一般論で言えば、歳を重ねれば重ねるほど、頑固になると言われている。
頑固とは、頑なになり、説を曲げないことだ。言い出したことは曲げない。曲げられない。
これはよく分かる。つまり、柔軟性がなくなってきたということだろう。私にも当てはまりそうに思う。
一方では、老成して円熟味が増すと言われたりする。
判断の基準は、加齢とともに、変化があるだろうか。
私は変化してきているように思えてならない。
甘くなったか、それとも辛くなったか。総じて言えば、甘くなったのではなかろうか。
たとえばの話で言おう。
電車の中での携帯電話。
車内のアナウンスでは、「優先席付近では電源を切って下さい」、「そのほかの場合、マナーモードに切り替え、通話はお控え下さい」と、繰り返し言っている。
仮に、「優先席付近では電源を切って下さい」の例で言えば、以前なら、メールをしている人に注意したこともあった。
しかし今は見て見ぬふり。注意をしない。時には不愉快だから、席を立ってしまう。
甘くなったと言えそうだ。
理由は幾つかある。
① 逆ねじを食わされるのがイヤ。怖い。「触らぬ神に祟りなし」と いう気持ち。
② すっかり馴れた。気にならなくなった。鈍感になったということ。
③ 諦めた。莫迦には何を言ってもダメ。②に近いのだが、諦観と言えそう。
そのようなこともあって、この頃は注意もしない。
少しずつ気にならなくなってきた。
つまり、判断基準が甘くなってきたのだ。
そんな私だが、②ではないと思っている。①と③かもしれない。
他の例においても、そのような変化があるだろうか。
加齢と判断基準について、この頃、妙に気になっている。
政治に関しては、諦めないつもりだが。
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