事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

表裏一体の裏の方~フルメタル・ジャケット

2013-03-09 | 受験・学校

Full_metal_jacket_1987 「スクールウォーズ」篇はこちら

さて、極端な事例(桜宮)をとりあげて体罰を全否定するのはいかがなものか、という疑問について考える。

大手マスコミはもちろん体罰否定の論陣をはっているが、そのなかで、なぜ日本において体罰がはびこることになったのかを朝日で学者が語っていて参考になった。

・日本は急いで西欧の列強に追いつく必要があった

・日本人の体格は貧弱

・戦争は目前にせまっている

これらを解決するために、初年兵を暴力込みで一人前に強引に仕立てたのだとか。

そして、その方法は十分に機能し、日清日露をしのぐことができた。やはり、成功体験ありきなのだ。残念なことに太平洋戦争では通用しなかったわけだが。

おそらく体罰否定派もうすうす感じてはいる。体罰は非常に有効だと。まさしく、劇薬のように効果を発揮するし、そのために体罰は生き残っているのだと思う。

でも、わたしはこうも思った。

“だからこそ体罰を行わない教育が深まらなかったのではないか”と。

体罰を否定する論理に、「体罰を行わずに教えるスキルを持っているべきだ」ってのがあるけれど、みんなが本気でそう感じれば次第に減っていくのでは?体罰教師に向かって投げつける最高の侮蔑は

「へたくそ」

であるべきだと思う。容認と否定の二項対立であるうちはなかなか体罰はなくならないけれど、スキルがない証拠だという常識が定着すれば……

蛇足ながらもうひとこと。教師の行うすべての体罰が、崇高な教育的理念に基づいた愛にあふれたものだと信じることができるのなら、確かに体罰を認めたくもなる。あなた、信じますか。

画像は「フルメタル・ジャケット」。アメリカだって体罰の有効性に気づいてはいる。しかしあの訴訟社会において、リスク回避のために発達したのが“言葉の暴力”か。

Fullmetaljacket006

コメント