事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「八つ墓村」がわからないPART12

2012-06-04 | 映画

PART11はこちら。さあようやく最終回です。

Yatsuhakamuraimg12 美也子と辰弥の追跡劇は、実は怖いというより美しい。菩薩から一瞬にして夜叉に変貌した小川真由美のメイクもすごいが、

「あっ…………あっ…………」

という彼女の喘ぎが鍾乳洞に反響し、同時に要蔵の三十二人殺しにシンクロする動きがおみごと。ここなんでしょうね、作り手たちがめざしたものは。東宝版の浅野ゆう子ではこうはいかない。

金田一の解説はつづく。美也子の先祖をたどると、どうやら尼子の一族に行き着くのだと。つまり、あの呪いはやはり生きていて、多治見家皆殺しは美也子ですら意識していない復讐ではなかったかと。

これ以上はないタイミングで落盤が起こり、美也子は死ぬ。彼女も、愛する男のもとで亡くなったわけだ。死に顔は無垢なものにもどっている。呪いが解けたように。

金田一耕助に代表される本格ミステリの探偵は、事件がすべて終了してから解説するだけで殺人を止めないのはなぜだ、とむかしから批判されてきた。でも、探偵とは一種の天使であり、事件を抑止するよりも、そのまわりを飛びながら見つめるしかないのだと結論づけられている。その天使性を渥美清はあのキャラだからちゃんと纏っているわけで、結果的にナイスな配役だったと思う。

Yatsuhakamuraimg13 ただ、やはりミステリとしては反則が多いのも確か。原作や東宝版では、美也子の動機は別のものになっていて、それはそれで無茶なんだけど(笑)、まあ納得はできる。それに、原作の辰弥はけっこう山っ気があって、鍾乳洞に隠された尼子の財宝にこだわったりもするのだ(むかしのミステリの王道)。

さて、八人目の被害者はだから美也子ということになりそうだけど、松竹版は呪いの物語だからそうはならない。鍾乳洞から飛び立ったコウモリが多治見家に襲いかかり、残った小竹ごと多治見家を焼き尽くすエンディング。それを山上から眺め、高笑いするのが尼子の一族という念の入りよう。

確かにミステリとしてはものたりないけれど、映画会社が一種の誤解(「砂の器」の夢よもう一度、東宝にばかり金田一で儲けさせてたまるか)のもとに大金をつぎこんだことで異様な面白さになっている。一見の価値はありますよ。地震のこない夜に、ぜひ。

コメント (4)
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