役者というのはすごい商売だと思う。なんてことない人間の、なんてことない一瞬を切り取って、その人間の過去や未来を提示してみせることが可能なのだ。「ミリオンダラー・ベイビー」のヒラリー・スワンクの演技には打ちのめされた。老いたトレーナーであるクリント・イーストウッドに「女には教えない」「君は歳をとりすぎている」ひどい言葉を投げつけられながら、それでも条件反射のようにボクシングの教えを請う場面を観るがいい。彼女の31年間の人生がどれだけネガティブなものだったか、どれだけ彼女がボクシングを愛しているのかを表情だけで観客に納得させる凄みがあった。ほんとに、オレはこのシーンだけで震えがきたよ。
【ここからはネタバレなので要注意】
女性版ロッキーなのかな、とアドレナリン大分泌させながら観ていたら、まさかこんな展開になるとは。クリント・イーストウッドが自分の選手を壊したくなくて慎重になりすぎていたり、カトリック教徒であり、毎日教会に通っている設定がここで効いてくる。この映画、後半は尊厳死を取り扱うのだ。
いったい“いい人生”とは何だろう。人はみな百万ドルの価値を持つ子として生まれ、しかし多くはその価値を次第に減じていく過程が人生だ。その過程に、意義ある人生だったと思いたいために自らピリオドを望むヒラリー・スワンク。果たして老トレーナーはそのリクエストにこたえるか……
母が末期ガンに倒れ、回復の余地がないと宣告されたとき、麻薬の使用に真っ先に賛成したのは息子であるわたしだった。本人には春にはウチへ帰るぞと口先だけの夢を告げ、しかしその母親が壊れていく過程を「痛みがあるよりはマシなはず」と自分の迷いをねじ伏せて冷たく見つめ続けた。
あのときの迷いが、観客席のわたしにまたしてもよみがえり、わたしは小さく嗚咽しながらこの映画に対峙していた。他に客がいなかったら号泣していたかもしれん。
いい人生とはなんだろう。ひとつだけ言えるのは、この映画を観ないよりは、観た方があなたにとっていい人生が得られるはずだ。モーガン・フリーマンのナレーションのオチや、『モ・クシュラ』という言葉にトレーナーがこめた気持ちも含めて、間違いなく傑作。ぜひ。
ほんっとうに胸に沁みるいい映画だったね。
いい人生が得られたかどうかは別にしても(笑)