
(同じ「1500」でもその中身は天と地ほどの差がある江夏と石井一の奪三振記録)
今日の中日ドラゴンズ対東京ヤクルトスワローズ戦で、スワローズの石井一久がプロ野球史上48人目の通算1500奪三振を達成。サンケイスポーツは「通算1413投球回での到達は、江夏豊(阪神他)の1423回を上回る史上最速ペース」と伝えている。
しかし、少しでも野球の歴史や記録に詳しい人ならば、この一節には強い違和感をおぼえるに違いない。石井一久の前の登板までの主要な通算記録と、江夏のプロ入り後最初の5シーズンの成績を比較すれば、その「違和感」の正体はおのずと現れてくる。
江夏 豊(阪神)1967~71年の5年間(現役生活は84年まで)
232試合 88勝 66敗 投球回1419 奪三振1495 奪三振率9.48
石井一久(ヤクルト)1992~2001,06・07の12年間
280試合 92勝 57敗 投球回1406 奪三振1491 奪三振率9.54
しかも、江夏と同じ高卒1年目からの5シーズンに限れば、
111試合 23勝 10敗 投球回348回1/3 奪三振345 奪三振率8.91
石井が通算12年間、高卒1年目から34歳までかかって現在の投球数と奪三振数を積み上げたのに対し、江夏は高卒からわずか5年の間に、ほぼ同じ数字を記録している。しかも、最初の5年間は111試合の登板で348回1/3、345奪三振だった石井に対し、江夏は試合数で2倍以上、投球回数は4倍、奪三振は1968年に樹立したメジャーを上回る401個を含め、これまた4.11倍を記録しているのである。まさに「月とスッポン」の典型ではないだろうか。
もちろん、石井が積み重ねてきたキャリアと数字には敬意を払いたいが、こうした数字を伝えるメディアは、江夏の記録を引き合いに出すならば、必ずきちんと「注釈」を加えるべきだろう。
江夏さんには3年前、ある雑誌の仕事で単独インタビューをお願いしたことがあるが、とにかくベースボールやピッチングに関する洞察力たるや、近年のエースと呼ばれる投手たちの比ではない。2時間ほどの取材であったが、このときうかがったお話はその後も私のさまざまな仕事に生かされている。
そんな「黄金のサウスポー」江夏豊の全盛期を知る野球ファンとしては、こうした新聞記者による意図的とも言える「数字のトリック」で、彼がプロ入りわずか5年間で築き上げた偉大な数字が矮小化されたことに、強い不快感と怒りを感じずにはいられないのである。
今日の中日ドラゴンズ対東京ヤクルトスワローズ戦で、スワローズの石井一久がプロ野球史上48人目の通算1500奪三振を達成。サンケイスポーツは「通算1413投球回での到達は、江夏豊(阪神他)の1423回を上回る史上最速ペース」と伝えている。
しかし、少しでも野球の歴史や記録に詳しい人ならば、この一節には強い違和感をおぼえるに違いない。石井一久の前の登板までの主要な通算記録と、江夏のプロ入り後最初の5シーズンの成績を比較すれば、その「違和感」の正体はおのずと現れてくる。
江夏 豊(阪神)1967~71年の5年間(現役生活は84年まで)
232試合 88勝 66敗 投球回1419 奪三振1495 奪三振率9.48
石井一久(ヤクルト)1992~2001,06・07の12年間
280試合 92勝 57敗 投球回1406 奪三振1491 奪三振率9.54
しかも、江夏と同じ高卒1年目からの5シーズンに限れば、
111試合 23勝 10敗 投球回348回1/3 奪三振345 奪三振率8.91
石井が通算12年間、高卒1年目から34歳までかかって現在の投球数と奪三振数を積み上げたのに対し、江夏は高卒からわずか5年の間に、ほぼ同じ数字を記録している。しかも、最初の5年間は111試合の登板で348回1/3、345奪三振だった石井に対し、江夏は試合数で2倍以上、投球回数は4倍、奪三振は1968年に樹立したメジャーを上回る401個を含め、これまた4.11倍を記録しているのである。まさに「月とスッポン」の典型ではないだろうか。
もちろん、石井が積み重ねてきたキャリアと数字には敬意を払いたいが、こうした数字を伝えるメディアは、江夏の記録を引き合いに出すならば、必ずきちんと「注釈」を加えるべきだろう。
江夏さんには3年前、ある雑誌の仕事で単独インタビューをお願いしたことがあるが、とにかくベースボールやピッチングに関する洞察力たるや、近年のエースと呼ばれる投手たちの比ではない。2時間ほどの取材であったが、このときうかがったお話はその後も私のさまざまな仕事に生かされている。
そんな「黄金のサウスポー」江夏豊の全盛期を知る野球ファンとしては、こうした新聞記者による意図的とも言える「数字のトリック」で、彼がプロ入りわずか5年間で築き上げた偉大な数字が矮小化されたことに、強い不快感と怒りを感じずにはいられないのである。
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元統計屋で今は翻訳家をやっている私からすると、スポーツ紙の稚拙な数字いじりと誤訳・珍訳の数々は日常茶飯事に見えます。……が、そうですよね。もっとこういうことに怒るべきですよね。
記録ではなくて翻訳の方ですが、去年あまりにヒドいウェブ記事があったので、ブログで紹介したことがあります。
◆どこまでも打ち続けるイチローは退屈?!:また捏造
http://yosh.seesaa.net/article/19321122.html
そして、そんなことを思っていたら今日もまた変な記事を発見しました。
◆イチロー、一発ギャグ披露…シアトルの小学校訪問
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070518-00000007-ykf-spo
この記事の最後、ここまでとまったく異質で、文脈がつながっていない次のような文章で閉められています。
「シアトルの子供たちにとっては、絶対的なヒーローのイチロー。果たして、秋に子供たちをガッカリさせるようなことは起こってしまうのだろうか。」
ヒドい話もあったものです。
石井の記録を貶めるつもりはありませんが、江夏とはファンに与えてきた印象度が違います。6年前、セントルイスのブッシュスタジアムで、江夏が年間401奪三振を記録した1968年の秋に来日したカージナルスの監督だったレッド・シェーンディーンスト氏に当時のお話を伺ったことがありますが、印象に残っている日本の選手として王、長嶋とともに江夏の名前を挙げていました。
「シーズン中にあれだけ投げたのに、ボブ・ギブソン(当時のエースで殿堂入りの大投手)にも引けを取らない速球を投げていたし、コントロールも素晴らしかった」
このとき、シェーンディーンスト監督が「あのピッチングを見習え」と説教したカージナルスの若手投手が、後の殿堂入り300勝左腕スティーヴ・カールトンでした。
石井のファンには申し訳ないけれど、彼のピッチングを見て「見習いたい」と思ったメジャーの若手投手は(おそらく)いなかったでしょう。表向きの数字ではなく、そうした野球人の「中身」を伝えていくのが、私がこうした仕事をしていくうえでの大きな使命だと考えています。