英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

高倉健の突然の訃報         映画通でない初老の感想

2014年11月19日 18時39分31秒 | 時事問題
 生きていると、毎日いろいろな出来事が起こる。高倉健が亡くなった。83歳。死因は悪性リンパ腫。突然の訃報だった。
 世の中の人々が彼の死を知ったのは、亡くなって8日後。初七日まで伏せるようにとの彼の遺言だったかもしれない。
 この情報化社会に8日も伏せることができたのは、最後を看取った人々が高倉を信頼していた証だろう。健さんの人柄がこの事実から明らかになる。人は死して、本当の人柄や性格が理解されるという。
 高倉健の人柄を筆者はあまり知らなかった。亡くなってはじめて彼の人柄を知った。そして俳優の亡者原稿が新聞の一面トップに載るのはよほどのことがないかぎりないように思う。健さんの業績と生き様がそうさせたのだろう。
彼の座右の言葉「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」だ。それは彼の生き様を表している。この言葉は言うは易し、行うは難しだ。筆者には自信がない。
 高倉は生涯205本の映画に出演した。任俠(にんきょう)映画の「健さん」として一時代を築いた。私は1965年から始まる『網走番外地』シリーズなどの任侠映画はまったく見ていない。筆者が高校生の頃、あまり「義理人情」の映画を鑑賞しなかった。興味がなかったというのが本音だ。「切った張った」も好きではなかった。見てもいないのに、どうこう判断することの愚かさは理解しているが・・・。
 高倉が出演した映画では、寡黙で一本気な「日本の男」を演じた「鉄道員(ぽっぽや)」と、遺作になった「あなたへ」(2012年)しか見ていない。映画を批評するほどの映画通ではないが、「あなたへ」を鑑賞して、高倉健の人柄を感じた。
 新聞によると、「あなたへ」のロケ地では、地元の人々と交流。ロケが終わっても、交流した人々へ手紙を書く律義さ。
 元妻は江利チエミ。われわれ団塊の世代の人間は誰でも知っている歌手だった。離婚の原因はチエミさんの親族にまつわるトラブルからで、チエミさん側からの申し入れで離婚したという。チエミさんは1982年2月に心不全で45歳という若さで死去。健さんは元妻の命日の前後には必ず墓参りを欠かさなかった。映画「鉄道員」の中では、チエミさんの代表曲「テネシー・ワルツ」がテーマ曲として使われている。離婚後再婚しなかった健さんは生涯、チエミさんを唯一人の妻だと思っていたのだろう。映画の中でしかお目にかかれない理想的な人間が高倉健その人だと思う。もちろん本人が生きていれば、即座に否定するだろう。冥福を祈ります。合掌