盂蘭盆会・・・
ちょいと 拝借して 引用
目連尊者はお釈迦様の十大弟子のひとりです。
神通力を使って今は亡き母親の姿を探したところ、餓鬼道(飢えと渇きに苦しむ世界)に
落ちて苦しんでいるのを見つけました。
母親は目連を溺愛するあまり、他人を顧みなかったため、餓鬼道に落とされてしまったのです。
逆さ吊りにされ、飢えに苦しむ母親を救おうと、目連は水や食べ物を差し出しましたが、
口に入る直前に 火と変わり燃え尽きて灰になって 返って苦しめてしまいます。
なすすべなくお釈迦に相談すると、お釈迦さまは
「夏の修行が終わる日(旧暦7月15日)に、修行僧全員にご馳走をふるまえば、
餓鬼道に落ちた者にも施しの一部が届くだろう」と答えました。
お釈迦様に言われた通りにすると、修行僧たちは大いに喜び、
功徳によって目連の母親を餓鬼道から救うことができました
一般的に この話はぁ~ 先祖供養に導かれるのっすがぁ~
本当の解釈は わしゃ 違うと思う・・・
第一 お釈迦様は 死んだ人間に回向する方法を 弟子に尋ねられた時
池に石を放り込み 「深く沈んだ石が 念力で 浮かびがるかい?」と
答えたという説話があるくらいだ・・・
仏教ってのは 生きている人間の教え この世を卒業した人間の教えでは
ないのではないかと 思っている 今日この頃です。
だ~って 生まれて来る時も 死んで行く時も 一人なのですからね・・・
やけん 言うても 先祖に手を合わせる事は 感謝という意味で とても大事ですけどね
今、生きている人間としての私なりの解釈はと言うとぉ~
この中に 目連は あの世での 母親を救おうと神通力で 水や食べ物を
差し出すが 母の口に届く直前 火と変わり 燃え尽きて灰になり・・・返って苦しめてしまう
とありますな ここ大事 だ・か・ら 「正しい仏法」を使えと云う意味なんでしょうな・・・
修行僧に馳走を振るまえっていう意味は 皆が豊かになる教えを広める人を 育てて 応援しなさい
そうすりゃ 法は広まって行き 格差はなくなり
人間がケチにならなくても生きて行ける世の中になるよ・・・っちゅう事なのではないかと・・・
よく言うでしょ 「人は 衣食住事足りて 礼節を知る」って・・・
どうっすか この三十年間・・・
確実に 仏法に違背している だ~れも 喜ばない世の中・・・
否 喜んでいるのは 人の茶碗を叩き落しででも 金持ちになりたい連中が
世の中の中枢に躍り出て 権力を支配しているのでありますな
今だけ 金だけ 自分だけの人間(餓鬼道)が どんなに 善人面して 祈り倒したり 人を救うと
ホザイテも こやつらのヤルことなす事は 生きている人々を 結果的に 返って苦しめてしまうと
云う事なのではないかいな・・・・と だ~って 人に施せないほど 皆、生きていくことが辛い
貧しい世の中 つまり 格差社会は仏教の教えとは相反しますからねェ~
ま~これは 信者の浄財で 一部の人間だけ肥え太ったカルト団体や政治団体に言える事なのですがね・・・
死んだ人さえ 苦しめてしまうくらい 不利益で 罰当たりな事www
いやね 口では言うんですよ 世界平和とか 民衆救済とかwwww
本気で そげな事は考えていませんから 自分らの保身ばっかし・・・・だから 消費税に反対もしない。
この方達の常套句は 「仏法を広めるためには 金が要る」ですwwww
本気で言っとるのか あんた!?と突っ込みたくなりますが 本人たちは 真面目にそう思っていますwww
詐欺師は太りますが 今の世同様 騙され続ける人々にゃ~ トリクルダウンなんざ~ありませんwwww
さ~ 次の解散選挙も 洗脳された 思考停止の 馬鹿票が 国民を苦しめる政権を勝たせ 存続させるでしょう・・・・
如何でしょう 皆の生活を牛耳る政治の世界で ここ三十年 何か良い事がありましたかな?
自分の頭で考えよう・・・・本気で 私利私欲ではなく 皆の生活を向上させたいと 叫んでいる
議員・・・ちゃ~んと居りますがね。大企業や外資・金持ち優遇では無く 直接 庶民を救え!と
叫んでいますよ。(とアル 人達は絶対に無理だと 罵倒する有様)そりゃそうでしょう
人々の希望を奪うのも 戦略ですからな・・・
ps 餓鬼道に落ちている人間達が言う 綺麗事や スローガンや決意は いつも 真逆になるでしょう
それはね 因果でいうと 因という種の中に 自分の私利私欲があるからなのであります
だから 言った事の 逆の花が咲く あ~ら 咲いてみてビックリwwwww これ 道理!
令和6年 追記:
さ~今年は 大変革の年 年頭、悪い事が起こりましたが
始め悪けりゃ 終わり好 選挙に行きましょう・・・毎度の事ながら カルトに騙されませぬように
仰る通りだと思います。
何とかしないと日本は無くなります。
もうですね 堂々巡りですね・・・
いつ迄経っても 悪さする連中の天下です
これが極まると 亡国となりますね
なぜ こんな簡単な事が分からないのか
憂慮に堪えませぬな・・・
本当に一人一人が考えなくてはなりませんね。
私は特に宗教は無いのですが、親鸞は阿弥陀の光に包まれて念仏を唱えればいい、10偏でなくても念ずる気持ちが大切と説いていますね。お布施もしなくてよいとも。
政治は祭りごとと言われますが、親鸞の教えからは全く遠いところにあると思っています。
私の解釈ですが、
「(修行僧は世界中にいて)目に見える修行僧に御馳走をふるまっても、それは自己満足でしかない。なので、母親を餓鬼道から救うことができたと思うことも、自己満足でしかない。」。或いは、簡単に言うと「カネやモノではなく、(生きている人の)心の持ち方しだい。」
と云う事だと思いますが、どうでしょうか?
なるほど 鋭いですね 流石です。
死んだ人を利用する おためごかし的
な理由を破折するには その方が
正解かも・・・葬式だって ありゃ
遺族の納得が優先され 故人がどう思って
いるのか わかりゃ~しない。
そんなに 大切なら 生きている時に
大切にせよ・・・って事でしょうかwww
親鸞聖人の考えとても 素晴らしいとおも
います。私は日蓮信奉者でありますが
親鸞聖人の教えの素晴らしさに感動して
おります。
弟子たちの 行違った対立が 両者、
大正哲の仲を悪くしているような気がして
残念でなりません・・・
やっぱ 受け手の仏教の運用の仕方で
ひっちゃか めっちゃかに なっちまう
・・・政教分離とはいいながらも
本当は 宗教が政治を良き方向に
導いていかねばならぬのに
悪い方へ アクセルを踏みまくっている
・・・親鸞上人も日蓮上人も
さぞ 嘆かれていることでしょう・・・
コメントありがとうございます