上の写真は、昨年10月撮影の晴れた日の奥日光。
ここのところ、何によらず中途半端になってしまった。
2~3年来の傾向ではあったのだが、今年の4月ごろから、その傾向がひどくなった。
加齢と言ってしまえばそのとうりかもしれない。しかし私自身としては、そこに逃げ込んでしまうことに抵抗はあった。
意欲減退のきっかけはあったのだ。今年の4月に寝込んでしまったことだ。春風邪をこじらせ、副鼻腔炎になってしまい、40度近い高熱が続いた。
その結果、幾日間かの意識障害を起こしてしまった。つまり、今の私には、その数日間かの記憶が飛んでいる。
家族は大いに驚き、認知症になってしまったと思ったようだ。
症状が治まってから、その方面の診察を受けさせられた。幸いなことに認知症ではなかった。高熱による「なんとか」という状態を引き起こしたらしい。
現在、その「なんとか」という状態はないが、それをきっかけとして、なにやら「中途半端病」が一層ひどくなったようだ。「怠惰癖」が一層つのったようだ。
その一つとして、ブログを書かなくなった。それは1~2年来の傾向ではあったが、怠け癖がさらに進展してしまったのだ。
ゴルフもしなくなった。もともと練習は嫌いだったのだが、このごろは、ラウンドを誘われても断るようになっていた。とにかく億劫になったのだ。
俳句への意欲も、大いに減退してしまった。もともと高齢になってから勉強を始めたため、上達のスピードに期待はしていなかった。それにしても、なかなか上手くならない。才能の乏しさを実感させられた。「見切り時かなァ」と思ったりもしている。結社としても、やはり清新な人材を求めているに違いない。そんなことも感じているのだが、これはヒガミだろうか?
写真撮影からも遠ざかってしまった。4月以来、孫を写す以外にはカメラを持っていない。
囲碁からはすっかり遠のいてしまった。「ウデ」のほうもガタガタになってしまったに違いない。
相変わらず読書欲だけは活発だ。「買う」と「読む」が熾烈な競争をしている。「電子書籍」の導入を考え始めている。売っても売っても本が部屋中から攻め立ててくる。
いずれにしても、このような状況を永く続けているわけにはいかない。老化の速度をさほど早めたくないのだ。いや、老化が早まるのはいいが、周囲に苦労をかけたくない。
いまのところ、胃がんも腎臓がんも再発していないし、転移もしていない。
死ぬときには周囲の迷惑を極小にしたいと思っている。つまり、「ピンピンコロリ」を願っている。そのためにはいかに生きて行くべきか?これはなかなか面倒なテーマなのだ。
介護の手間を極小とする方策をピンピンコロリ以外に求めるとしたら、癌がいいのかなァと思ったりもしている。
思わぬ方向へペンが走ってしまった。
今日のテーマは「死に方」の問題ではなく、「生き方」の問題であったはずなのに。
「何か」を捨て、「何か」に一層の意欲を注ぐことに、カーブを切る必要があるのかもしれない。さもないと、すべてが中途半端になりそうだ。