社長のひとりごと

~第2弾!本きもの松葉社長のブログ~

偶然というもの

2014-02-04 13:50:13 | 日記
偶然はコントロールできない必然。
必然であるけどもコントロールできないから偶然となるみたいな。
しかし、必然も行動を起こさないと生まれない。「奇跡」も「運」もその場に到達しないと起こらない、つかめない。
べたな表現ですが宝くじも買わないと当たらないのです。
ただし、宝くじは「成功に至るコントロールできる範囲」が非常に小さいのです。
例えば発行枚数を全部買えば当たるわけですが(損得は別にしてそれはコントロールしています)、一枚で1等賞を当てようと思えばコントロールできる範囲は何億分の1になるのです。
そう思えば、自分が日々一生懸命に携わっている仕事は成功に至るまでのコントロールできる範囲が非常に大きい。
そしてコントロールするものは「熱意」「努力」であって完全に自分がコントロールできる範疇です。
だから、同じやるなら成功の確率が高くなるように「熱意」をもって「努力」を積み上げたいものです。
行動を起こすこと、素直に頑張ること。
今より上を見ると、「できないことを出来るようになりたいんだから」しんどいのは当たり前。
しんどさには耐える。そうすれば慣れてくる。
しんどいのが嫌ならばやめたらいいけども、しんどい思いをしないと願うものは得られない。
ええんちゃうんかな、それで。周囲から恥ずかしいと思われるぐらいに頑張りたいものです。
まだまだ足りないなあ。
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葛藤

2014-02-04 13:48:41 | 日記
「マツタケ採り放題!爆採れ!」という看板に誘われ高いお金を払ってマツタケ山に入ったが、全くマツタケが見当たらない状況に陥った時、ふと見ると「ここから先は侵入禁止」という張り紙とロープが張ってある。
ロープの向こう側にちょっと手を伸ばせば取れそうな位置に立派なマツタケが生えている。手を伸ばせば取れる。でもそこは禁止区域。
でも手を伸ばせば取れる・・・
土俵際と同じで足が出ていなければ空間はOK?棒かなんか道具を使って取る?など考えをめぐらします。
又は採ってしまった場合の言い訳などを考えます。
でも基本は取ったらあかんとわかっています。それは十分に分かっているのです。
何とか言い訳を考えて採ったとする。しかしそれは主催者側の罠かもしれない。僕たちの良心を試す罠かもしれない。
マツタケを抜いた瞬間、ファンファンと大きなサイレンが山中に響き渡るかもしれない。
または、マツタケを抜いた瞬間にマツタケの傘の下から妖精のおっさんがチョロンと出てきて「バ~カ」と言うかもしれない。恥ずかしい。
更に言わせてもらうと、マツタケの下に妖精のおっさんが埋まっているかもしれない
・・・そのマツタケはなんやねん!
う~ん、やっぱり採ることを諦めてマツタケ山に入ったことをイベントとして捉え、採れないで元々と納得することが最善か。
下山してお店でマツタケを買って帰るのがいいかもしれない。
それもそうやね。マツタケ山に入ってマツタケがぼこぼこ取れるわけがない。入山料は期待料です。その期待料に見合った体験が出来ればマツタケなんて取れなくて良いのです。見合った体験を提供できればいいのです。
それで全員ウィンウィンです。
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