じ、新幹線や近郊電車が走らないことを告げていた。

  多くの人たちが、身を寄せるようにして床に座った。誰かが段ボールを見つけて来て、その上に譲り合いながら座った。

  左隣りには、二組の老夫婦。右隣には中年の女性。

  あちらこちらから、お土産ものらしい『甘いもの」が配られてきた。

  すべての人たちは、とにかく静かだった。声を荒げる場面はなかった。ひたすら、肩を寄せ合って座っていた。なんと素晴らしい日本人!

  携帯電話が鳴った。娘からであった。

  「今、何処!?」

  「東京駅だよ」

  「みんな心配してるのよっ!」

  えらい剣幕だ。幾度も幾度もかけていて、やっと繋がったらしい。

  妹からも電話があり、同じようなやりとりをした。

  まだまだ続くのだが、とりあえずはこのくらいにして、物語は閉じることにしたい。

  翌日未明の三時ごろ、旧都庁跡に建った「国際フォーラム」に移動させられた。東京駅にしてみれば、「帰宅難民」を置くつもりはなかったらしい。

  仕方がないから移動しようという段になって、右隣の中年女性が小さな声で言った。

  「私ひとりでは怖いので、どうぞよろしくお願いします」

  つまり、ナイトになって欲しいという依頼だった。携帯電話の番号を交換し、はぐれたら連絡し合うことにした。運良く一緒に移動できたのだが、はぐれた時、果たして電話が通じたろうか。頼りない老ナイトだった。

  2日の朝7時ごろ、JR線が動いた。

  昼前に家に着いた。

  そのころ、中年女性から、無事に家に着いたむねの電話があり、お礼を言われた。

  ざっくり言えば、そのような『帰宅難民」顛末記だった。

  反省点は幾つもあった。しかし、まだ実行していない。

  それにしても、『静かな日本人」をしっかり目撃できたし、意外に私も冷静であった。

  多くの人々が連帯しながら、事態を甘受し、推移を冷静に見守っていた。

  ご先祖から引き継いだ日本人のこの特質をベースにしながら、次なる国作りをすれば、より素晴らしい日本を構築できるのではなかろうか。

  理不尽な「反日」ののろしも、いつの日か消滅するに違いない。

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする