英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

日韓対立から日本人の国民性を観察   振り子のように左右に大きくぶれる

2019年01月20日 22時37分02秒 | 国民性
 海上自衛隊の旭日旗(自衛艦旗)掲揚をめぐる摩擦、元徴用工をめぐる韓国最高裁による日本企業への賠償命令判決、韓国軍による自衛隊機へのレーダー照射についての日韓対立は、日本人の「ものの見方」が振り子のように左右に大きくぶれることをあらためて認識した。
 1980年代に吹き荒れた左派による保守派の現実主義的、懐疑的な(灰色的)見方に対する糾弾は30年以上の時をへて、右派のリベラル派や反対派への厳しい、有無を言わせぬ批判へと変貌してきた。右傾化は顕著だ。
 1980年代に左派が言論界を牛耳り、左派の見方が日本を席巻していた頃、当時の心ある人びとは太平洋戦争前後の「皇国史観」を振り返り、振り子が右から左へと大きくぶれていると強調。それが日本人の国民性だと主張した。現在、再び振り子は韓国(や中国)という動力によって左から右へと揺り戻している。
 昨年11月13日付の私のブログ「韓国人と日本人の国民性の違いはどこにあるのか」で、私は韓国人が「感情や観念のみに支配されている」「あまりにも恨みが強く、寛容の精神がない」と力説した。それだけではない。「自民族優位主義」に起因する反日的な考えがある。
 韓国人、そのなかでも知識人は古代から、特に1492年に開かれた李氏朝鮮王朝から、中華思想と華夷秩序の世界観を抱いてきた。それは中国が世界文明の中心であり、韓国はその中華文明圏に存在しているとの認識だ。
 漢民族が打ち立てた明帝国が異民族(満州族)に17世紀前半に滅ぼされると、韓・朝鮮民族は自らを明帝国の正当な継承者だと公言し、「小中華主義」を唱えた。そして中華圏外の日本民族を非文明圏にある蛮族だと認識し、日本人を蔑視してきた。そして日本による韓国併合(1910~45)の歴史が対日蔑視を強めているようだ。
 拓殖大学の呉善花・国際学部教授は著書「私はいかにして『日本信徒』になったか」で「それが韓国人の意識の深層を形成したまま現在にいたっているのである。そこをはっきり押さえておかないと、韓国人にだけ特徴的な対日姿勢はまったく理解することができなくなる」と話す。
 一方、大半の日本人は、右派だろうが左派だろうが、「ひとりよがりで同情心がない為」「日本文化の確立なき為」「日本文化に普遍性がない為」に、外国に対する見方が独善的になるという。この言葉は太平洋戦争のフィリピン戦線に派遣された化学者の小松真一(1911~73)が自らの戦場での体験を踏まえて自費出版した「慮人日記」で記している。
 20世紀の日本の評論家の山本七平(1921~91)は小松の言葉を解釈し、「ほかの文化と接触をして自分がいろいろの行動をしたばあいに、反省することができなかった。精神的な弱さとひとりよがりに加えて文化の確立がなかった」と述べる(「比較文化論の試み」から引用)。「日本人は自らの考え方は真理だと信じている」とも話す。
 この考え方を言い換えれば、大多数の日本人は物事を「対立概念」で捉えることができないということだろう。ひとつの対象物を最初、善悪両面で捉えながら、善か悪かの結論へと導いていかない。一人の対象者を現実主義者と理想主義者の両面から最初はとらえていくことができない。対立概念で決して論じず、二元論で論じるということだ。つまり、一人の人間を最初から善玉、悪玉と提起して議論を進めていく。「ひとつの対象物を見た場合、どっちかを悪玉、どっちかを善玉としないと気が済まない」(「比較文化論の試み」からの引用)。日本人の国民性に対する生前の小松、山本両氏の指摘は当たっているように思う。
 左派の見解が主流だった1980年代、「中国の旅」で有名になった元朝日新聞記者の本多勝一氏ら左派12人は「ペンの陰謀」(1977年刊行)で山本七平を「ペテンの論理を分析する」として、山本のキリスト教的リアリズムを口汚いまでに糾弾し罵倒した。また20世紀の保守派の論客、福田恆存(1912~94)を蔑視した。「二元論」で論じている「ペンの陰謀」から本多氏の「知識」は感じられたが、「教養」や「知性」がまったく感じられなかった。
 今日、右派の百田尚樹氏は著書「日本国紀」で日本人を礼賛し、ツイッターで彼を批判する人びとを罵倒する。事実の誤記やコピペだと指摘する読者を批判する。これもまた私は「教養」と「知性」を感じなかった。
 30年前の左派や今日の右派も、韓国政府要人や韓国反日派も二元論で論じるあまり、「あなたのために思ってやっているのに何を言うか」(比較文化論の試みから引用)と思っているようだ。
 海上自衛隊の旭日旗(自衛艦旗)掲揚を巡る日韓摩擦、元徴用工をめぐる韓国最高裁による日本企業への賠償命令判決などの問題を二元論で論じるべきではなく、対立概念で論じるべきだ。事実を踏まえた客観的な議論をすべきであり、感情的、情緒的、観念的であってはならないと思う。この点では、韓国政府よりも日本政府のほうが冷静で、対立概念で論じていると思う。
 反米感情を抱く日本人は30年前、左派の言行に乗った。今日、ブログを読むと、反韓、反中感情を抱く日本人は右派知識人の言行に拍手喝采している。しかし、韓国の国民性や韓国からの情報を的確に把握して冷静な態度で対応する姿勢がほしい。そして「自ら胸襟を開けば相手も心を開いてくれる」と、価値観やものの見方が違う韓国人のような民族には決して思わないことだ。民族にはそれぞれ違う感じ方がある。日本人は他民族へのこの違いを無視して太平洋戦争で失敗し、戦後の米国、ロシア、中国、韓国への反感を繰り返し抱いてきた。
 また、中国人や韓国人の多くは歴史を自分の都合の良いように歪曲するようだが、日本人は過去を無視する傾向がある。歴史を学ばない点では3者は同じだ。歴史を学ばなければ、現在と将来において、何かを決断するとき、その一助は体験だけと言うことになる。「日本国紀」に関わった百田氏にしても有本香氏にして1950年代半ばから60年代前半に生まれ、戦争を知らない世代だ。親も戦場へ行った世代ではないだろう。
 体験でしか過去を学ばなければ、世代ごとに過去は分断される。ひとつの世代の人びとが死に絶えれば、後の世代の人びとは死に絶えた世代から何も学ばないことになる。「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」と19世紀のドイツ帝国の「鉄血宰相」オットー・フォン・ビスマルクは語っているではないか。
 日本帝国陸軍は、有史以来最も悲惨を極め、初めて市民(銃後)を巻き込んだ第1次世界大戦に参戦しなかった。欧州を舞台とした初の総力戦を日本陸軍は体験しなかった。またその歴史を研究した軍人指導者はごくわずかだったという。
 太平洋戦争を指導した東条英機陸軍大将ら陸軍軍人指導者の99%は悲惨な日露戦争を知らない。日本陸軍将兵の屍で埋め尽くされた日露戦争の激戦地「203高地」の戦いに参加していない。太平洋戦争の陸軍指導者の大多数は日露戦争直後に陸軍士官学校に入学した。「歴史に学ばないこと」も悲惨な太平洋戦争を始めた一因かもしれない。
 老人ホームで元気に暮らし、毎日ラジオでニュースを聞いている97歳になる私の母は先日、「中国や韓国もおかしな態度をとるけど、今の政府も国民を煽っているわね。日支事変(日中戦争)の頃と似ているわね。あの頃も中国人をチャンコロと言って軽蔑し嫌っていたのよ。今の日本人は政府に煽られて韓国人や中国人を感情的に嫌っているわね。変にならなければよいけど」と話す。もちろん、その逆も事実であり、自国に都合の良い歴史を政府から思い込まされている反日の中国人や韓国人は感情的なまでに日本人を嫌っている。
 21世紀に入り、太平洋戦争を体験しない世代が日本の全人口の大半を占める。共産党の独裁国家、中国の台頭や韓国の「理不尽とも思える」厳しい対日姿勢、強権政府を持つロシアの対日強行的態度など厳しい国際環境を前にして、われわれはこれからどうすればよいのか。
 客観的な姿勢で過去を学び、「自分の窓」と「相手の窓」から見ながら相手と粘り強く交渉することが我々には不可欠だ。価値観やものの見方の違う中国人、韓国人やロシア人との交渉に当てはまる。決して現在の右派や30年前の左派のような前方だけを見て自分だけが正しいと考え、「白黒」でしか判断しない「ものの見方」になってはならないし、期限を区切って交渉に臨んではならない。保守派を自認する私はそう思う。

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