本庄市倫理法人会 RINRIN

本庄市倫理法人会のおしらせ

コアラだより598(坂本会長からのお知らせ)

2011-07-12 16:16:28 | 会長からのお知らせ
 前回のモーニングセミナーは、洋画家の清水ハルマン氏。「絵は人の心を癒す」のテーマで、お話を頂きました。二十七社四十二名でした。
 氏は、熊谷倫理法人会へ九年間入会しておりました。懐かしく涙が出るようです。絵は心を癒す、心から癒せると思います。
 一九五〇年九月十九日生まれ。長崎県出身で、熊本育ちの日本の洋画家。宇宙のイメージや曼茶羅をモチーフとした、「パラダイス界」と銘打された独特の世界を押し出した一連の作品で知られる。
 父はアイルランド系ドイツ人で、幼児期に死別。母は日本人。俳優の清水章吾は夫(互いに再婚同士)、娘は女優の清水響美。母親の家は、桑名運送です。父の名前は、オニホルマン・ジョエルホフマン。貿易をしていました。ハルマンの名は、画廊はる美のはると、ホフマンの名を取りました。ギャラリーを営んでおります。
 父が日本に来て、私に会いに来たのが最後でした。インディアナに姉が住んでいます。幼少の時はハルマンと呼ばれなくて、キンパツとか言われていて悔しかった。私の母は洋裁店で働いていた。一ヶ月で一着しか縫えない為、一ヶ月千円で暮らしていた。十四歳まで、馬小屋で生活をしていました。水を飲みに行くのに、庭へ行って貰う生活をしていたのです。
 カレンダーやチラシの裏に絵を描いていました。頭が良かったので、奨学金を頂いて学校へ入った。その時はオリーブと言われ、栄養失調でした。喘息持ちで、入退院をしていました。十九歳の為、箱根の森のインフォメーション、蒔屋ホテルで仕事をしていた。ある日、フィリピンのマルコス大統領の親戚が来て、私の絵を見てすごく褒めてくれて、「フィリピンで絵を習わないか。」と誘われて、フィリピンに行きました。
 スチュワーデスの宿に泊めて頂いて、映画を見ていました。日本航空の誇りです。空港から車で三~四時間かかって着いた所に、日本で会った方に会いました。一対一で絵を習いました。フィリピン語で「トトイ」は、こんにちは。私は、黄色が好きなんです。
 メイドが五人付いて、一日三回着替えをする。何もかもしてもらうので、ノイローゼになってしまう。日本へ三日間だけ帰して下さいと言って、それきり帰っていない。そして、日本でモデルの仕事をしていた。
 一度目の結婚は、熊本の財閥の息子でした。そして子供二人に恵まれたが、その生活が嫌で子供を連れて東京へ行き、クラブ姫で働き始めた。住まいが無いのでマンション生活。月に百万位稼ぐ。車の運転免許を取りに行った時に、今の清水と出会った。縁があって結婚した。清水との間に子供を一人授かり、三人目になりました。清水は大きな借金があり、変な事になり、私は絵を描き始めた。夫の親戚の行事にも呼ばれない。所沢に家を買って住みました。毎月二十万円払う。茶畑は喘息には駄目だと言われ、売って熊谷へ引越したのです。熊谷で絵画教室を拡いた介護のゆりかごがあります。
 皆様も是非一度、ハルマンさんの絵画教室へ心を癒されに行ってみませんか。