田舎暮らしも20年が過ぎて・・・。 田歌舎代表ふじわらほまるのつぶやきブログ

一途な思いで突っ走ってきた時を経て、すっかり中年のおっさんになってしまったよ。そんな中年のあつい思いをたまには文章に

◇猟を通して思うこと

2018-01-30 13:07:02 | 日記

(狩猟体験にて、今にも鹿が現れるかと緊張が走る)

日本にはたくさんの野生動物がいます。そして私たちの生活では様々な折に野生動物たちとの遭遇があります。ですが都会に暮らす人の多くは、その周囲の山にもたくさんの動物たちが潜んでいるにも関わらず、その実態についてあまりにも無知だなと感じざるえません。でもそれは元をただせば戦後より、偏った動物愛護とキリンとライオンから始まるようになった教育が間違っているし今もなおそれが正されることなく続いているからだと思っています。

酸性雨、温暖化、様々な複合的な要因が絡み合い、豪雪、豪雨などによるかつてない倒木や、ナラ枯れなど突然発生の病気の蔓延による枯死、明らかなキノコ類の減退など、日本の森は危機に直面しているとも言えます。、さらにはこれから何か新しい重大な被害、病症が森の中で発生するかもしれないのです。
ですがそんな中でも、豊かな森林を有するこの国ではこの20年来で野生動物が大幅に増加してきました。一見素晴らしいことのようにも見えますが、いち早く鹿の爆発的増加を経験した美山では森林の林床植物が鹿の食害により壊滅的な被害を受け、山中にはほとんど下草が無くなりました。それは獣たちにとって森の中の食べ物が枯渇したことを意味し、さらには多種多様な植生が奪われ、すなわち昆虫類、鳥類にも大きな影響を与えていることを意味します。つまり生物多様性が失われたということです。
さらに結局のところ、自らの餌も枯渇してきた鹿は、美山では10年ほど前をピークとして数を大幅に減らしています。それでもなお残る鹿による食害で植生回復の兆しはなかなか見られない状況です。 美山以外の森林に目を移すと、たった今鹿、猪が増加の一途をたどる地域が全国各地にあります。そんな地域を訪問先などで垣間見る中で、それらの地域の森もこれから10年20年を経て美山の森のような生命が枯渇した森にならないことを願うばかりです。

狩猟による捕獲は残念ながらこの大きな増減の波に抗えるほどの力はないと感じています。私たちがどれほどに頑張っても、この大きな波を止める力はないですが、特定地域の獣害対策としてのピンポイントでの狩猟圧の効果は確かにあります。
ですがそれ以上に今私たちにできる一番大切なことは、これだけ傷んだ自然の中でも育まれる動物たちの血肉を無駄にしないということです。

きわめて環境にやさしく(エコロジー)であり、持続可能(サスティナブル)な獣肉を無駄にしている日本の有り様こそが一刻も早く変わらなくてはならないことだと思います。
国民の多くが獣肉と食することを通して日本の野生動物のことを知り、日本の森の現況を知り、森を、獣を守るためにできることに関心を注ぐようになることを願ってやみません。それは食育であり、自然科学の学びであり、日本の自然に誇りを持つことにも繋がるのですから。
そんな先にようやく効果的な有害鳥獣対策、あるいは自然保護の答えが見出せる日が来るのではないでしょうか。

今田歌舎として微力ながらも私たちにできることは、獲った獲物を無駄なく美味しく食べる、その美味しさをできるだけ多くの方たちに届けること、それだけです。


(レオの子孫たち、3代目から5代目の5頭の犬たち)

犬との暮らし

もう20年以上前、美山に移住して間もなく1匹の犬を飼った。日本犬の雑種で「レオ」と名づけた。 当時、自分自身が狩猟をするなど夢にも考えなかったものだが、優秀な猟犬に育っていった「レオ」によって、肉を自給するという術と出会い、私自身の中にも眠っていた狩猟本能が目覚めた。
 いま、田歌舎にはレオの3代目から5代目ともなる子孫たちがいて、彼らと暮らし、狩猟という仕事をともに行っている。そこには喜怒哀楽がお互いに存在し、時には大きな達成感を共有するし、悔しさを共有することもある。言葉(日本語)を使わない以外は人とのコミュニケーションとほぼ違わない。まさに家族の一員として、時には互いに癒しともなり、時には家族を守るために体を張りさえする。そんな素晴らしいパートナーである犬たちとの暮らしは自身の命が尽きるまで続くことを願っているし、次の世代につなげていきたいと思う。