またもやホリーネタでなく恐縮です。笑
先日、朝日新聞を読んでいたら、思わずオオッ!となる
懐かしいフレーズが目に飛び込んできました。
それは、天野祐吉さんのコラム「CM天気図」。
天野祐吉さんは、今は休刊となっていますが
広告CMクリエイター(志望者も)は必ず読んでいた「広告批評」の主宰者でした。
中学高校時代を松山で過ごしていたので、なるほど
年代は違っても、共通の記憶があるはずです。
気になったフレーズは、「ロバのパン屋」の歌!
「ロバのおじさん、チンカラリン。チンカラリンロンやってくる~♪」
と、小さい頃の曖昧な記憶が蘇ってきました。
母はずーっと関西地区だけのものかと思っていたのですが
全国各地にあったらしいですね~。
しかも、ロバではなく木曽馬だったとは!
草をあげようと、くっついて歩いていました。笑
ところがすごいですねー、YouTubeでレコードが聴けちゃうんですよ~。笑
調べてみると、
京都にある「株式会社ビタミンパン連鎖店本部」が、
昭和30年代に音楽連動で蒸しパンを馬車で移動販売し、
全国に拠点を広げたそうです。
1964年には、馬車が全廃、と記録されているのですが
母の記憶にあるということは、もうちょっとあとまであったような??
ロバが車に変わると、行っちゃうのが静かで、早いんですよね。笑
実家は海の近くにあり、
海岸のずっと先まで行って馬車が引き返してくる夕暮れ頃には
もうケースの中はほぼ完売しており、
鍵っ子(!)だった母、いつも「オレンジパンが食べたい~」と思っていました。
薄いオレンジ色の蒸しパンに
マーマレードが入っていたような記憶があるのですが
どうだったでしょうか。笑
今はどうなってるのか、と思いましたが
現在チェーン店は9店、それぞれが独自に経営しているそうです。
本店近くで移動車もしくは自転車!で販売、あるいは西日本の店舗で販売中。
松山では店舗がひとつ残っています。若い人にはただの蒸しパン屋です。笑
帰省して見かけた時は、驚きと嬉しさでいっぱいでした。
秘伝の配合「パンの素」も売っているらしい。
あっ、松山にはもうひとつ、歴史ある蒸しパンがあります。
それは「労研饅頭(ろうけんまんとう)」!
歴史について興味のある方はリンク先をご覧ください。
昭和初期の創業時の酵母菌を守り続け、今でもひっそりと?
作り続けています。
ロバのパンの店↑がある市内アーケードに支店がありますが
本店の方が、歴史を感じる店構えです。
母はあまりなじみがなかったけれど。笑
あーーー蒸しパン食べたくなっちゃった~~!
ホットケーキの素とは違うのよね~。
ヤッタ!おやつはムシパンだぁ!
今、「戸越公園駅」のすぐそばに仕事できています。ナビで見ると『いぬ・ねこ親会場』まで1kmほどだったので、ホリーくん家近いのかなぁ?ばったり会わないかなぁ…等と思いながらちらちらと外を眺めております(笑)
私は横浜の下町育ちのせいか(?)ロバのパンは記憶が定かではないのですが、私の記憶にあるのは(玄米パン・・・これも蒸しパン)です♪
「げ~~んま~~いパン♪」と車で回ってきたような・・・?
イヤ~~懐かしいあのいい香りと柔らかい感触、ホリーママさんの記憶で私の記憶がクロスオーバーしました♪
まあ、お仕事で戸越まで?ようこそ品川区へ!笑 以前は駅手前は散歩の折り返し地点でした。(ホリーが猫に襲われかかりました。笑)
そうなんですよね、東京人の夫に聞いても、「ナニソレ?」と笑われました~。もこもこっと割れた蒸しパンと牛乳!ナイスコンビです!
やっぱり横浜でもありませんでしたか~。西日本中心で、関東圏ではやっていなかったのかも。
田舎では、東京のような金魚売りや風鈴売りは全くありませんでした。
おばあさんが乳母車みたいなものをひいてくる、魚の行商(ノラ猫同伴)や、「ぎょうせん飴」という麦芽糖(関西の飴湯の素)の量り売りとか。笑
ママさんは玄米パンですか!地域でそれぞれの特徴があって、楽しいですね。