ほんさん徒然日記

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島田美菜子(島田美菜月)が亡くなった

2018年03月01日 | 日記

恐らく60歳ぐらいだと思う。ハッキリした年齢は知らない。
とても、悲しい。
美菜子の娘さんから電話があって、1人暮らしのアパートで亡くなっていた、死因は胃潰瘍だったと。
胃潰瘍ならば、たぶん吐血してそのまま意識がなくなたのではないかと思う。

酒に溺れ、依存症から立ち直るために施設に通っていた、その関係者に死んでいるのを発見されたということだった。

彼女は私が東池袋で春秋座アトリエを開いて活動している時に春秋座の舞台を観て入団した。
当時、暗黒舞踏の創始者、土方巽が東北歌舞伎と銘打った最後の舞台を演出した、その舞台に出演したりもしていた。

美菜子は、立っているだけで普通ではない雰囲気を醸し出していた。日常の生活人とは違う危ない雰囲気をまとっていた。

これが、意識的な鍛錬のたまものの風情、身のこなしなら名優というのであろうが、彼女は痩せてひょろ長い体形とか、はにかんだような力のないしゃべり方とか、持って生まれた資質がそうであった。

自分の、その資質を利用しようとして却って惨めな様態を舞台に晒し、それではダメだと資質に頼らず役者としての能力を高めようと発声練習などして、まるで素人よりも声が出ないことに傷つき、惨めになったりもしていた。

私が春秋座を断たんで田舎に引きこもってからは、島田美菜月と名乗って一人芝居をやっていた。台本も自分で書き自作自演である。
そのビデオを私のもとに送ってよこしたりもしていたので、いつの日かまた一緒にやろうと、夢のようなことを話したりもしていた。

「ガロ」という現在は廃刊になった漫画雑誌に載ったから観てくれと美菜子が連絡をくれたこともある。本屋でその「ガロ」を立ち読みすると、写真家のアラーキーこと荒木経惟が撮った美菜月の写真が何ページか載っていた。面妖な和服襦袢で美菜子がそこに居た。

彼女の生涯は、酒におぼれ、(私が知る限り)たった一度の我を忘れる恋愛もし、相手の男とひどく傷つけあって惨めにもなったが、絶えず役者として舞台に立ちたいという欲で何とか立ち直っていた。

2年前の5月に私が上京した時、東京駅で逢って、その時、今度これをやるつもりと自作の台本を渡されたのが最後となった。
その時、私が演劇の稽古が出来る倉庫を買ったことを伝えると、お金を貯めてぜひ行きたい。そういった時の、はにかんだ笑顔が目に浮かぶ。

死後の美菜子の行方は判らない。

しばらくは、肉体から離脱した魂に生前の意識が残っているという確からしいエピソードもある。

そうならば、僕の夢に出てくれればいいのに。
そしたら夢の中で稽古しよう。

 

 


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