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天から届け……“ヤンキースの声”

2010年07月12日 | Baseball/MLB

(2005年オールドタイマーズデイでのボブ・シェパードさん。背番号「1」は往年の名二塁手で、1960年ワールドシリーズMVPのボビー・リチャードソン) 

 

 2003年に松井秀喜のヤンキース移籍が決まったとき、楽しみにしていたことがあった。

 1951年以来、ヤンキースタジアムの場内アナウンス(PA)を半世紀以上にわたって務めてきた“ヤンキースの声”ボブ・シェパードさんに松井の名前が呼ばれることだった。

 同年4月8日、ツインズとの本拠地開幕戦でシェパードさんに“Leftfielder, No.55, Hideki Matsui……No.55”のコールで打席に送り出された松井が、ヤンキースの選手として初めて本拠地デビュー戦での満塁ホームランを放ち、シェパードさんの輝かしいキャリアの1ページに加わったのは周知のとおりだ。私はその年の6月、実際に“Hideki Matsui”のコールを聞くことができた(松井のコメントによれば、入団1年目にシェパードさん本人から直接名前の発音を確認されたとのことだ)。

 1973年にヤンキースを買収して以来、(12シーズン務めたジョー・トーリを唯一の例外として)、ビリー・マーティンをはじめ毎年のように監督を「13階段」に送り続けたジョージ・スタインブレナー・オーナーも、シェパードさんは別格の存在として扱ってきた。

 1951年、シェパードさんの“デビュー戦”となったヤンキース対レッドソックス戦のスタメンには、ジョー・ディマジオミッキー・マントルヨギ・ベラジョニー・マイズフィル・リズートテッド・ウィリアムズボビー・ドーアルー・ブードローとのちに殿堂入りを果たした8選手が名を連ね、ヤンキースのダッグアウトにはケイシー・ステンゲル監督の姿もあった。シェパードさんの声で初めて打席に送り出されたのは、レッドソックスの一番打者だったジョーの実弟ドム・ディマジオだった。このうちベラとドーアを除く8人はすでに不帰の客となっている。

 シェパードさんのアナウンスは正確、簡潔、明瞭をモットーとしており、選手の紹介は「守備位置、背番号、選手名、背番号の繰り返し」で行なわれ、他球場のPA(たとえばカービー・パケットをアナウンスするときのツインズのPAのようなDJ調の)独特の調子をつけたり、ユーモアや品性が伴わないと思われる(たとえば短気な性格から“オイルキャン(石油缶)”のあだ名があったデニス・ボイド投手など)選手のニックネームを入れることはなかった。ヤンキースの選手だけでなく他球団の選手もシェパードさんに名前を呼ばれることを楽しみにしていた選手は多かった。個人的に印象に残っているのはカル・リプケン・ジュニアのアナウンスで、野球選手としてのみならず人間としても深い尊敬を集めていた“鉄人”への敬意が自然とにじみ出るような語り口だった。

 日本でシェパードさんの名前が広く知られるようになったのは、彼が長谷川滋利投手(エンゼルス、マリナーズ)の紹介アナウンスを、「“Shigetoshi Hasegawa”の名前をアナウンスするのはメロディーを奏でているようで声に出すのが楽しかった」と、個人的にもっとも楽しみにしていたことが報道されたからだろう。

 2007年のシーズン終盤、体調不良を理由に「休職」し、2008年の旧ヤンキースタジアム最終戦で、スタメン紹介を行なったのが花道となった。松井もこの歴史的な選手紹介に名を連ねている。キャプテンのデレク・ジーターはその後も、テープに録音されたシェパードさんのアナウンスに送られて打席に立ち続けていた。

 個人的に忘れられないのは、2005年に行なわれたオールドタイマーズデイ(OB戦)の試合前、一塁側ダッグアウトで当日のスタメン表を撮影していたとき、いつもヤンキースタジアムで耳にしていた「あの声」で話しかけられたときだ。

「申し訳ないんだけどね」とシェパードさんはインスタントカメラを差し出し、「どうも(カメラの)使い方がよくわからないんで、代わりにメンバー表を撮影してもらえないだろうか」

(そのとき撮影したスタメン表。シェパードさんに依頼されて撮影した写真と同じアングルだ)

 

 あのレジー・ジャクソンに“神の声”とまで呼ばれた方の依頼を断るわけがない。丁重にカメラを受け取ると、慎重にメンバー表を撮影し、深い年輪が刻まれたシェパードさんの手にお返しした。

 

 そのシェパードさんが、2010年7月11日、100歳の誕生日を3か月後に控えながら、天寿を全うした。私が彼のアナウンスを耳にしたのは、4500試合以上といわれる担当試合のほんの一部に過ぎなかったが、それでもヤンキースタジアムで彼のアナウンスに接することができたのは、野球ファンとして最高に誇らしい出来事だった。願わくば、「2009 World Series MVP, Hideki Matsui」のアナウンスを聞いてみたかった。訃報に接した松井は、「ヤンキースタジアムを象徴する方だった。名前をコールしていただいたのは光栄で幸せだった。一生の思い出になる」とコメントしている。 

 きっと天国からもあの名調子で選手紹介アナウンスを続けてくれるに違いない。

 

 追記:同じ日、つかこうへい氏の訃報も伝えられた(10日逝去)。私が演劇系の某大学に進学したころがちょうどブレイクの時期に重なっており、入試を前に(面接対策として)必死に戯曲を本屋で立ち読みしたものだった。教員も学生も、シンパ、アンチを含めてつかさんを中心に演劇論をたたかわせていた観もあり、大学に特別講義に来られたこともあった。そのときの話の面白さは30年以上たった今でも忘れらない。4月に亡くなった井上ひさし氏とともに、私が戯曲をむさぼるようにして読み、舞台に通い詰めた作家が、同じ年に不帰の客となった。ともにタバコが病の原因と思われるのが、生まれながらのノンスモーカーとしては、つくづく惜しまれてならない。

 つかさんが野球について語っていた文章で思い出されるのが、「阪神ファンでいることの意味」。「会社で朝から晩まで散々いやな思いをして家に帰ってきて、さらにテレビでストレスのたまる阪神の試合を見て、できの悪い息子ほど可愛いかのようにマゾヒスト的な愛情を注ぐなんて、その神経がわからない」といった趣旨の「虎党論」を、つかさん独特の毒をもったユーモアでコラムに書いていたことを思い出される。出演俳優のキャスティングに対して圧力をかけてきた演劇界の某大物に対しても、臆することなく立ち向かう反骨の人でもあった。

 

 

  

 

  

Mlb Public Address Announcers: Bob Sheppard, Bob McCown, Leo Lassen, John Ramsey, Rex Barney, Bob Casey, Sherm Feller, Ryan Pritt, Jim Hall

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