英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

人生で最も大切なことは努力とイチロー選手が示唆   メジャー・リーグからの引退会見で      

2019年03月24日 12時20分45秒 | スポーツ
 米大リーグ・マリナーズのイチロー外野手が21日のアスレチックス戦との試合終了後、記者会見を開き、引退を表明した。日米28年間で積み上げた安打は4367本。米大リーグでは3089本の金字塔を打ち立てた。
  私は1時間20分にわたるイチローの会見を聞き、ベースボールの道を究めようとしてきた「研究者」だと思った。剣術の極意を会得した宮本武蔵と同じような心境に至ったのだと感じた。会見での一語一語から、彼の生き様が伝わり、私は深く共感した。野球の実践と研究を通して「人生哲学」を築き上げたことが伝わってきた。
 イチロー選手は大リーグでのシーズン262安打(2004年)や10年連続200安打など数々の不滅の記録を「小さなことに過ぎない」と述べ、マリナーズの会長付き特別補佐に就任した昨年5月以降のことを語り始めた。
 試合に出ないのに、グランドにいつも一番乗りし、試合中は球場内の打撃ゲージで練習に打ち込んだ。「それを最後まで成し遂げられなければ、きょう、この日はなかった。記録はいずれ誰かに抜かれる。あの日々は、ひょっとしたら誰にもできないことかもしれない」。私は彼が人間にとって最も大切なことは努力だと語っていることに深く感銘する。
 それを裏打ちする言葉が続いた。「(選手生活に)後悔などあろうはずがありません。(中略)自分なりに頑張ってきたということは、はっきり言えるので。これを重ねてきて、重ねることでしか後悔を生まないということはできないのではないかなと思います」
  野球の求道者はこうも話した。「成功すると思うからやってみたい、それができないと思うから行かないという判断基準では後悔を生むだろうなと思います。やりたいならやってみればいい。できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい。そのときにどんな結果が 出ようとも後悔はないと思うんです」
 20世紀の大政治家ウィンストン・チャーチルが「(結果がどうであれ)リスクを恐れず勇気を出して目的に向かって行動しなさい。創造主(神様)は人間がどうすることもできないことをあえて試すことはありません。・・・何が起こっても逃げないで立ち向かいなさい。そうすればすべてがうまくいくのです」(拙書「人間チャーチルからのメッセージ」から引用)と話していたことと相通じる。
 野球(ベースボール)選手であろうが、政治家であろうが、一つの分野を極めた人々は体験を通して人生哲学を作り上げていると思った。
 イチロー選手の引退会見を聞こうとして、全て日本語での対応であったにもかかわらず、会見場の後方には、ジェリー・ディポト・ゼネラルマネジャー(GM)、入団交渉を担当したスカウトのテッド・ハイド氏ら多くの球団関係者の姿があった。
 イチローの最後の言葉を聞こうとしたのは、GMらフロントの人間ばかりではない。米メディアによると、日本メディアとは別に東京ドーム内での米メディア専用囲み取材には、サービス監督やヒーリーら主力選手がかけつけ、様子を見守っていたという。マリナーズ首脳陣はイチロー選手への深い敬意を表すためにそうしたのだろうと推察する。
 マリナーズ球団のイチロー選手への敬意は21日の試合にもあった。イチローが八回の守備に一度ついた直後に交代させられたのは、観客の拍手によって送りだされる場面をつくり出す狙いがあったということだろう。
 米大リーグや日本のプロ野球の元選手から、イチロー選手の引退を惜しむ声が相次いだ。そのなかで1990年代のメジャー・リーグの大選手で、2016年に野球殿堂入りを果たした元マリナーズのケン・グリフィーJr.氏は「悲しくもあり、うれしくもあるね。彼は人生のすべてを野球にささげてきた。日本のファンの前で引退できたことは素晴らしいこと。野球に涙は似合わないけど、素晴らしい選手が引退する時は泣いたっていいんだ。イチローには『キミの成し遂げてきたこと、そしてこれからの人生をエンジョイしてくれ』と伝えたよ」と話した。21日の試合の8回に、外野からベンチに戻ってきたイチロー選手を抱きしめていた。
 イチロー選手は記録だけでなく、人間としても立派な人格を備えている。伝説のメジャー・リーガーのベーブルースやルー・ゲーリック、メジャー・リーグ初の黒人選手となったジャッキー・ロビンソン、大リーグ本塁打記録を持つハンク・アーロン、メジャー記録の2632試合連続出場を果たしたカル・リプケンJr.らの仲間入りを果たしたと言っても過言ではない。
 個人的にはイチロー選手の言葉「アメリカに来て、外国人になったことで、人の痛みを想像し、今までになかった自分が現れた」「孤独を感じて苦しんだことは多々ありましたが、その体験は未来の自分にとって大きな支えになると、いまは思います」に深く共感した。
 イチロー選手は渡米した2001年頃、米国人から「帰れ!帰れ!」とよく言われたと語った。私も英国滞在中の1970年代後半、人種的な偏見に出会った。それにもまして、日本軍の捕虜虐待の経験を味わった父親の世代の英国人将兵から冷たい視線と非難の声を受けた。彼らの痛みを理解し、民族同士の相互理解の必要性を深く感じた。
 イチロー選手は今までのインタビューで含蓄のある言葉をたびたび話してきたが、この最後の会見でも同じだった。今後の人生での活躍をお祈りしたい。米国の大手通信社Associate Press (AP)がイチロー引退の速報を全米と世界に発信した。その見出しを記してこのブログを終わりたい。
 「Ichiro walks off into history in Sayonara・・・」。イチロー選手が(ファンからの)「さよなら」の声を浴びながら、歴史のなかに歩を進め消えていった。そして歴史の人物となった。

(写真)引退会見中のイチロー選手