今週は水曜日に祝日があるだけなんですが、すでにゴールデンウイーク前半だったんですね。
ちょうど20年前、1989年の晩夏というか初秋。
2週間の夏休みを貰い、旅に出たのでした。
8年間いたヨーロッパでの最後の夏休み。
最初の年は休みがもらえなかった記憶がある(と言っても、ワールドカップのバックアップでマドリードに3週間半いたので、夏休みみたいなもんでした)ので、その間の6回はどこへ行ったのか思い出を辿ってみました。
1983年は、おんぼろパサートを転がして、南ドイツからスイス、リヒテンシュタインそしてオーストリーのチロル。これは前に少し書きましたね。
1984年からは、少しまともなアウディ80で、まずはルクセンブルグ、南フランスからアンドラ、スペイン、またフランスに戻ってモナコ、イタリア、またフランスに戻ってスイス。
1985年は、弟が来て、また南ドイツロマンティック街道からスイス、イタリア、モナコそしてまた南フランスからパリまで。この旅行中に日本では日航機の大事故がありました。
1986年はツアーでギリシャのロードス島。
1987年もツアーで、南スペイン、アンダルシアめぐり。
1988年、ソウルオリンピックの年が思い出せないので、日本に来ていたのかも。
まだ報告しなければならないツーリングが沢山あるということですね。
それで、1989年は9月の1日に夜行列車でイタリアに向かったのでした。
実は帰りの切符しか残っていないのですが、こんな切符で、寝台車に乗り、ケルン、スイスのバーゼル、チューリッヒを通り、ゴッタルト峠を越えてイタリアへ。片道¥15,000ぐらい。
イタリアは15日間の一等車乗り放題パスを使いました。3万円弱かな。
朝着いたのは、ヴェネツィア。確か二泊はしたと思います。
駅前には怪しげな客引きが沢山いて、まずは宿の確保。この時の旅の宿は全て飛込みだったと思います。ヨーロッパで宿を探す時、面白いのは、小さなペンションなんかで部屋があるかどうかフロントでたずねると、必ず、100%まず部屋を見せられます。旅人は部屋を見て、値段を聞いて、決めるんですね。
ローマやミラノだと車に乗せられたりして、冷や冷やものなんですが、ヴェネツィアには車はないので、優しそうな親父を見つけて値段だけ先に聞いてから一緒に歩きます。
その親父のペンションに決めて荷物を放り投げ早速探索です。
ヴェネツィアがどんなところかは、行って見ないとなかなかわからないのですが、地図で見ると島です。江ノ島や志賀島みたいに本土と橋でつながっている、島。
その真ん中に大運河と呼ばれるS字型のメインストリートがあり、この大運河と、街の周りには中型の定期水上バスが、普通の街のバスのように走り回っています。
大運河にかかっている橋は三本だけ。
他にも小さい運河が蜘蛛の巣のように広がっています。
写真を見ると判ると思うのですが、島に建物が建っているのではなく、浅瀬に建っているんです。
だからここは島ではなく、アドリア海の浅瀬なんですね。そこに街がある。
道路の代わりに運河があるのです。
だから車の代わりに舟。
不便な街なんです。
普通運河というと、陸地を掘削して人間が作った川のことですが、ヴェネツィアでは、建物が並んだその隙間が結果として運河になったわけです。
もちろん永い歴史を刻んでいるし、オンリーワンの観光地ですけど。
この街の歴史は、塩野七生さんの物語でどうぞ。
全くの偶然なんですが、翌日が年に一度のゴンドラレース。
REGATA STORICA。良くそんな日に宿が取れたものです。
有料のスタンドもあるし、建物のベランダにも人が鈴なりでしたが、私は運河沿いの船着き場に陣取りました、もちろん無料。
さっぱりレースの仕組みはわかりませんでしたが、とにかく綺麗な舟が沢山通っていきました。
どんな食事をしたか、記録は残っていません。
15日間のツーリングパスで、このあと、ピサ、ローマ、ヴァチカン、シェナ、サンマリノ、ミラノ、モンツァ、コモ、フィレンツェを回りました。
私のカメラは、CANON A-1です。
ヨーロッパネタはこちらにまとめてあります。
右にある、"どんなネタが読みたいの?"のコラムから、「ヨーロッパの裏通り」をクリックしても同じ場所に飛べます。
ちょうど20年前、1989年の晩夏というか初秋。
2週間の夏休みを貰い、旅に出たのでした。
8年間いたヨーロッパでの最後の夏休み。
最初の年は休みがもらえなかった記憶がある(と言っても、ワールドカップのバックアップでマドリードに3週間半いたので、夏休みみたいなもんでした)ので、その間の6回はどこへ行ったのか思い出を辿ってみました。
1983年は、おんぼろパサートを転がして、南ドイツからスイス、リヒテンシュタインそしてオーストリーのチロル。これは前に少し書きましたね。
1984年からは、少しまともなアウディ80で、まずはルクセンブルグ、南フランスからアンドラ、スペイン、またフランスに戻ってモナコ、イタリア、またフランスに戻ってスイス。
1985年は、弟が来て、また南ドイツロマンティック街道からスイス、イタリア、モナコそしてまた南フランスからパリまで。この旅行中に日本では日航機の大事故がありました。
1986年はツアーでギリシャのロードス島。
1987年もツアーで、南スペイン、アンダルシアめぐり。
1988年、ソウルオリンピックの年が思い出せないので、日本に来ていたのかも。
まだ報告しなければならないツーリングが沢山あるということですね。
それで、1989年は9月の1日に夜行列車でイタリアに向かったのでした。
実は帰りの切符しか残っていないのですが、こんな切符で、寝台車に乗り、ケルン、スイスのバーゼル、チューリッヒを通り、ゴッタルト峠を越えてイタリアへ。片道¥15,000ぐらい。
イタリアは15日間の一等車乗り放題パスを使いました。3万円弱かな。
朝着いたのは、ヴェネツィア。確か二泊はしたと思います。
駅前には怪しげな客引きが沢山いて、まずは宿の確保。この時の旅の宿は全て飛込みだったと思います。ヨーロッパで宿を探す時、面白いのは、小さなペンションなんかで部屋があるかどうかフロントでたずねると、必ず、100%まず部屋を見せられます。旅人は部屋を見て、値段を聞いて、決めるんですね。
ローマやミラノだと車に乗せられたりして、冷や冷やものなんですが、ヴェネツィアには車はないので、優しそうな親父を見つけて値段だけ先に聞いてから一緒に歩きます。
その親父のペンションに決めて荷物を放り投げ早速探索です。
ヴェネツィアがどんなところかは、行って見ないとなかなかわからないのですが、地図で見ると島です。江ノ島や志賀島みたいに本土と橋でつながっている、島。
その真ん中に大運河と呼ばれるS字型のメインストリートがあり、この大運河と、街の周りには中型の定期水上バスが、普通の街のバスのように走り回っています。
大運河にかかっている橋は三本だけ。
他にも小さい運河が蜘蛛の巣のように広がっています。
写真を見ると判ると思うのですが、島に建物が建っているのではなく、浅瀬に建っているんです。
だからここは島ではなく、アドリア海の浅瀬なんですね。そこに街がある。
道路の代わりに運河があるのです。
だから車の代わりに舟。
不便な街なんです。
普通運河というと、陸地を掘削して人間が作った川のことですが、ヴェネツィアでは、建物が並んだその隙間が結果として運河になったわけです。
もちろん永い歴史を刻んでいるし、オンリーワンの観光地ですけど。
この街の歴史は、塩野七生さんの物語でどうぞ。
全くの偶然なんですが、翌日が年に一度のゴンドラレース。
REGATA STORICA。良くそんな日に宿が取れたものです。
有料のスタンドもあるし、建物のベランダにも人が鈴なりでしたが、私は運河沿いの船着き場に陣取りました、もちろん無料。
さっぱりレースの仕組みはわかりませんでしたが、とにかく綺麗な舟が沢山通っていきました。
どんな食事をしたか、記録は残っていません。
15日間のツーリングパスで、このあと、ピサ、ローマ、ヴァチカン、シェナ、サンマリノ、ミラノ、モンツァ、コモ、フィレンツェを回りました。
私のカメラは、CANON A-1です。
ヨーロッパネタはこちらにまとめてあります。
右にある、"どんなネタが読みたいの?"のコラムから、「ヨーロッパの裏通り」をクリックしても同じ場所に飛べます。
海外旅行した事ない(飛行機苦手)私は、このコーナを楽しみにしています。
しかしご本人若かったですね・・(当たり前)、いや今でも十分若いですが(笑)
20年前の写真、まったく退色してませんね。リバーサルだとしたら、空の群青色からコダックKR64でしょうか。
欧州縦横無尽。仏・独・伊語に通じていると、きっとこんなふうに旅ができるのですね。
ヴェネツィア、住んでいる方々、湿気はどーなんでしょう。近年、地盤沈下が深刻と聞きました。
ヨーロッパ旅行に思わず絶句してしまいました。
私も行ってみたいです、行きたい!!
ドイツ語イタリア語が出来るとコメントにありましたが、
さすがです。こちらにも絶句してしまいました。
時間と資金があれば、世界遺産と友達に会い行きたいです。αをつれて海外に行ってみたいです。
ヨーロッパを満喫された様子がよく分かりました。
私はきっと、生まれ変わったら…です!
どう見ても20前後じゃないですか
信じられないです
飛行機が駄目ですか
狭いところだと直立不動になってしまいますもんね
kazuさん
yumikoさん
すいません
ドイツ語はレストランで注文できる程度、
フランス語とイタリア語は数字と挨拶までです。
片言のなんちゃって英会話と6ヶ国語会話集で何とかなりますよ、あとは貧乏旅行ルックが大事。
shishiproさん
ヨーロッパを満喫って、
一方では休み無しで仕事もしてたんですけど
大名マークさん
ありがとうございます
33歳の時ですね