忘備録の泉

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日本のエネルギーを考える②

2018-09-08 10:53:11 | Library
オイルショックの衝撃は大きかったが、資源小国日本は二度のオイルショックを危機バネとして蘇った。
省エネ技術と合わせ、原発の導入も大きく貢献した。

原発の議論を進めることは、福島原発事故以降はタブーのような感じになっている。
しかし、日本は原爆の被害を受けた唯一の国であり、そのパワーを平和利用して重大な原発事故を引き起こしてしまった国でもある。
日本人である以上、この問題から目をそらしてはいけない、と私は思う。
それにしてもこのテーマは、実に複雑で多面的で、今もなお正解というものがない。

そもそも原子の力を発見したのは誰であろうか。
1938年、オットー・ハーンというドイツの科学者が、新しい実験を開始した。
すでに宇宙にあるすべてのものが途方もなく小さな粒子「原子」でできていることは知られていた。
その原子自体もさらに小さな粒子でつくられており、原子の中央には原子核があって陽子と中性子が詰まっており、原子核のまわりを電子が取り囲んでいることも明らかになっていた。
原子のなかには放射能をもつものがあり、そうした原子は原子核が不安定なため核から粒子がひとりでに飛び出してしまう。
ハーンはウランという金属で実験を始めた。
ウランは自然界で最大の放射性元素だ。
不安定な放射性元素のそばにウランのかけらを置けば、その元素の原子核から粒子が飛び出して、一部がウラン原子にぶつかるはずだと考えた。
実験の結果、ハーンは不可思議な現象を発見した。
中性子の一部がウランに当たり、その衝突の力でウラン原子がふたつに割れたのだ。
原子がふたつに割れるという発見が世界を変えることになろうとは、当時のハーンには想像もできなかった。
原子が分裂する際に放出されるエネルギーは想像を絶する。
なにしろひとつひとつの原子は呆れるほど小さいのだから、この分裂システムが完成すればとてつもないほどの爆弾がつくりだせる。

この発見はまたたく間に物理学の世界に広まった。
時は、ヒトラー全盛期という不幸な時代であった。
原子爆弾の開発を目指して、アメリカ、ドイツ、ソ連が三つ巴の競争を始めた。
そして、アメリカのオッペンハイマー博士を責任者としてイギリスやユダヤ人の科学者をも集めた「マンハッタン計画」が進み、原爆開発に成功。
ドイツの敗戦・ヒトラーの死、とうとう日本に2種類の原爆が落とされた。
広島にはウラン型原爆、長崎にはプルトニウム型原爆の2種類である。
慌てたソ連も、このプルトニウム型原爆の設計図をスパイの手によって入手し原爆実験に成功する。
1個の原爆には4キログラムのプルトニウムが使われるが、そのプルトニウムは比較的小型の原子炉でも製造できる。
日本の原子力発電所からも生み出されているプルトニウムから原爆はつくれるが、その平和利用計画が高速増殖炉だ。
永遠のエネルギー資源ともいえる夢のような高速増殖炉だったが、福島原発事故はその未来も奪ってしまった。

「マンハッタン計画」では史上最悪・最凶の原爆をつくってしまったが、そのしょく罪として世界中の科学者を集めた「新○○計画」を立ち上げて地球にやさしい安全・安心なエネルギーの開発は望めないものだろうか?
このままでは資源小国・島国日本の未来は開けてこないし、止まらない温暖化は地球環境をいよいよ危うくする。

(参考文献:「スターリンの原爆開発と戦後世界」「原爆を盗め」「地下資源の科学」)



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