(ベースボールに対する敬意のカケラもないバカに拾われてしまったボンズの714号本塁打ボールは実に気の毒だ)
1999年にクーパースタウンの野球殿堂博物館を訪れたときのことだ。殿堂ホール正面奥の特別スペースで、前年のマーク・マグワイアとサミー・ソーサの歴史的ホームランレースを記念した特別展示が行なわれていたのだが、そこではマグワイアとソーサの60号本塁打記念ボール、マグワイアの62号本塁打記念ボールを拾って、打ったふたりに返したファンの写真が名前入りで飾られていた。しかし、マグワイアの70号本塁打ボールを拾い、それを高額で売却したファンの写真は(ボールの現物とともに)飾られていなかった。
また、同じ年にボルティモアでカル・リプケンJr.の通算400号本塁打の場面に立ち会ったときも、外野席でこの記念ボールを拾った青年は、試合後にボールをリプケン本人に返し、リプケンからサイン入りバットの贈呈を受け、また記者会見に本人と同席する栄誉も担った。彼の写真と名前も、ボルティモア郊外のアバディーンにある「リプケン博物館」に飾られているそうだ。
確かに、1個の硬球がうまくすれば日本円で数千万円、1億円という値段になることを考えれば、そうした誘惑に乗るファンをあまり強く責める気にもなれない。それでも私がもし同じ立場に立ったとすれば、お金よりもクーパースタウンに写真が飾られるような「実より名」を選ぶだろう。私にしてみれば、数百万だか数千万をもらうよりも、リプケンから感謝の言葉を直接かけられたほうがよっぽどうれしい。それがベースボールという競技に対するファンの敬意というものではないだろうか。
さて、昨日オークランドでバリー・ボンズの714号本塁打ボールを拾った19歳の青年は、感想を聞かれて「ボンズは大嫌いな選手」と答え、そのことを伝え聞いたボンズ本人も不快感をあらわにして「だったらボールを返してくれ」と言ったそうだ。この件に関しては、私も断固ボンズを支持する。気に入らない選手のホームランボールならば、シカゴ・リグレーフィールドの外野席にたむろする熱心なカブス・ファン「ブリーチャーズバム」と同じように、ホームランボールをフィールドに投げ返せばよかったのだ。それを売ればかなりの金になるからと、ボールはしっかり自分のものにしてしまう厚かましさ。「拝金主義」がまかり通るアメリカ社会とはいえ、この青年の親はいったいどういう育て方をしてきたんだと思わず言いたくなってしまう。
もちろん、彼にボンズを非難する自由はある。しかし、「金の素」となったホームランボールはしっかり懐にしまい、言ってみれば「金に使われる」身になっていながら、そうしたことを口にするのは、ちょっと筋違いじゃないのか? 汚職政治家から口止め料をもらっていながら、それを暴露し、非難する新聞記者の書いた記事を誰が信用するのか? まったく、人間の浅ましさ、厚かましさ、そして金の持つ醜い面をいっぺんに見せつけられたような気がして、実に不愉快な報道であった。こんな品性の卑しいヤツに記念のホームランボールを取られてしまったボンズ、というよりも、そんな人間に不幸にも捕られてしまったボールそのものが実に気の毒であり不運であるとご同情申し上げるしかないのだ。
714号狂騒にもようやく決着がつきましたか。
しかし、そんな有様とは野球の神様もまったく意地悪ですね。
嫁のコメント「売ったら身元ばれちゃうんじゃないの? そんな発言したらどんな叩き方されるかわからないよ。頭悪いなあ」
なるほど。アメリカにも2ちゃんねるのような掲示板ってあるんですかね。
ボールを拾った青年が「ボンズが大嫌い」なのも自由だし、そういうファンは少なくないでしょう。
でも、嫌いな相手でも思いやるくらいの心は欲しいものです。
ボールは拾った人のものなんでしょうし、売って儲ける権利もあるのかもしれません。
「拝金主義」…。さびしいことですが、日本もそうなりつつあります。
ホリエモンや村上ファンドのやり方も、それを崇める風潮さえある社会も、今回の19歳青年と非常に似通ったものを感じます。