ほんさん徒然日記

写真付きで日記や趣味を書く

犬が死んだ

2018年03月19日 | 日記

14年目の、丁度誕生日の1ヶ月が過ぎた時に、我が家で飼っていたモモが息を引き取った。
息を引き取る、という表現がもっともだなと思わせる死に方であった。大きくあえぐように3回息を吐き出した。

これはもうダメかもしれないと思って脈を取ってみたが人間と違って良く判らない。聴診器を取りに行って戻って来たらもう息をしていなかった。念のために聴診器を当ててみたが心臓の音は聴こえなかった。

きれいな目を開いたままにしている、が意識はなさそうだ。

偶然昨日、メーテルリンクの「ガラス蜘蛛」というエッセイ読んだ。そこにこんなことが書かれていた。
「これが死というものなのだろうか。恐らくそうなのであろう。それとも意識の完全な喪失の後に、別の何かが起こるというのだろうか。何が起こるというのだろう。意識というのは我々の自我だ。自我が失われてしまったら、何が残るのだろう。自我が他の形を取って覚醒するのでなければならないはずだ。それは身体なしに可能なのだろうか。まだ答えの出ていない根本的な疑問が残る」とあった。
犬にも自我があるのだろうか?モモの自我は今、他の形を取って銀河の向こうへ行ったろうか?それとも近くに漂っているのだろうか。

死は終わりではない、途中である。と最近私は考えるようになった。
とりあえず、14年間モモであった身体は明日、倉庫の敷地へ埋めてやろう。見晴らしの良い東向きの法面の桜の枝の下あたりに。そうして桃の木を、その墓印に植えてやろう。
写真は、まだ元気であった頃のモモである。
さよならモモ、またね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿