事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

山口百恵とは何だったのかPART2「青い果実」

2009-06-25 | 音楽

Momoe04 PART1「としごろ」はこちら

山口百恵のプロフィールはこんな感じ。

73年5月 「としごろ」でデビュー

74年 「ひと夏の経験」大ヒット

76年 「横須賀ストーリー」で阿木燿子・宇崎竜童と初めて組む

79年10月 ステージ上で三浦友和との交際を宣言

80年11月 結婚 引退

あまりにも大ざっぱですか(笑)。まず、話は「スター誕生!」から始めなければなりますまい。1971年に開始されたこの日テレのオーディション番組は、萩本欽一を司会に起用し、大量のタレントを輩出したことで知られる。それまで芸能界において圧倒的な支配力をもっていた渡辺プロダクション(通称ナベプロ)の凋落を決定づけた番組でもある(ウィキペディアより)。

……見てました「スタ誕」。日曜の午前11時なんてハンパな時間に、同世代の人間たちが次々にふるいにかけられていくのを見ているのは、面白くはあったけれどもしんどいことでもあった。なにしろ審査員が厳しいのである。番組を企画した阿久悠や、声楽家の松田トシが遠慮なしに出場者をけなしまくるので、イヤミな都倉俊一ですらやさしく思えたほどだ。まあ、萩本欽一が圧倒的な存在で、審査員たちも彼を信頼していたからこそ思いきりつっこめたのだろうが。

 ただ、萩本欽一がこの仕事を喜んでやっていたかはわからない。「オールスター家族対抗歌合戦」の仕事が来たときも、「ボクに司会なんて仕事をやれとは……」と嘆いた話は小林信彦がその著作でふれている。

 ナベプロとの件も一応。「紅白歌のベストテン」がらみで日テレとナベプロは絶縁状態になる(だからあの番組にナベプロ所属のタレントはほとんど出演していない)。業界の帝王だった渡辺晋、渡辺美佐との決裂という、今のテレビマンでは絶対に不可能な決断をくだしたのは、日テレの井原高忠(「ゲバゲバ90分」「11PM」)という敏腕プロデューサーだったのである。この人は……ああ、それはまた別の話に。

PART3「ひと夏の経験」につづく

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