英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

百田氏の書籍「日本国紀」は日本社会の右傾化を映す   コピペ、パクリ疑惑で話題になっているベストセラー

2019年01月14日 22時02分27秒 | 書籍紹介と書評
 作家の百田尚樹氏が昨年11月に刊行した「日本国紀」をめぐって、無断引用疑惑や歴史の事実誤認などに対する百田氏ファンとアンチ百田氏派との批判の応酬が激しくなっている。この書籍を批判する人びとの中には、この本を客観的に批評する読者がいる。それも事実だ。
 この書籍に批判の矛先を向ける読者は、「日本国紀」の内容自体よりも倫理面を問題にする。引用元を明記せず、歴史上の誤記を後の刷で「こっそり」手直ししているとみられる姿勢を非難する。そして百田氏や、この書籍の編集責任者でジャーナリストの有本香氏が感情的なまでに反論しているのが目を引く。
  一方、百田氏を賞賛する読者は「感動した」「教科書にない史実を理解できた」「ベストセラー作家の本」といささか主観的だが、「読みやすい」「わかりやすくてスッと頭に入ってきました」との書評も多数ある。確かに、私も読んでみてわかりやすかった。
 私は「日本国記」の刊行を知っていたが、買おうとは昨年暮れまで考えなかった。百田氏にはたいへん失礼だが、年金をはたいてまでこの本を買おうと思わなかったからだ。
 彼自身のツイッターや書籍「今こそ、韓国に謝ろう」、「虎ノ門ニュース」での話で、百田氏の歴史観を理解していた。今回も、500ページにも及ぶ彼の労作を通して自らの歴史観を吐露するだけに終始するだろうと推察した。つまり歴史書ではなく、歴史観感想書だと思った。
 偶然、インターネット上で、「日本国紀」が「コピペ書籍」だとする読者の批判の声を聞き、そこから歴史愛好家とみられる方が管理している「論壇net」に行き着いた。このサイトは「日本国紀」を「コピペ」書として、著者、百田氏を批判している。
 「論壇net」の管理者や投稿された方々には失礼だと思ったが、これが事実かどうかを確かめたいと思い、初版(1刷)本を買いに近くの書店に走った。
  私が買うまでには「日本国紀」はベストセラーになっており、8刷まで積み上がっていた。初版があるかどうか心配だった。しかし幸いにして1刷が手に入った。次に、1刷の誤記などが訂正された5刷以降の書籍を手に入れたいと思い、アマゾンから購入した。ネットなら最新刷が注文できると考えたからだ。しかし1刷が送られてきた。「しまった」と思ったが、後の祭りだった。
 3日前、東京での会合に出席途上、都心の大型書店に立ち寄った。店員に「直近の刷があるか」と尋ねた。「7刷があります」とのことで、これを買った。余談だが、「日本国紀」を3冊も買い、百田氏にずいぶん貢献したなあ、と自嘲している。
 「日本国紀」の1刷を完読した。明らかにウィキペディアなどから文章をコピーしている無断引用箇所が多々あった。「論壇net」の投稿者の指摘通りだった。また誤認している歴史事実を後の刷で書き換えている。これを1刷と7刷を比較して確認した。「論壇net」の指摘通りだ。
 一例を上げれば、1刷の435ページと450ページの「コミンテルン」の語句だ。正解は「コミンフォルム」だ。1919年から1943年まで存在した、共産主義世界革命を目指す国際運動組織「コミンテルン」は、1947年の米ソ冷戦初期に「コミンフォルム」と衣替えした。
 408ページ以降は終戦(1945年8月)から5~6年間の歴史を記しており、450ページは明らかに1947年以降の記述だ。
 1刷の450ページに記された「コミンテルン」は、7刷では「旧コミンテルン」(「コミンフォルム」が正解であり、この記載も不正確)と書き換えられている。しかし、435ページの「コミンテルン」は「コミンフォルム」と書き換えなければならないのに、7刷でもそのままだ。歴史をあまりしらない読者を混乱させることになるだろう。
 また、仁徳天皇の逸話(1刷、52~53ページ)は1991年12月に大阪新聞(2002年休刊)夕刊に歴史研究家の真木嘉裕氏によって掲載されたものの転載だ。誰が見ても転載だと理解できる。第7刷では「真木嘉裕氏の物語風の意訳を参考に要約して紹介しよう」の文が追記されている。5刷で書き換えた、と「論壇net」は記す。
 「日本国紀」はインターネット百科事典「ウィキペディア」からのコピペが多々あり、書籍からの無断引用も見受けられる。
 講談社から2012年に時岡敬子さんに訳され、出版された「イザベラ・バードの日本紀行(上)」(原題:Unbeaten Tracks in Japan)。その484ページと、日本国紀の279ページはほぼ同じ文章だ(詳細は「論壇net」のhttps://rondan.net/5784を参照)。
 さらに、1刷の149ページで記されている「ルイス・フロイス」の史料についての記述が、読者から「フランシスコ・ザビエル」の史料ではないかとの指摘を受ける。私は1刷で確認した。
 百田氏側は7刷で、この間違えを「フランシスコ・ザビエル」に手直ししている。「論壇ネット」によれば、これは5刷で書き換えられているという。しかし「本国のイエズス会から書き送った」は「ゴア(インド)のイエズス会」の間違いであり、いまだ訂正されていない。
 保守派の論客として有名な現代史家の秦郁彦氏は毎日新聞のデジタル紙面(2019年1月10日)で「欧米の場合、学術著作は当然として、一般の歴史書でも注や索引をつけるのが常道になっていますが、日本の場合はあまり定着していません。・・・百田さんも、せめて他人の説を利用、引用をした場合は、著者名と表題を示すべきと考えます。それは先人への敬意を払う『儀礼』でもあるからです」と語る。
 一方、百田氏は11月20日のネット番組「虎ノ門ニュース」で「一番腹が立ったのは、百田のこの本は、ウィキペディアからパクってコピペしとると。・・・山のように資料をそろえた。そのなかにはね、ウィキペディアもそりゃあるよ。そりゃウィキペディアからいんようしたものとか、かりたものとかある。でもそんなもんは・・・まぁウィキペディアから借りたものはなんていうものは原稿用紙になおすと、まぁ1ページ分か、せいぜい2ページあるかないか。・・・これも、これもって、ですね、それもね、大半が、それ『歴史的事実』たし、誰が書いても一緒の話や」と話した。(参考:「論壇ネット」によれば、「日本国紀」500ページのうち15ページがコピペ改変という)
 これに対して、書籍「『アベ友』トンデモ列伝」を出版した宝島編集部は「引用と出所を明記して、文章を改変なく表記するのがルールだが、この『日本国紀』には参考文献の表記も一切なく、普通の意味で使う『引用』はなされていない。どこから引用したのかも書いていないのに『引用』だと主張しても、それはただのパクリである」と述べる。
 私も同感だ。百田氏が、なぜ「正誤表」や引用元を明記しないのか、理解に苦しむ。百田氏や有本氏はこの面倒な手続きを省略したのだろうか。百田氏を礼賛する読者は「微細なこと」と述べる。しかし百田氏は作家であり、有本氏はジャーナリストだ。知らなかった、では済まされない。
 百田氏の「虎ノ門ニュース」での発言も理解に苦しむ。作家やジャーナリスト(記者)の「イロハ」を知っているのだろうか。百田氏のようなことを記者が話したらデスクに怒鳴られるだろう。このままでは百田氏や有本氏の人間性や人格までもが疑われてしまうのではないのか。
 私のような百田氏に会ったことがない人間には、この本で彼らの人間性を計ってしまうことになりかねない。また幻冬舎もいいかげんな出版社だと世間から見られかねないと思う。
 私事で恐縮だが、私は本4冊を刊行した。そのなかで一番時間がかかったのは「書くこと」ではない。引用元を調べ、著作権者を探すことだ。そして著作権者や出版社から許諾を得るのに時間がかかった。ご厚意で著作権料を無料にしてくれた出版社もあったが、多くは有料だった。その中でも外国の出版社はほとんどが有料で、銀行からそれを送るにも手数料がかかった。
 百田氏は昨年11月1日のツイッターで、米国の弁護士ケント・ギルバート氏との一昨年の対談が日本国紀の執筆動機だとし、日本人が日本を好きになるような歴史書を書こうと思ったと発信した。
 ギルバート氏との対談から少なくとも1年数カ月して日本国紀を上梓したことになる。2千年の日本史を約1年で書いたのだろうか?この短い期間に百田氏一人で書くのは不可能だと思う。たとえ編集者の有本氏やほかの数人の監修者が手助けしたとしても、何かをベースにしなければこんな短い期間で書けないと確信する。
 ウィキペディアからのコピペや引用箇所が多数にわたって歴史好きの読者により見つけられている。ウィキペディアを土台にして「日本国紀」を書いたのではないかと疑われる。ウィキペディアを土台し、それを一部書き換えて自らが書いたように見せかけ、そしてコピペし、ほかの書籍からの内容をも引用・コピペして完成したと思われてもしかたがないコピペ数だ。
 アマゾンの「日本国紀」書評欄で「☆印1」をつけている読者の中には、この本の誤記やコピペと思われる箇所を指摘している人びとがいる。この指摘に対し、百田氏は感情的なまでに反論している。
 「☆印5」をつけている80%の多くは礼賛のみ。そのなかには日本の歴史をあまり知らないと思われる投稿者の文面も見かける。社会の右傾化を象徴する現象のようで不気味だ。
 私は読者が百田氏の歴史観と割り切って読むべきだと思う。百田氏は昭和以降の歴史を「陰謀史観」から論じている。歴史は複雑であり、白黒で判断すべきではない。これは私の見解だ。
 世の中に名の知れた百田氏が「日本国紀」を書くことで社会に貢献したとすれば、日本の歴史をほとんど知らない多くの日本人に歴史を学ぶ大切さを知らせたことだろう。この点については評価しても評価しきれない。


(参考)(1)「日本国紀」のコピペ、盗用疑惑に関心のあるかたは「論壇net」(https://rondan.net/2155)をご覧ください(2)この書籍1刷の帯には「平成最後の年に送り出す」となっているが、「平成最後の前年」が正確だ。ただ、後の刷には訂正され、正確に記されているという。7刷にはこの文言は削除されている。

 PR:チャーチルの人生観や生き方をエピソードを交えながら記した「人間チャーチルからのメッセージ」をご一読ください。アマゾンなどで販売しています。また左端に内容を記した案内があります。
  
 
  

 

この記事についてブログを書く
« 北方2島は返還されるのか ... | トップ | 心に残る横綱稀勢の里  引... »

書籍紹介と書評」カテゴリの最新記事