忘備録の泉

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哲学対話のルール

2020-07-03 09:39:30 | 読書
ただ人が寄り集まって、輪になっておしゃべりを始めれば、対話が哲学的になるわけではない。
人と話をすれば、いろいろと気づくことも考えることもあるだろうが、それが「哲学対話」とは言えない。
対話を哲学的にするのは、そのルールである。
ファシリテーターが進行役となり、議論の整理をしたり、複数の意見の関係を聞いたり、参加者に率先して質問したりして、思考を促す。
一般的に行われる「8つのルール」をあげておこう。
①何を言ってもいい。
私たちは、何でも言っていいところでしか、自由にものを考えることはできない。
しかし、日常生活の中で、何を言ってもいい場というのは、まったくと言っていいほど存在しない。
もちろん何でもかんでも言いたい放題言っていいわけではない。
発言には節度が必要であり、社会の基本的なルールをわきまえねばならないが、対話の場ではこれまで受けてきた“語る自由を奪う教育”から解放されることが必要だ。
そうはいうものの「言いたいことを言わない」のは、日本のしつけと教育の見事な成果であるから、その壁を壊すのが難しい人もいるだろう。

②人の言うことに対して否定的な態度をとらない。
壁を突破し「何を言ってもいい」ようにするには、正しくなくてもいい、よくなくてもいい、誰かの意向を気にしなくてもいいようにすればいい。
つまり「違う」「ダメ」「おかしい」「アホか」などと言われたり思われたりしないようにすればいい。
だからルール②の「人の言うことに対して否定的な態度をとらない」が必要になる。
哲学対話で必要なのは、自由と多様性である。
それが思考に深みと広がりを与えて、「みんなのための哲学」になる。
そのためにもどんな意見や考えに対しても、否定的態度をとらないという配慮が必要なのだ。

③発言せず、ただ聞いているだけでもいい。
無理矢理言わされても、ほんとうに自分で考えた言葉は出てこない。
そんなことなら、何も言わないほうがマシだ。
話したくなければ黙っている自由がなければ、話したいことを話す自由もない。

④お互いに問いかけるようにする。
「何を言ってもいい」は、とくに「問うこと」に向けられなければならない。
つまり「何でも問うていい」というのが大事である。
そもそも問いがあってはじめて思考が動き出すわけだから、問いかけができなければ、対話で思考を深めたり広げたりすることはできない。
哲学とは、考えることであり、「分からないことをふやすこと」である。
だから別の言い方をすれば、「分からなくていい」「何を質問してもいい」ということなのだ。
問うことの難しさに戸惑うことなく、とにかくお互いに何でも問いかけてみよう。

⑤知識ではなく、自分の経験にそくして話す。
対話のときに知識に基づいて話したり、人の言葉や何かの用語を引き合いに出すのは、権威づけをして、それによって自分の優位を示そうとしていることが多い。
知識はいわば武器であって、勝つことを目指す論争では、それを身につけて使いこなすことが不可欠だが、それは、強者になるための手段である。
そうなれば、もう対話でなくなる。
経験に基づいて話をすれば、対等に話ができる。
自分の言葉で、自分の経験や思いと結びつけたり、身近な例を出したりして話せばいい。
対話は、誰かが一方的に誰かに教える場合でもなければ、共有できない個人的な意見を言い争う場でもない。
「哲学対話」の場は、「共に考える」場でなければならない。

⑥話がまとまらなくてもいい。
私たちは問いに「答え」を求めがちである。
答えがあると安心する。
もちろん何でもかんでも問うて考え続ければいいわけではない。
答えがでることはいいことだ。
だが無理矢理、お手軽な、安直な、いかにもそれっぽい結論で思考を止めるのはもったいない。
お互いに問い、考えた結果、結論が出るのであれば、それでいい。
大切なのは、言いたいことを言い、問いたいことを問い、考えるべきことを考えたかどうかなのである。

⑦意見が変わってもいい。
哲学対話では、みんなでいっしょに考えているだけなので、それまでに言われた意見とは違うことを言ったり問うたりするのは、必要なことだ。
みんなで考えているのだから、考えを深めたり広げたりするのであれば、個々人の意見は変わってもいい、それどころか、意見が変わるということは、思考が深まった、広まった、違う角度から考えた、前提が問い直されたということだから、むしろ望ましいことだ。

⑧分からなくなってもいい。
「分からなくなってもいい」は、もっとも哲学的なルールである。
分からなくなるというのは、問いが増える、考えることが増えることなので、より哲学的になれるということである。
要するに、対話では分からなくなることは、むしろ素晴らしいことなのだ。


(梶谷真司著「考えるとはどういうことか」より)

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