音楽広場

普通の暮らし

二年たちました 4

2015-11-08 16:38:28 | 肩腱板損傷
怪我をした5月6日は 家に誰もいなくて、そうなると 誰かに助けを求める事はできません。
それは 私にとってはラッキーでした。
うっかり不注意でやらかした怪我は できるなら見つかりたくないですよね!!
バレなければ 内緒のままで、人知れず治っていたいじゃないですか(*^^)v

ちょっと痛みに耐えたら、なんとか動けたし 窓を乗り越えて部屋に戻ることも出来たし
骨折してる感触もないので、まあ 安静にして様子をみようと 思いました。
しばらく 周囲も自分も偽って 普通の生活 ピアノ教室に 義母のお世話も 
それでも なかなか良くならない10日後の パン教室でパンの生地を捏ねながら
パン教室仲間に「実はね 6日にこんなことやっちゃって ちょっと痛いねん」
って 初告白

みんなに笑われながらも そんなん怪我したその日に病院行かなあかんよ
もう今更行っても 湿布くれはるだけやし この塗り薬ぬっとき とか 余ってる湿布あげる~~
とか みんなワイワイ盛り上がってくれて 冷やすだの 温めるだの 話に花が咲きました。

私は 初告白で ほっと心が緩み そこから 会う人ごとに ちょっと肩を痛めて~~と
ようやく言えるようになりました。
告白したら なんだか懺悔したみたいに少し 痛みがましになったりしたんです。

でも 人に言って良くなったのは数日で また ぐずぐずと

で 意を決して 受診しました。 6月8日です。
レントゲンで診てくださり 「骨は大丈夫よ」って お墨付きをもらった気分ヽ(^o^)丿
(腱板断裂はレントゲンでは 判定できないんです)

ね 大丈夫って言われたら やっぱり大丈夫やんって思いますよね 能天気なので!!

そこから 元気に(気持ちが)なって 季節も夏に向かっていたので
ほんとに いっぱい活動しました。

生徒さんを引率して 音楽会に行ったり 義母さんの家と自宅を洗濯ものを抱えて通ったり
通っていた筋トレのサークルでも しっかりメニューをこなして 痛いながらも負けないで、
長年通っている ヨガサークルにも しっかり参加して 元気に笑顔
極めつけは 友人と熊野古道を歩きに行きました。7月7日です怪我から二ケ月たっています。
リュックサックを担ぎ 険しい山道を歩き(那智大社 速玉大社行きました)
夜は温泉につかり 肩の不調を友人に見てもらいました 湯治気分でした。

そんな のんきな生活も三ヶ月目 とうとう 夜間痛で眠れなくなってしまったのです。
(夜間痛は腱板断裂の特徴的な症状です)
夏バテかと思ったけど 身体からの声は もう 無視できませんでした。へへへ
最初に診てもらった病院に もう一度行くのは恥ずかしかったので
もう少し 家から離れた 義母さんの近くの整形外科を受診したのが8月29日でした。

つづく
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二年たちました 3

2015-11-08 16:01:56 | 肩腱板損傷
二年前の11月8日はまだ病院に入院していました。
10月21日に入院し22日に手術 その後11月15日に退院するまで三週間
11月8日は手肩を固定する装具が小さくなって身軽になっていた頃です。

手術後 きめ細かなリハビリと共に けっこう長く病院に留め置かれるのは
修復箇所が、質の異なるもの同士な為です。
つまり 骨と骨 皮膚と皮膚 筋肉と筋肉等 同質のものならば 引っ付きやすいのに比べて
腱板(腱)と骨をつけるので しっかり安定するのに時間がかかります。
腱板の生着が悪い場合は 再断裂を起こす場合もあるそうで、
禁止される動きも多く まあ お姫様状態の入院生活となります。

そんな 繊細な箇所なんだけど、無知って 怖いもの知らず(*^^)v
怪我をした5月から8月末まで それは 過激な生活をしていました。

2013年は 年明けから 気がかりな事が2つ肩にのしかかり、、
今年は 自分の用事はなるべく少なくして 何か起こった時には動けるようにと、決めていました。

2011年秋に それまで独居元気老人生活を満喫していた 義母さんが とうとう足腰背骨が弱り
介護認定を受け どうしてものこだわりで 住み慣れた自宅での独居介護生活を始めました。

ヘルパーさん訪問診療の先生の助けを受け 最初はなんとかなってましたが
急激に 出来る事が減っていく義母さんの現状を 心配しながら見守ってたのです。

もう一つ これは心配はしてなかったけど、落ち着かなかった!!
就活留年中の息子さん 
卒業をもう半年遅らせて 就活再チャレンジさせて~と 帰省した正月に真面目に頼まれたら
がんばりや~~って応援するだけですね、
遠く離れてるし 何の手助けも出来ないけど 信じて待つのみでした。

日頃能天気な私には 両肩に心配事が乗っかっていたのです。

だから 自分の活動は一切引き受けず ニュートラルな状態で居たかったのです。

つづく
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