同じ死ぬにも、「死に時」があるのだそうです。
それを逃がすと、やはり悲惨な思いをするらしい。
しかしそんなことを言われても、自分で選べるわけではありません。
神さまがお決めなさること。
だから困るのですね。
「死ぬこと」は「虚空へ旅立つこと」。
文筆家も医師も宗教家も、そのようなことを言っておりましたっけ。
死ぬ瞬間、身体から魂がすーっと抜け、天井あたりから自分を眺める。
周囲の状況も客観的に見ることができる。
これは立花隆氏の「臨死体験」です。
その後、新たなる進化に向けて、次の旅へ向かうのだそうです。
「新たなる進化へ向けて」ということ、私は特に好きです。信じたいとも思います。
人間は生まれ替わりながら、「人」の進化に関わって行く。
「生まれ替わり」を信じてのことですが、「新たな進化に向けて」という点、納得できます。
だって、動物も植物も、進化の結果として現在があるのですから……。
「生きた証し」を携え、「死んだ後」は「新たな進化」に向けて「生まれ替わる」。
福島大学経済学部の飯田信彦助教授も、同じような説を書物にしておりました。
元気の出る話ではありませんか。
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