本郷 隆 議員日誌

宮城県 女川町議会議員の活動日誌 『ふるさとに本気です!!』

【天才彫刻家・高橋英吉を知っていますか?…前編】

2010-04-11 17:06:27 | 社会活動

 昨日4月10日(土)の石巻日日新聞で、石巻が生んだ天才彫刻家・高橋英吉の生誕100周年記念事業の記事が載っていました。
 40年ほど前、私が石巻高校に入学した際に、先生からか新聞部の先輩からかに、高橋英吉大先輩の話を聞いた記憶があります。そして彼の彫った「聖観音立像」はその当時も現在も石巻高校の図書館に飾られています。
 
 この度、高橋英吉を顕彰するために、石巻市穀町に住む 千葉 直美(47歳 団体職員)さんという方が、『女の子に会いに』という小説を書き上げました。ご本人の承諾を得ていますので、ここに紹介いたします。(かなりの長文ですが、興味深く読ませていただきました…皆さんもどうぞ)


「女の子に会いに」…彫刻家 高橋英吉の作品を訪ねて

 なんだか退屈な夏休み。家でごろごろしています。
 夏休みの絵の宿題のテーマがきまりません。紀子は半分泣きべそをかいていました。
 「お母さん、どうしよう。」
 絵を描くのは苦手です。毎日毎日、気分が暗くなります。お母さんが新しく買ってくれた絵の具も色鉛筆もクレヨンも、まったく箱を開けていません。何を描けばいいのかわからないのです。上手に描く自信がありません。どうして宿題なんかあるんだろう。しかも絵を描くなんて、大嫌い。アイデアが浮かばないのです。
 お父さんもお母さんも、仕事が忙しくてお休みとれず、今年は一緒に旅行ができません。大きな都会に住む紀子は、ビルやコンクリートに囲まれた生活。自然にふれる機会が少ないので田舎の方へ旅行をしたのは、もう3年も前です。仲良しの千里ちゃんともけんかして、このごろ遊んでいません。

 「美術館に行ってみようか。今度の日曜はお母さんもやっと一日お休みがもらえるから。何かヒントが見つかるといいね。」
 紀子は久しぶりにお母さんとお出かけできることが、嬉しく「わぁ、ありがとう。」と言って部屋中を走り回りました。お母さんも、もう何年も美術館に行ったことがありません。
「お母さんも楽しみ。」
 日曜の朝は、二人ともウキウキして早起きでした。美術館は地下鉄で行きます。大きな道路から横道に入った所にあって、花に囲まれた、こじんまりした建物です。車の音も聞こえません。入場券を手にすると、なぜか、別の世界へ旅行できる気持ちになりました。なんとなく空気が違って、紀子は背筋とピンと伸ばしました。
 美術館には日本だけでなく、外国の画家の絵画がたくさん飾っていました。ゆっくりお母さんと並んで見て歩きました。「こんなに、たくさんの絵があるんだね。いろんな色が使われているし、猫も花も、リンゴも人も、コーヒーカップも、いろんなものが描かれている。」
 一枚一枚の絵の中に、いろんな世界があることを知りました。絵の中に、光を感じ、音さえ聞こえるようです。そして香りも。
 絵画が展示している部屋をいくか通り過ぎると、別の部屋には、彫刻が飾ってありました。大人や子供、動物、鳥などの彫刻。ふと手を触れたくなるような、まるで生きているような彫刻が並んでいます。紀子はぐるりと、一つ一つの彫刻の周りを回ってみました。
その中に、紀子が立ち止まって動けなくなった彫刻がありました。小さい女の子の、木彫りの彫刻です。女の子は、紀子と同じぐらいの歳でしょうか。前髪を短く切って、ひたいにさげて、二つの三つ編みが肩に乗っています。何か持って立っています。題名は“少女像”(1936年)。
 「お母さん、この女の子が持っているもの何だろう。」お母さんは、ちょっと首をかしげて、目を近づけてみました。「サボテンね。」「サボテン?」「そう。サボテン。」
 紀子は、なぜか、初めて見るこの“少女像”に、引きつけられてしまいました。女の子が、話かけてくる気さえします。ずっと会っていなかったお友達に会ったような。それとも、これからお友達になりたいような。
 「こんにちは。」と声に出して少女に話しかけました。彫刻の少女は、黙って何も答えません。「こんにちは。」紀子はもう一度大きな声で言ってみました。やはり少女は何も言いません。「よろしくお願いします。」紀子は少女にペコリと頭を下げました。
 「何してるの?」お母さんは、驚いています。「もう、そろそろ帰ろうか。」お母さんは、紀子の手を引いて部屋を出ました。
「またね。」帰り際、振り向いて少女に手を振りました。すると、少女は膝の上の方にあった手を動かして、紀子に手を振りかえしてくれた気がしました。午後の柔らかい太陽の光を背に。

 家に帰る途中、お母さんにサボテンを買ってもらいました。紀子は、その夜、お父さんに、興奮した様子で、今日出会った少女のことを話し、その子のように髪を編んで、右手にサボテンを持って見せました。木彫りの彫刻の女の子のことだと、お母さんが説明しました。
 「なんだ、ほんとうに美術館で会った子かと思ったよ。」と、お父さんは少しあきれています。紀子は、女の子のことが忘れられず、ベットの側に置いたサボテンに「おやすみなさい。」と言って、蒲団に入りました。

「いしのまき?」 「そう、いしのまき。」 「どこにあるの、その町?」 「宮城県」  「宮城県?」
 お父さんとお母さんは顔を見合わせて、その宮城県が、どのあたりだったかを頭の中で日本地図をぐるぐるさせて位置を確認し、「それって東北地方でしょ。遠いのよ、ここから。どれぐらい遠いかわかる?新幹線に乗って行くのよ。お父さんとお母さんは今年の夏は、どうしても家族旅行ができないの。」  「一人で行く。」 「えぇ!」 「だって、あの女の子に会いたいんだもの。」

 紀子は美術館から帰ってきた次の日から、毎日図書館へ通い、あの女の子を彫った彫刻家について調べました。“少女像”を作ったのは、宮城県の石巻という町に生れた高橋英吉という彫刻家でした。高橋英吉は、戦争で兵隊に行き、ガダルカナル島で1942年に亡くなりました。31歳という若さです。もう60年以上も前のこと。石巻という町は、東北の太平洋に面した港町です。

 お父さんとお母さんは、がんこに石巻へ行くと言ってゆずらない紀子に根負けしてしまいました。しばらく旅行していないので、どこかへ夏休みの思い出を作りに行かせてもいいかなと考え直しました。お父さんの会社の知り合いの親戚が、石巻に住んでいるので、一晩だけお世話になることになりました。
 紀子にとって初めての一人旅。しかも東北地方という見知らぬ所。駅では新幹線の指定席までお母さんが一緒に乗せてくれました。お弁当も持たせてくれました。
「本当に大丈夫?」 「うん。」
 新幹線が走り出すと、ホームで見送るお母さんの顔がみるみる小さくなっていきました。ほんの少しだけ、涙がでて心配になりました。
 紀子はあの美術館で出会った彫刻の女の子が、石巻にいる気がするのです。高橋英吉が“少女像”を彫ったのは1936年ですから、70年以上も過ぎています。でもなんだか、石巻へ行けばどこかであの女の子に会えるのではないかと思うのです。

 電車は石巻に到着です。仙台で仙石線というローカル線に乗り換え、一時間ちょっとかかりました。石巻までは、電車から線路にそって海が見えました。田んぼも見えます。
 ホームには、「いしのまき」、「いしのまき」というアナウンスが流れています。「やっと、来たんだ。」と紀子はほっとしました。でも同時に「ほんとに良子さんが待っていてくれるかな。」とちょっと不安。駅で良子さんに会えなかったらどうしよう。駅が大きすぎて見つけられないことがあるかも。
 荷物をしょって、石巻駅に降り立つと、潮の香りがしました。なぜかなつかしい香りです。鼻から胸に、潮風を吸いました。ホームからすぐ改札口が見えます。改札口を出ると、顔いっぱいの笑顔で、両手を広げて待っている人がいました。良子さんにちがいありません。初めて会うのですが、すぐわかりました。「紀子ちゃんね。よく来てくれましたね。」
良子さんは、嬉しそうです。「疲れていない?お腹はすいていない?」「大丈夫です。お昼ごはんは、新幹線のなかで、食べました。」

 「さっそくだけどこれを見て。」良子さんは駅を出ると、すぐ右側に立つ小さな彫刻を指差しました。“少女像”を彫った高橋英吉の別の作品“母子像”がありました。1941年作成です。彫刻の回りには鳩がたくさん飛んでいます。まぶしい夏の光。
 若いお母さんが、生れたばかりの赤ちゃんを抱いている彫刻です。お母さんは赤ちゃんの背中に優しく手をあて、赤ちゃんは、お母さんを見つめて頬にしっかり手を寄せています。二人の顔の部分だけの彫刻。
 良子さんは高橋英吉について説明をしてくれました。英吉は子供のころから彫ることが大好きで、小学生のころには机や鉛筆などにも彫っていました。石巻から東京の大学へ行き、もっと彫刻について勉強しました。家族は反対しましたが、お母さんだけが英吉を応援してくれました。英吉の東京での生活は苦しかったですが、彫ることがやめられません。紀子が美術館で出会ったあの“少女像”は、英吉が初めて大きな賞をもらった作品です。
 この駅の“母子像”は、英吉の子供が産まれる年の作品です。日本はそのころ戦争をしていて、たくさんの男の人たちが兵隊として連れて行かれていました。英吉は「時間がないんだ。」とよく言いながら、一生懸命、いろいろなものを彫っていたそうです。

 英吉は結婚してすぐに一度、兵隊となりました。結婚式を予定していた日が、軍隊へ行く日で、結婚式はできませんでした。その時は軍隊から三ヶ月ほどで帰ってきましたが、赤紙という紙で、またいつ戦争へ連れて行かれるかわかりませんでした。“母子像”を、愛する妻とまだ見ぬ子への思いを込めて彫ったことでしょう。英吉に待ちに待った女の子が産まれました。ところが、その誕生の一ヶ月後、英吉は赤紙を受け取り、戦争へ行かなければなりませんでした。産まれたばかりの赤ちゃんとのお別れです。
 紀子が美術館で会った“少女像”と、この駅前の“母子像”を作った人を、連れて行ってしまった戦争。紀子は、お父さんとお母さんの顔が急に浮かび、寂しくなりました。今晩は、お父さんとお母さんに会えないんだ。声が聞きたくなりました。朝に駅のホームで送ってくれたお母さんのことを思い出しました。英吉は、別れの日、なんと言って赤ちゃんにさよならをしたのでしょう。またいつか会えると信じていたのでしょうか。もう二度と会えないことを知っていたのでしょうか。

 駅の前は、たくさんの人が行ったりきたりしています。“母子像”は小さくて、ゆっくり歩いて少し気をつけないと、知らずに前を通り過ぎてしまいそうです。
 紀子は言いました。「このお母さんと赤ちゃんの彫刻を作っていた時、日本は戦争中で、この赤ちゃんのように、お父さんに会えない子供がいっぱいいたんだね。そして産まれたばかりの赤ちゃんにさよならをしなくちゃいけなかったお父さんたち。」
 英吉は、そのまま帰ってきませんでした。紀子は“母子像”に向かって、「仲良く元気に、お母さんと赤ちゃんが生きていけますように。」と手を合わせました。
 赤ちゃんの笑い声が聞こえた気がします。英吉はたった2年の結婚生活を平和荘という家で送り、“鳩”の作品もたくさん彫ったそうです。駅の前で、この彫刻は、行過ぎる人たちを暖かく見守ってくれているようです。静かにじっと。
 美術館の女の子が、歩いていないかどうか、紀子はきょろきょろしてしまいました。

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4 コメント

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ありがとうございます (Unknown)
2010-04-14 22:47:48
作者の千葉です。掲載をありがとうございます。高橋英吉について知ることで、平和の尊さを感じています。
Unknown (ssuzuki)
2010-04-14 22:49:45
千葉直美さんの物語を紹介していただきましてありがとうございます。
高橋英吉生誕100年を記念して、英吉の功績をあらためて世に知らせるととに、平和の尊さを再認識すべきと思います。
このため、この物語を日本語と英語で出版しようとの考えが出てきています。

そのときはお知らせしますので、ご支援のほどお願いします。
こちらこそありがとうございます。 (本郷 隆)
2010-04-14 23:45:55
作者の千葉さん、そして鈴木先輩
こちらこそ、遅くの紹介となりましてすみませんでした、そしてありがとうございました。

高橋英吉さんの作品を通じて、両先輩の言われる「平和の尊さ」についての再確認を、私自身もしたいと思います。(そのためにも、絶対に石巻文化センターに見学に行きます…展示期間中に)

「この物語を日本語と英語で出版」したいという、鈴木先輩のコメント、大賛成です。
私めにできることがあれば、何なりと申し付けてください。
高橋英吉について (N.C)
2011-10-28 22:35:44
本郷さん、
安らかに。
N.C