新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

抜け殻の矜持

2009年08月04日 06時46分07秒 | 写真俳句・エッセー

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 昭和20年の8月15日。

 日本は敗戦の姿で、戦争を終結させた。

 8月6日、広島に原子爆弾。

 8月9日、長崎に原子爆弾。 

 8月9日の夜、突如としてソ連が満州に侵攻してきた。

 もうとっくに勝てるはずのない戦いだった。

 8月14日夜の11時、日本はポツダム宣言を受諾した。

 そのことを全国民に知らせるため、翌15日の正午に、天皇の玉音放送となった。

 私たちはその玉音放送によって、敗戦を知ることとなった。

 その日をもって戦争が終結したと思った。しかし、ソ連の侵攻は止まらなかった。

 9月2日、東京湾に停泊のアメリカ戦艦ミズーリ号の艦上において、降伏文書の調印が行われた。

 ここで初めて、形式の上においても、戦争が終結した。ソ連の侵攻が止まった。

 当時の軍国少年だった私たちは、詳しい経緯を知るはずもなかった。

 後日に明らかにされたことなどから、細々と勉強をすることで知った。

 そんな私にとって、8月は叫びと悲しみの季節となった。

 今もその感覚に支配されているかもしれない。

 こんな無謀な戦争を始めたのはなぜか。

 なぜ勝てなかったのか。

 なぜもっと早く終わらせられなかったのか。

「なぜ」の幾つかについて、それなりの答えが得られてはいる。

 しかしすべてに、納得できているわけではない。

 まだまだ勉強をしなければならない。

 それらの「なぜ」が原点となって、今日の私がいるのかもしれないから。

 何も知らずにいた私たち。まるで蝉の抜け殻みたいだったのだ。

 しかし、そのまま退くわけにはいかない。

 抜け殻にも抜け殻の矜持がある!

   空蝉の姿のままで退かず   鵯 一平

   (うつせみのすがたのままでしりぞかず)

 別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いております。

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コメント (11)
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