本郷 隆 議員日誌

宮城県 女川町議会議員の活動日誌 『ふるさとに本気です!!』

【長男からのメッセージ…Ⅱ】

2009-09-10 21:19:48 | プライベート
 

 この8月3日(月)より20日(木)まで18日間をかけて、長男が埼玉県・越谷市から250ccのオートバイに乗って、四国八十八ヶ所を廻ってきました。
 この八十八ヵ所は私の父親が10年ほど前に2ヶ月半ほどかけてお遍路参りをしたのですが、長男なりに何か感じるところがあったのか、この度「大学3年生の今しかできない」ということで、挑戦したものです。
 プロフィールにも書いているように、私は愛媛県温泉郡中島町野忽那(現在は合併されて松山市となった)という松山からフェリーで30分くらいの瀬戸内海に浮かぶ小さな島で生まれ、小学校を卒業するまでそこで過ごしました。
 父母の生まれ故郷でもあるその島や松山市、そして神戸や大阪等、いわゆる四国・関西地区に現在でも親戚が住んでおり、長男は私の薦めに同意して親戚のところに立ち寄り、お世話になり、交流を深めてくれました。

再び長男から送られてきたメッセージを以下に紹介します。


   
  

 『賢明にそしてゆっくりと。速く走るやつは転ぶ。』
 シェイクスピアは、このように書いている。まさにその通り。

 一歩一歩、確かに確実に「歩み」を進めていくことは、単純であるが故に「苦痛」と「苦難」が伴う。
「近道」は得てして「遠回り」になる。なぜなら、足元を確かめながら進むこととは違い、周りの風景に眼を奪われてしまうから。
 時には「近道」をして、綺麗なものを見詰め、「花」を咲かせることも必要だろう。だけど、それだけでは駄目だ。
 一歩一歩「歩み」を進めることは、「花」を咲かせはしないけれど、一粒の「種」になる。
 それは、ゆっくりとした年月の流れの中で、「憧れ」や「尊敬」「夢」「希望」という目映い「光」を浴び、「哀しみ」や「苦しみ」の「涙」「汗」という美しい「雨」を吸い、「家族」「友人」「恋人」の「愛」という温かな「土」の中で生命を育んで、いつの日か「芽」を出し、「大輪の花」を咲かせるのだろう。
そこには、大きな「意味」と「意義」がある。とても「価値」のあることだと思うから…。



 この夏、僕は旅に出た。
 たった18日間、総移動距離2365.1kmの一夏の小さな大冒険…。
埼玉、東京、神奈川、静岡、愛知、三重、京都、奈良、兵庫…。そして、四国八十八ヶ所を巡るために、徳島、高知、愛媛、香川を…。頼りなくとも力強い黒い単気筒の単車に乗って…「道路が続いている限りどこまでも行ける」を合言葉に。

 「日本が狭い」と言っていたのは誰だろう?…それは、ただ「知らない」だけ…。
「集団」を飛び出し「個人」になって、「規制」から「自由」になった。そして「安心」は「不安」へと形を変えた。

 この旅の中で僕は、泣いて、笑って、怒って、不安になって…。疲れたのは「身体」だけじゃない。同じくらいに「感情」を使ったから。
 僕は自分自身に驚いた。自分がこんなにも「感情」が豊かで、それを素直に出せる人間だったということに。
 多分、それが「あたりまえ」なんだろうね。「あたりまえ」の人の在り方と本質なんだろうね。だけど、大人の階段を確実に登っていくうちに、僕は何時しか「感情」を押し殺すことを覚えていったんだろう。でも、それもまた「あたりまえ」のことだったりする。それがつまりは「ジレンマ」。

 知らない土地を、たった一人で旅することは、正直いって辛い。「楽しみ」の隣には、常に「不安」や「寂しさ」が寄り添っている。ふとした瞬間に、それは津波のように押し寄せて、あっという間に引いていく。後に残るのは「虚無感」と「虚脱感」、そして何よりも強い「孤独感」…。
 だけど、そんな時にはマーガレット・ミチェルが『風と共に去りぬ』で書いた言葉『やがていつかは身も軽く、心楽しき朝が来よう』を思い出す。
 
 そして、「景色」や「風景」が僕を慰めてくれるんだ。出会った人々の「親切」と「優しさ」が、冷えて震えている僕の心を温めてくれるんだ。
 道中、眺めた景色や風景、感じ、考え、思ったことを僕は生涯忘れることはないだろう。
 旅立ちの朝に見た埼玉での朝日、静岡のバイパスで目の前に広がった海原、夕日に照らし出された広く大きい名古屋の道路、奈良の山中でのドシャ降りの雨、神戸に別れを告げた明石海峡大橋、神秘的に曇った淡路島のR28、強風に煽られ固くハンドルを握り締めた大鳴門橋、徳島の眉山と阿波踊り、台風の上陸で荒れた室戸岬、水平線と空の境界が曖昧になった足摺岬、愛媛で訪ねた祖父母と父の故郷である小さな夢の島、旅の終わりを感じ寂しさを噛み締めながら走った香川…。挙げだしたらきりがない。本当にたくさんあるんだよ。

 日常、ごくごく普通にありふれた風景に感情を揺さ振られたんだ。
 風の音、花の色、雨の匂い、海と空の青、夜空に輝く星座…。
 そういう一つ一つの中に、実は壮大なストーリーが隠されている。
 そんな自然が創りだすものに、やっぱり人は敵わないのだろうね。
 日常から「こぼれ落ちていくもの」を全て拾い上げたいと真剣に思ったのさ。

 一人旅は、自分自身と会話をすることが出来る。着飾らず、格好つけず、裸のままの自分に出会える。普段は聞くことの出来ない小さな「本心」の囁きが、よく聞こえてくるんだ。
 以外とさ、自分自身のことって自分が思っているよりも「知らない」のかもしれないね。

 ここに感謝の意を表したい。旅の中で僕に関わってくれた全ての人達へ。道を教えてくれた人、飲み物をくれた人、タオルを貸してくれた人、泊めてくれた人、世間話をした人、一緒に酒を飲んだ人、ご飯を食べさせてくれた人…。そして、訪ねた親戚の人達へ。
 文字にしてしまうと、すごく「チープ」な表現になってしまう。文才のない自分が恨めしい。伝えたいことの百分の一だって伝えられないのだから。
 だけど、最大限の感謝を込めて…「ありがとう」のメロディーを奏でる。



 祖父が、かつて歩いた道を辿った四国八十八ヶ所。
正直な話、感慨深かったのは一番寺の霊山寺と八十八番寺の大窪寺だけだったりする。特に大窪寺、最後の札所という「感動」や「達成感」もあるけれど、それとは別に考えさせられたことがある。この寺には「原爆の火」が保存されているんだ。それは是非とも様々な人に見て欲しい。そして何かを感じ、考えて欲しいと、「火」の揺らめきを眺めながら切に思った。

 もとより、般若心経も唱えずに廻っていた僕は、結願するとは微塵も考えていなかったけどね。「悟り」とかを開くことよりも、道中に出会った人や、見詰めた景色の方が、今の僕には得難い大きな「財産」なのさ。
 「行動の結果」よりも、「行動すること」と「行動したという事実」の方にこそ「価値」と「意味」があると僕は思うから…。

 シェイクスピアは『コリオラヌス』の中でこのように書いている、『行動は雄弁だ』。その言葉が僕を支えてくれている。

 『急がず休まず』と、ドイツの詩人ゲーテは言った。

 星や太陽がゆっくりと、休むことなく動き続けているように、僕らもまた、急いだり、怠けたりしないで努力を続けていかなければならないと思ったんだ。

「ONE BY ONE」 「一歩ずつ」 「一つずつ」
 そうやって歩いて行こう、そうやって生きていけたらいいな。
 


    
 


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
たくましく成長してますね!! (港のようこ)
2009-09-11 15:22:40
成長してますね!身体は勿論心が……
『文字にしてしまうと伝えたいことの百分の一
だって伝えられない…』同感です。
でも、文字(言葉)にしないと伝わらない事も
多いとも思う…
この時期(年齢的に)すごくいい経験をして人間的にも一回りも二回りも成長してたくましくなって帰って
きたんですね。
丈夫に生んで育ててくれたお父さんお母さんに感謝!
でしょうか? 
同感です (本郷 隆)
2009-09-12 11:12:43
 港のようこ さん 本当にありがとうございます。
子の親として、私もまったく同じ気持ちです。
子供というものはひとたび親元を離れると、一人で成長していくものなんですね。

『親』という字を分解すると、『木』の上に『立』って(子供を)『見』守る…んだそうです。

港のようこさん、またのコメントをお待ちしています。
もちろん、メールも期待しています。

コメントを投稿