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さらば“Big Unit”~史上最強のサウスポー ランディー・ジョンソン

2010年01月07日 | Baseball/MLB


 初めてランディー・ジョンソンのピッチングを見たのは、1990年秋の日米野球だった。シアトル・マリナーズに移籍して2年目、その豪速球とノーコンぶりはすでに日本のメジャーファンにも鳴り響いており、公式戦が終了してひと月近く経っていたはずだが、マウンドに立つとスピードガン表示で次々と155km前後の球速を記録し、場内をどよめかせた。ちなみにこのシリーズでは、最終戦でスティーブ・フィンリーとの継投でノーヒッターを達成しているが、このときの敗戦投手は近鉄時代の野茂英雄だった(ご存じの通りこの5年後、MLBオールスターの先発投手としてランディーと野茂は相まみえることになる)。


 1997年、シアトルでの対ロッキーズ交流試合(インターリーグ)では13奪三振の快投を目の当たりにした。この試合では当時ナ・リーグの最強打者だったラリー・ウォーカーが「ランディーが相手じゃとてもかなわない」と、試合前から「欠場」を宣言して当日の地元スポーツメディアをにぎわせていたのを記憶している。いまではそんなことを口にする人間は皆無に等しいと思うが、2001年にイチローがマリナーズ入りし、ランディーが背負っていた背番号「51」を引き継いだとき、シアトルのファンからは「偉大なBig Unitがつけていた51番を日本から来たルーキーに与えるのか」と、批判の声が挙がっていた。おそらく将来、マリナーズの「51」はMLBでは4例目(ヤンキースの「8」=ビル・ディッキーとヨギ・ベラ/エクスポズの「10」=ラスティー・スタウブとアンドレ・ドーソン=チーム移転により失効/カブスの「31」=ファーガソン・ジェンキンスとグレッグ・マダックス)となる、複数選手を顕彰する永久欠番に指定されるだろう。

 Dバックスに復帰した2007年の交流試合対レッドソックス戦では、スカパー!MLBライブで松坂大輔との対戦を担当することができた。この試合はDバックスのホームゲームだったので、松坂は打者としてもランディーと対戦している。松坂もかなり健闘したが、最後はストライクゾーンをフルに活用したランディーの貫録勝ちだった。できればそうなってほしくなかったが、結果的にこれがランディー・と松坂の最初で最後の直接対決となった。

 ランディーの足跡については、彼が通算300勝を達成したとき、「スポーツナビ」にコラムを寄稿しているので、ご参照いただきたい。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/2009/text/200906020007-spnavi.html

 ランディーの偉大さを文字にすれば、おそらく百科事典ぐらいの枚数があっても書き尽くせないが、報知新聞MLBデスク蛭間豊章さん「並み居るスラッガーが、当時は禁止されていなかった薬物を使用していた90年後半から00年代序盤に、自らの体を最大限生かして対決した」という一行は、業績の重みを見事に言い表していると思う。
http://hochi.yomiuri.co.jp/mlb/news/20100106-OHT1T00235.htm

 その開化期と全盛期、円熟期にそれぞれ、彼のピッチングを脳裏に焼き付ける機会に恵まれたのは、野球ファンのひとりとして、最高の名誉であり幸せであった。

 さらばBig Unit。6年後、満票での殿堂入りを心から期待している。

 

 

 

 

 

 

 

 

Randy Johnson's Power Pitching: The Big Unit's Secrets to Domination, Intimidation, and Winning

Three Rivers Press

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