昭和20年の8月15日。
日本は敗戦の姿で、戦争を終結させた。
8月6日、広島に原子爆弾。
8月9日、長崎に原子爆弾。
8月9日の夜、突如としてソ連が満州に侵攻してきた。
もうとっくに勝てるはずのない戦いだった。
8月14日夜の11時、日本はポツダム宣言を受諾した。
そのことを全国民に知らせるため、翌15日の正午に、天皇の玉音放送となった。
私たちはその玉音放送によって、敗戦を知ることとなった。
その日をもって戦争が終結したと思った。しかし、ソ連の侵攻は止まらなかった。
9月2日、東京湾に停泊のアメリカ戦艦ミズーリ号の艦上において、降伏文書の調印が行われた。
ここで初めて、形式の上においても、戦争が終結した。ソ連の侵攻が止まった。
当時の軍国少年だった私たちは、詳しい経緯を知るはずもなかった。
後日に明らかにされたことなどから、細々と勉強をすることで知った。
そんな私にとって、8月は叫びと悲しみの季節となった。
今もその感覚に支配されているかもしれない。
こんな無謀な戦争を始めたのはなぜか。
なぜ勝てなかったのか。
なぜもっと早く終わらせられなかったのか。
「なぜ」の幾つかについて、それなりの答えが得られてはいる。
しかしすべてに、納得できているわけではない。
まだまだ勉強をしなければならない。
それらの「なぜ」が原点となって、今日の私がいるのかもしれないから。
何も知らずにいた私たち。まるで蝉の抜け殻みたいだったのだ。
しかし、そのまま退くわけにはいかない。
抜け殻にも抜け殻の矜持がある!
空蝉の姿のままで退かず 鵯 一平
(うつせみのすがたのままでしりぞかず)
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