英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

小平と李両選手は感動の金メダルを日韓国民に見せる  平昌冬季五輪がやっと政治ショーからさよなら

2018年02月19日 21時48分13秒 | スポーツ
  平昌冬季五輪のスピードスケート女子500メートルで小平奈緒選手が、韓国の英雄、李相花の3連覇の夢を砕いた。ただそれだけなら、単なるニュースだが、二人の友情を知り、私は深い感銘を受けた。感銘を受けたのは私だけではないようだ。世界中の人々、とりわけ、複雑な歴史を抱える日韓両国民が同じ感動の涙を流した。
 小平選手は日の丸を肩に掛け、満足感に浸りながら日本人観衆の歓呼の声に応えていたとき、韓国旗、太極旗を手にしながら泣きじゃくる李の姿を見つけた。
 小平は李のそばにそっと近づき、彼女を抱きしめた。「チャレッソ(韓国語で『よくやった』)」「サンファ、たくさんの重圧の中でよくやったね。私はまだリスペクトしているよ」。
 好敵手で良き友人である李にささやいた。李も小平に「ナオこそ『チャレッソ』よ」と返した。それから二人は日章旗と太極旗を掲げてスケートリンクをウィニング・ランした。戦前の植民地の歴史と戦後のわだかまりと対立の日韓の歴史が、小平と李両選手によって氷解し、両国旗が江陵アイスアリーナに並び立った。あらためてスポーツの持つ不思議な力のすごさを知った。
二人の素晴らしい友情と互いの健闘を称え合う姿を見て、私は1936年のベルリン・オリンピックでの二人の日本人選手を思い出した。二人は大江季雄選手と西田修平選手。
 二人は同五輪の陸上の棒高跳びで、西田選手が銀メダル、大江選手が銅メダルを獲得。しかし二人の記録はともに4メートル25センチだった。西田選手が1回目で成功し、大江選手が2回目で成功ということでこの順位が決定した。だが、西田選手は納得せずに大江選手を2位の表彰台にあげた。そして、帰国後に二人のメダルを二つに割って半分ずつ交換して一つのメダルにした。
 31歳の小平選手28歳の李選手の友情と互いに助け合ってスケートの技術を学ぶ姿は、大江、西田両選手と同じだ。日韓のライバル選手は12年以上前からのつきあいであり、友情を育んできたという。2014年のワールドカップ(W杯)ソウル大会で小平選手が初勝利を挙げた際、敗れた李選手は、帰りを急ぐ彼女のために、タクシーを手配し料金も払ったという。
 李選手は話す。「2007年頃に彼女が私の家に遊びに来てくれました。すごく仲が良かったので誘ったんです。それに、私が日本に行った時はいつも面倒を見てくれます。和食が好きな私のために、日本食も送ってくれるんですよ。特別な友達です」
 私は国境を越えた友情を見た。レースを終えた直後の小平が、ガッツポーズを控え、次ぎのレースに出場する李選手の集中力を欠かさないようにするため、観衆に静かにするよう口に手をあてたのも友情の証だった。
 五輪で久しぶりに心温まる光景を見た。それが日韓両選手だったのも何か因縁めいたものを感じた。平昌冬季五輪が韓国と北朝鮮の政治ショーのように感じていた私にとって、一時の清涼剤だった。

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