英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

自民党の石破幹事長は民主主義の強さを理解していない

2013年12月14日 17時53分46秒 | 民主主義とポピュリズム
 師走に入り14日が過ぎた。今日は播州赤穂藩浪士が吉良邸に討ち入りし、吉良上野介の首をとって310年がたつ。主君の浅野内匠頭長矩の仇をうった義挙として日本人に今も語り伝えられている。
  赤穂城主である浅野内匠頭長矩は、元禄14年3月、江戸城に勅使を迎える接待役をおおせつかり、儀礼を司る吉良義央に教えを乞うた。しかし浅野は、当時の慣習であった賄賂を吉良に渡さなかったため、冷淡なあしらいを受ける。度重なる侮辱にたえかね、とうとう城中の松の廊下で脇差をふるい、吉良を負傷させた。そして田村右京大夫建顕の邸に預けられ、その日の内に切腹させられたのだった。
 このあらすじが通説なっている。臣下の忠節と主君の臣下への愛情が話の筋だ。しかし本当のところはわからない。確実な史料に基づいた話しではない。これが本当なら、吉良は浅野をいじめたことになる。浅野は直情的な人ということにある。多分に後世の人々が脚色した観をいなめない。
 ただ、この心情や感傷的な気持ちは歴史を超えた日本人の国民性の一端かもしれない。これは民主主義と相いれない。民主主義は、周囲の環境を冷徹に観察し、それに基づいて自らの心情を横に置いて客観的な判断ができる人にあった制度である
 自民党の石破茂幹事長は12月2日付の自身のブログで、11月29日付の同ブログで特定秘密保護法案に反対する市民団体らの絶叫調のデモを「テロと本質的に変わらない」と批判した。後で部分撤回して謝罪したが、大音量デモについて「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」と改めて記した。
 石破氏は「お詫(わ)びと訂正」と題して公表したブログで、テロになぞらえた部分について「『一般市民に畏怖(いふ)の念を与えるような手法』に民主主義とは相いれないテロとの共通性を感じて『テロと本質的に変わらない』と記した」と釈明した。
 石破茂幹事長は11日、日本記者クラブで記者会見し、特定秘密保護法に基づき指定された特定秘密を報道機関が報じた場合について、「常識的に考えて何らかの方法で抑制されることになる」と述べ、秘密の内容次第で記者が処罰される可能性を示唆した。しかし会見後にあらためて記者団の取材に応じ、「特定秘密を漏えいした公務員は罰せられるが、報道した当事者(記者)は処罰対象にならない」と述べ、発言を訂正して撤回した。
 多くの日本人が赤穂事件を「心情」で語り伝えているように、石破氏もまたこの法案を心情で見ている。石破氏は民主主義の利点を理解していないようだ。石橋の頭は「中国」と「米国」で占められている。この二つのキーワードが特定秘密保護法と結びついている。この法案の成立こそが日本の安全に寄与すると盲信しているようだ。
 真の「特定秘密保護法」は「政府に対する国民の理解」である。国民の理解を促進するには、政府や与党自民党幹部が情報をできるだけ公開することだろう。もちろん何十年かは伏せなければならない極秘情報もあろう。しかしできるだけ国民に情報を伝える姿勢こそが、国民の団結を促し、政府への支持を不動のものにする。それは特定秘密保護法の何十倍も強い盾になる。民主主義より強いと思われた全体主義や独裁政治が結局は民主主義制度に敗れたのはここらあたりに真理がある。
 第2次世界大戦を指導した英国のウィンストン・チャーチルは、英国が存亡の危機に瀕した1940年6月の時でさえ、軍の特定の機密を除いて議会と国民に、英国外務省や軍が手に入れた情報を流した。あまりにも多岐にわたる情報を話すので、軍高官はいつもハラハラしながら、チャーチルの演説を聞いていたという。
 チャーチルは民主主義の強さを知っていた。国民にできるだけ正確で多岐にわたる情報を提供してこそ、国民がほんとうの国家と政府の状況を知り、国民の団結心が生まれる。民主主義の強みはそこにある。このことを著書「第二次世界大戦回顧録」で書いている。これに対してナチスドイツのヒトラーは民主主義を軽蔑していた。「腐った制度、結論の出ない井戸端会議制度」だと見くびっていた。どちらが勝利したかは歴史が証明している。
 筆者は石破氏や安倍総理のような国家主義者の弱点を垣間見た。要するに彼らは物事を単純化し、まっすぐ前に走るということだ。中国が設定した航空識別圏にしても、日本の民間航空機が中国政府に事前通告することを拒否している。全体のバランスを考えれば、通告をOKしても、識別圏を認めたことにはならない。戦略の欠如だ。日本人の国民性の弱点だとも思う。
 日本人は汚職や脱税では中国やアフリカ・アジアの開発途上国の国民に比べれば成績優秀である。AP通信社が伝えたフィリッピンでの話にこうある。「次の機会にフィリピンで食事をするときに、外国観光客は政府のレストランガイドをチェックするかもしれない。そのガイドブックはどのレストランが最高かを記しておらず、どこのレストランが脱税しているかを示唆している」。APはこう皮肉って、政府の文書を紹介している。
 フィリピンや中国も民主主義とは縁遠い国のようだ。チャーチルは1930年代、インドの自治や独立に反対した。その理由は、インドが英国から独立すれば、インド国民が独裁や権威政治、部族間の権力闘争により塗炭の苦しみを味わう。英国が統治するかぎり、曲がりなりにも民主主義がインドを支配する。チャーチルの話はもちろん歴史の流れに逆行する。ただ、現在の日本を含むアジアの政治制度を垣間見ていると100%否定できない。
  アジアで真の民主主義を謳歌している国はどこなのか?筆者は即座に答えられない。それぞれの国には長い歴史から培われた国民性があることを否定できない。特にアジアのような専制政治や帝室・王朝政治の長い歴史を持った国で民主主義を確固とした制度にするには時間がかかる。日本は封建制度を経験し、民主主義が根付く要素はあるものの、いまだ真の民主主義国家かどうかは疑問符が付く。

写真は泉岳寺の赤穂浪士の墓