不思議の国のアリ☆ニュージーランドでアフガニスタン人と国際結婚

トンカツは食べちゃダメ?ベールは被るの??一夫多妻って本当!?イスラムの謎に迫る…

お久しぶりです。やっぱり、離婚しました~!

2016年04月19日 | 日記
キオラニュージーランドから、こんにちは

お久しぶりです。最後の投稿から早6年
最近、新しいブログを書き始めたので、懐かしくなり、このブログを久しぶりに見てみました。

コメントをいただいていたようで、ありがとうございますこんなブログ、誰も見ないだろうと思っていたので、嬉しいです

アフガニスタンや中東の方とお付き合いなさっている方や、そのお友達からのコメント、テレビの方や出版社の方、色々コメントして下さって、ありがとうございます。
本来なら、お一人お一人にお返事をすべきところなのですが。。申し訳ございません。

さて、やっぱりと申しますか、アリさんとは別れてしまいました

日本人の方や中東の方以外の方からは、おめでとーおかえりやっと目が覚めたのね!飲みに行こうぜ!など、祝福、宴会モード

中東の方からは、うーん、まぁ石を投げられる勢いでしたが、無事離婚成立

離婚に至ってからの経緯を最後に綴って、このブログにさようならをしようと思いますので、もし興味がおありの方は次回のブログも読んでいただけると嬉しいです

次回は、~サヨナラ、アリ逮捕~に続きます。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございます


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イラン、アフガン聴かせてバラライカ♪

2010年08月10日 | 日記
スッバハエおはようございます

本日はアフガニスタン公用語、ダリ語で皆様にごあいさつ


日本とアフガニスタンは夏、ということは、南半球のニュージーランドは冬真っ只中なんです

オークランドは雪こそ降ってはいませんが、日本の梅雨のように曇りや雨が続き、一応冬なので(平均気温10度前後)それなりに寒くさらに、洗濯物も乾きづらい、本当に鬱陶しい毎日です

ところで、今回のブログのタイトル、どこかで見覚えがありませんか?

お察しいただいた方は、私と同年代ですね




Puffyさんのアジアの純真という曲の中に出てくる、歌詞の一部なんですが、バラライカって何かアフガニスタンに関係するのかなぁ、と思って調べてみました

バラライカはロシアの弦楽器で、共鳴胴が三角錘形をしているのが特徴で、いくつかの種類があり、音の高いほうからピッコロ・プリマ・セクンダ・アルト・バス・コントラバスなどがあるそうです



ちなみに、バラライカという名のカクテルもあります

穀物を原料としたロシア生まれのウォッカをベースとしたカクテルで、すっきりとした口当たりと適度な甘酸味が、人気ホワイトキュラソーとレモンジュースの風味が、爽やかさをいっそう引き立てています


   

 レシピ

 ウォッカ 30ml
 ホワイトキュラソー 15ml
 レモンジュース 15ml
  
               

ロシアと言えば、アフガニスタンは歴史的にもかかわりは深く、ロシア(ソ連)の影響を受けて、一時は近代化の道を歩みました

1973年
軍事クーデターが発生し、アフガニスタンはムハンマド・ザーヒル・シャー国王がダーウード元首相による共和制クーデターを受けて王位を廃されイタリアに亡命

 

これにより、アフガニスタンは立憲君主制(選挙制で選ばれた、国を代表する最高の地位にある者、君主の持つ権力が憲法によって制限されている政体のこと)から、共和制(君主が存在しない政体)の国になりました

このクーデターに深く関わったのがアフガニスタン共産党で、アフガニスタンはクーデター以降、ソ連の影響を直接的に受けるようになりますが、同時に反ソ運動も起こるようになりました

反ソ・反共運動が起きたことにより、国内の治安は悪化

この時、Myダーリンアリ君のお父さんは共産主義だったため、連行され、お母さんは射殺されてしまいました


国内の治安の悪化に目を付けたソ連は、1979年、「アフガニスタンの治安を回復する」と言う名目で軍事介入(なんだか、ブッシュ政権時代のアメリカと似ていますね?)



そんなソ連に抵抗する、ムジャーヒディーンという、反ソ運動をしていたイスラム教徒達によって組織が生まれました




ムジャーヒディーンとは、アラビア語で「ジハード(聖戦)を遂行する者」を意味するムジャーヒドの複数形で、一般的に、祖国とイスラム教の思想を守るジハードに参加する戦士たちのことを指します



アフガニスタンのムジャーヒディーンには、アフガニスタンのみならずイスラム世界の各地から志願兵として若者が集まってきましたが、あの有名なオサマ ビン ラディンもその志願兵の1人だったということが知られています




このムジャーヒディーンによるゲリラ活動を支援していたのが、アメリカとパキスタンとサウジアラビアで、アメリカは武器とゲリラ戦術を、パキスタンは訓練場を、サウジアラビアはその資金を、それぞれ提供し一流のゲリラを養成しました

後に、財力に恵まれていたオサマ ビン ラディンによって、アルカイダが結成され、こんどは、反米勢力を拡大していったと言われています…

ムジャーヒディーン関連の映画といえば、ランボー 怒りのアフガン

アフガニスタンのソビエト軍、最強師団に捕えられた友人を助けるために戦う男、ランボーを描く、ランボーシリーズ第3作

アフガニスタン紛争に興味のある方のみならず、有名な映画なので、是非チェックしてみてください





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不思議の国のアリ

2010年08月09日 | 日記
サラーム ト ホバスティー?

ブログを見て下さっていた皆様、お久しぶりです
初めて訪問して下さった方、はじめまして

ここには書けないほど、最近までドラマの連続で、さらにインターネット環境にもいなかったので、しばらくブログをお休みしていました

楽しみに読んでくださっていた方、たくさんのアフガニ妻様達からの(意外に世界中に仲間が多くて驚きました!)応援メッセージをいただき感謝感激です

ありがとうございましたすごく、嬉しかったです!



ホームレス中学生にも、ダーリンは外国人にも負けないほど、ドラマチックでコミカルな私の近況を簡潔?にまとめると…

私のダーリン、アリ君が車の会社を一緒に経営していたニュージーランド人にお金&車のパーツなどを持って逃げられ、倒産。

元バイト先のケバブ屋(私たちの初めて出会ったケバブ屋)にとりあえず再就職

しかし、新しいボス(イラン人)が、まぁ違法な植物的なものを売りさばいているのを、私が発見

再び、アリ君は職を失い、色々あって不運が重なり住居を転々と引っ越すジプシー生活をしていました。

さらに、こんな最悪な時期に、たまたまオーストラリアに仕事で来た、My両親と初顔合わせ(詳しくは、また後ほどブログで)

そんななか、新しく安定した住居が決まったころ、アリ君に車関係のビジネスの話が転がり込み、なぜか私も巻き込まれ、てんやわんや…という感じです。



日本にいて、会社で働いていたころに、企業するなんて想像したことすらありませんでした。ましてや、アフガニスタン人と結婚するなんて…

日本は不景気だと聞きましたが、ニュージーランドも企業のみならず、雇用する側、される側もなかなか厳しいです。

ニュージーランドの企業に関して、移民に対する法律が改定され、500000ドル(約3000万円~)以上のビジネス(3人以上働いていることが条件)に投資出来る方に、ビザが下りやすくなったみたいです。

海外移住を目指されている方は、是非ニュージーランドでトライしてみてください

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アフガニスタン人と結婚しちゃいました~ シリーズ☆完結編

2010年08月07日 | 日記
まいど、おおきにー

南半球、ニュージーランドより愛をこめて、前回に引き続き、関西弁で皆様にごあいさつ

 

てんやわんやの結婚式が終わって、その後の結婚生活について、今回はupしたいと思います

ニュージーランドには、主にハザラ族という、モンゴル系のアフガニスタン人が多く、タリバン侵略後、大量惨殺や迫害をのがれニュージーランドや世界各国に移り住んでいらします。

迫害の原因は主に、宗派の違い、タリバンとアフガニスタン人口の大多数をしめるパシュトゥーン族はスンニー派でハザラはシーヤ派や、ルーツの違い、タリバンに1998年に爆破されてしまった、バーミヤン遺跡周辺に元々住んでいたハザラ族のルーツは偶像を拝む仏教だから、などらしいですが、ハザラ族に対する迫害は、現在アフガニスタンが抱える問題の一つです。



そんな、問題をテーマにした映画、君のためなら千回でも、はハザラ人迫害のみならずロシアによるアフガニスタン侵略前後、タリバン政権後の様子が、今までのハリウッド作のアフガニスタン映画より、リアリティーがあって(ダーリンの保証付き)、かなりおススメ出来ます



ここに出てくる、結婚式の様子は非常に忠実で、アフガニスタン人同士による結婚式で、女性を被写体にすることが非常に困難なため、かなり貴重な映像だと思います

この映画にも登場するハザラ族のみなさん、日本人にそっくりです!

 

初めて、アリ(旦那)が私に出会った時、ハザラ族だと思ったというほど私はハザラ族に似ているらしく、モスクに行っても、自分で言うのもなんですがヴェールを巻いていれば、まず日本人だとバレません

このヴェールについて、後ほどじっくり書きたいと思います




では、まず中近東とニュージーランドでの結婚観について簡単にご説明します。

ニュージーランドでは、知らない人とアパートをシェアするのがごく当り前なので、カップル同士で一緒に住むことがそれほど珍しくなく、結婚していなくても1年以上、同棲していた場合、法的には結婚しているのと同じ権利がお互いにあるので、一方に非があって破局した場合、慰謝料が既婚者の離婚したケースと同様に請求できます。

このように、籍を入れずに同棲しているカップルたちをパートナーと呼び、離婚をするのに時間(離婚申請して2年間)のかかるニュージーランドでは、結婚よりパートナー制度のもとに籍を入れない事実婚をするカップルが年々増えています。また、パートナー制度は片方のパートナーが外国人の場合、永住権申請にも適用されるため、キウィ(ニュージーランド人)のみならず、外国人にも人気です。

一方、中近東ではドバイですら、結婚前のカップルが同居しているのが発覚した場合、逮捕されてしまうらしいです…

本当に、出会った場所がニュージーランドでよかったです

まぁ、私達は他のアフガニスタンカップルと違って、結婚前から一緒に住んでいたので、住居を変える必要はなかったのですが、結婚後すぐ新しい家に引っ越しをして、アフガニスタンの風習にのっとった、新居お披露目パーティ?みたいものを今更ながらに、させていただきました。

私達が新婚の時、住んでいたマウントイーデン(幽霊が出ることで有名)


マウントイーデンにある、ワントゥリーヒルは観光名所です


ちなみに、ビバリーヒルズ青春白書のパクリみたいなドラマで、ワントゥリーヒルというのが、ニュージーランドでありますDVDが出ているので、気になった方はチェックしてみてください
 


閑話休題
話をブログの冒頭でも触れたヴェールの話に戻すと、中東の常識では、女性には判断能力がないとされているので(ヒドイ)、代わりにその女性の家族や夫に責任があるとされ、女性が犯した罪でも、男性親族が罰せられるケースがあるそうです。そんな、社会的背景からか、結婚後、今まで何も言わなかったアリが、ヴェールをかぶるようにと、口うるさくなりました


イランに多くみられるアバーヤを着た女性たち


今までは、イスラム社会の公の場に私が登場することがなかったので問題なかったのですが、ヴェールのみならず、露出の多い服装(スカートや半袖)も着ないように要求され、大好きなマニキュアも禁止(イスラムではマニキュアをしている部分が洗えないという理由で禁止)

もちろん、男友達と公の場で会うことも、お酒を飲みに行くことも、ハラル(イスラムで決められた方法で処理された肉)じゃないという理由で、外で日本食を食べることも、ぜーーーんぶ、全部、ダメ

そんな、アリの夫としての葛藤と、こちらのストレスの限界で等々、紛争勃発
引き金を引いたのは、ニュージーランドにある日本人向けクーポン雑誌の表紙に私が出てしまったことです。


元々、私はニュージーランドの日系ラジオ番組 Mid night Japanのパーソナリティをさせてもらっていたのですが、雑誌の件でラジオ番組へ出演するのも禁止とアリが言いだしたので、私の堪忍袋の緒が切れ、とうとう紛争勃発に至りました

前回のブログにも登場した、イラン人マダムが間に入って下さり、話し合いの末、今後、雑誌やテレビなどは顔が出るので、出演しないようにするが、ラジオは声だけなので出演を許可してもらい、ヴェールや、もろもろ中近東の習慣をニュージーランドでこなすのは難しいので妥協し合うということで、話し合いを終え(なんだかんだ言っても、イスラム圏でも女性の方が涙という武器があるので?強いと思います)、現在はモスクやイスラム系のイベント以外ではヴェールをかぶらないという方針で落ち着いています

とはいえ、決定的にアリがヴェールをかぶってニュージーランドで生活するのはキツイと感じたのは、ヴェールをかぶっていると、いくらニュージランドにイスラム圏の方が多いとはいえ、やっぱりジロジロ見られるからだと思います

道を歩いていても、何人?どこから来たの??と悪気はないのでしょうが頻繁に声をかけられ、ゆっくり買い物すらできませんあげくの果てにはアリがトイレに行っている隙にインド人の男の子にナンパされちゃいました

さらに、私はヴェールを被り慣れていないせいか、気がつかないうちに取れちゃっていることもしばしばで、本来のヴェールの役目を全く果たしていませんでした

アリはアリで夫の役目を果たそうとする反面、夜遅くでも友達を家に呼んでご飯を振る舞ったり(作るのは私です)、出かけても連絡一つよこさずいつまでも帰ってこなかったり(男と女は違うそうです)、ご飯を手で食べたり(アフガニスタンの習慣です)、未だに本当の年齢が分からないし(紛争で書類が燃えちゃっているので、正確な生年月日不明)、兄弟にもちゃんと紹介してもらってないし(残念ながら、母はタリバンに射殺され、父は去年他界したので両親にはご挨拶できませんが…)、クリスマスはお祝いできないし(クリスチャン系のイベントに乗り気じゃないらしい)で、私からすると、何とかならないものかという点が多々あります…

まぁ、私は私で、アリの期待に応えて頑張りたいところですが、どう頑張ってみても、私がアフガニスタン人になれないのと同じように、アリも日本人にはなれないので、無理なものは無理と、結婚してお互い諦めたり譲歩することが大事だということを知りました。
夫婦とは言え、ぜんぜん違う国で育った宇宙人同士みたいなものなので(笑)だから、なおさら発見や感動が大きくて楽しいです

結婚は、スタートという言葉が身に染む今日この頃です





私の出演している、日系ラジオ番組 
ミッドナイトジャパン!Planet FM 土曜10:30PM~12:05AM



インターネットでも聞けます

http://www.planetaudio.org.nz/player/player_livecapture.php?id=59455

君のためなら千回でも 紹介サイト
http://eiga.com/official/kimisen/

ニュージーランドの日系雑誌MJホームページ
http://www.mjjapan.co.nz/




 


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アフガニスタン人と結婚しちゃいました~ 結婚式編

2009年07月10日 | 日記
まいど、おおきにー

南半球、ニュージーランドより愛をこめて、前回に引き続き、関西弁で皆様にごあいさつ

 

結婚式と関連があるので、まず私と旦那アリの信仰についてお話したいと思います

アリはイスラム教徒シーア派で、私はキリスト教プロテスタントを信仰しています

イスラム教徒は啓典の民と言われる、ユダヤ教とキリスト教の信者との結婚が認められています(イスラム教、女性信者は不可)
イスラム教での結婚は2種類あって、永久婚と、結婚の期間が決められた一時婚があります。一時婚は1日から100年でも1000年でも、新郎新婦が思うままに決められ(私は後から何年でも設定できることを知りました)イスラム教徒が他の宗派の信者と結婚するときは永久婚ができないため、他信者と結婚する場合、他信者が改宗しない場合は一時婚をすることが多いようです。

私がイスラム教徒ではないため、モスクから偉い人が私達の結婚式のために到着した後、私だけ別室に呼ばれました。

そこで初めて、まず永久婚と一時婚の違いについてアリからあいまいな説明があり(彼は一時婚については1年くらいとかナントカ言ってました)
やっと2人で話す機会があると思った矢先、すぐにモスクの偉い人がお部屋にいらして、イスラム教とキリスト教の違い、と永久婚と一時婚について簡単なレクチャーをしていただきました。イスラム教もキリスト教も同じ神を信じ、違いはイエスキリストを神の子と信じていないこと、イエスキリスト没後に現れた、モハメッドをはじめとする預言者達(12イマーム)の存在が違うということを教えていただきました。
なんと、この偉いお方の奥様もイギリス人の(元々は)クリスチャンの方で、彼と永久婚するために改宗なさったとおっしゃてました。イスラムの戒律がキリスト教の戒律より厳しいので、将来的にも彼と人生を共にするのであれば、私の改宗は必然だと感じ、改宗することを決心。


正直、私の人生はイエス キリストと出会っていなければかなり迷走していたと思うので、結婚式が始まるまで、かなり悩み、そして、イエス様ごめんなさい…という気持ちでいっぱいでした。それは結婚した今も変わらず、信仰については私の人生のメインテーマです




話を、私達の結婚式に戻すと、まず結婚式は私のイスラム教徒になるという、信仰告白から始まりました。神の言葉はアラビア語であると信じられているため、信仰告白も結婚の誓いもアラビア語で行われました。ドバイに永住権を持ち、14年住んでいてアラビア語ペラペラのアリはともかく、英語も日本語すらあやしい私にとっては、かなりキツかったです



そんな私のために、モスクの偉い人がゆっくりと言ってくれた

アッラーなんちゃらかんちゃらなんちゃら?なんちゃらかんちゃら、あららっらー?(正確にはラッラー)なんちゃら~

を復唱し、無事、信仰告白を終え今度はいよいよ夫婦の誓いの番です

イスラムでは新郎側から新婦に物なり(純金が好ましいらしいです)現金なりを贈らないと結婚が認められないらしく、しきりに何を新郎から欲しいかと聞かれ、そんなことはまったく寝耳に水だったため、かなりビックリしてうろたえてしまいました




一瞬、脳裏に車…と浮かびましたが、彼にはたくさんの愛をいただいておりますので何も要りませんと、日本の常識だとパーフェクトにお答えしたのですが、何やら出席者一同、モスクの偉い人も困った様子幸い、婚約指輪が純金だったため、指輪の贈呈で事なきを得たものの、先ほどの信仰告白に続いてやっぱり、またアラビア語で誓いの言葉…
てんやわんやで、アラビア語での誓いの言葉が済んだ後は、なぜか指輪交換の前に写真撮影




どうやら、指輪交換も誓いのキスもイスラムではないらしいと思っていると、お菓子が運ばれてきて、先ほどのイラン人マダムにおひとつどうぞ~と勧められるままに一つとってパクリ

何故か一同、大爆笑

なんでーー??と驚愕していると、皆様ゲラゲラ笑ったまま、これは誓いのキスと同じような儀式で、新郎新婦がお互いに食べ物や飲み物を交換して、食べさせ合うことによって身も心も一つになるという大切な儀式だと教えて下さいました

この儀式、見ていると非常に簡単そうに見えるのですが、実際やってみると二人羽織りに似て難しく、



面白かったです



あまりにも面白かったので、キャッキャいって遊んでいたら、怒られてしまいました

儀式の後は、結婚証明書(アラブ語と、さすがに英語)にサインをして、



やっと指輪交換

 
 


和やかな雰囲気で式も終わり、みんなでお食事会?というか、いわゆる日本で言うと披露宴にあたるのでしょうか
いつものように、アフガニスタンスタイルで大きなレジャーシートのようなランチマットをカーペットの上に広げ、油をふんだんに使ったコルマ、数種類のスパイスを使って肉と玉ねぎを煮た、トマトベースのカレーみたいな料理(以外と辛くない)や、ほうれん草とネギをディル(ハーブ)と一緒に炒めたもの(原型がなくまで油で長時間炒めてある)などを、サフランライス、サフランを入れて長米のバスマティライスを油とスパイスで炊いた黄色い色の付いたご飯、またはナン(インドと同じ、平たいパン)でいただきました



なんだか、怒涛のような一日で結婚って大変だな~とつくづく実感させられました

次回は、アフガニスタン人と結婚しちゃいましたシリーズ(?) 完結編をupしたいと思います













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