今こころのままに~よさこい館

よさこい祭り関連のみのブログにしました。

春の足音

2006年03月28日 | 幸せ受信
ご近所のこぶしの花です。

見事な大木で、毎年楽しみにしております。









お天気のいい日は瞑想散歩に出かけます。

寒い日はさぼっていたけど、やはり朝日を浴びて精神を集中させると
一日もすっきりした気分で始まります。


この季節は、同じ道を通っても毎日違う顔が見れて、それもまた楽しみなのです。


ほんの二日前の桜です。(市内桜開花基準木)



今日の桜です。






ちょうど七分咲きくらいでしょうか・・・。






この神社に来るようになってから(無宗教なのですが)この御神木の楠木が大好きになり
自然のパワーをたくさんもらっています。
写真ではわかりずらいと思いますが、とても神々しくて大きいのです。






しだれ桜はもう少しですね。






でも、一部のせっかちさんが咲いていましたよ。



本当は日の出の時間に起きられると最高なんだけどね。

うちのきらり王子(愛猫君)に4時頃起こされるのですが
早すぎるのでまた寝てしまうのです・・・。

せめて6時頃に起こしてくれ・・・。








最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お見事! (ジェラ)
2006-03-28 01:24:08
 こぶしの木、見事ですねえ。これだけ大きなこぶしはチョッとないですね。現地に行って見てみたい。

 ご神木の楠木もいい。とにかく大木はいい。実にいい。見上げると自分の小ささが分かる。卑小なる己の存在を丸ごと飲み込んで、しかもそれが何故か爽やかな快感に思えてくる。自然の持っている奥深い優しさでもあり厳しさでもあるのでしょうね。 大木がご神木、鎮守の森になっていくことが「自然の摂理」のように素直に納得できます。

散策コースに巨木、大木がある幸せは愉悦。 気持ちが塞いでいる時は巨木に会いに行きます。



 義母様の一件、ニュースで報道されたこと、覚えています。 さぞ遣り切れない思いをされたと思います。

 加害者の「打算」に基づく卑しい行為はとても残念であり、同じ人間として許し難い。 ただ、加害者がごく当たり前の人であったとしたら、罪の意識が終生消え去ることは無いですね。忘れようにも忘れられるものではありません。不当に自分を「庇護」したことも。日々生活を今も続けているとは思いますが、ちょっとした意識の隙間に罪の意識は息苦しさを伴って襲ってきたりします。眠っている時間は安らかなものにはならない。そしてそれが本当の意味で「供養」ということになるように思います。一生続く、終わることのない「供養」が必ず続きます。少なくても自分の罪から逃げた人であるならば、罪の大きさは知っているはずだから。  

               一意合掌

返信する
Unknown (ゆみたか)
2006-03-28 11:52:56
◆ジェラシーさん

お久し振りです~。お元気でしたか?

こぶしの木は本当に見事なんです。大木に惹かれるのって、やっぱり意味があることなんですね。

あの楠木はなぜだかわからないけど、とにかく大好きで大好きで、いつも根元に行って座っています。

神社に行って参詣もせずにこの木の側でじっとしています(^_^;)

母親に抱かれている感じに似ているかも♪



義母の件はニュースでやったなんて初耳です!



そうですね。どんなに自分を庇護したとしても普通の人間であれば生涯罪の意識を背負っていくんですね。

もう相手を憎む気持ちもないし、苦しめるつもりもないけれど、亡くなった人への供養だけは一生してほしいものです。



ジェラシーさん・・・ホッとするコメントありがとうございました。

なんだか肩の荷が少し取れた気がします♪

返信する

コメントを投稿