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WBC決戦前夜~野球における「友好」の意味を考える

2006年03月20日 | Baseball/MLB

(ワシントン・セネタースの入団テストで不合格だったとの「伝説」もあるほど、カストロ・キューバ議長の野球好きは有名だ)

いよいよ明日は、日本とキューバがWBCの初代王者の座を激突する「最終決戦」の日である。
日本キューバ……主催国アメリカにとって皮肉なことに、この両国は「かつての敵国」と「現在の敵国」でもある。キューバ革命以後、アメリカとキューバは国交を断絶し、アメリカによる経済制裁はなおも続いているが、日本はキューバと革命後も国交を保ち続けており、政治体制やアメリカに対するスタンスの違いがありながら、むしろ奇跡的とも呼べる友好関係を40年以上にわたって保ち続けてきた。

なぜこの両国が、アメリカという高く、広い壁を越えても友好のキャッチボールを続けてこられたのか? ひとつはやはり、日本人のキューバ革命に対する共感であろう。中央集権的な社会主義体制やキューバ共産党による一党独裁には私も含めて大いに疑義を抱きつつも、アメリカの属国として長い間虐げられ、腐敗した傀儡(かいらい=操り人形のこと)政権によって売春、麻薬、賭博と何でもありというマフィアの「天国」が首都ハバナを始め国内のいたるところに築かれ(その様子は映画『ゴッドファーザーPARTⅡ』で生々しく描かれている)、その享楽と退廃の横で、大多数の国民はアメリカ資本やごく一握りの富裕層が経営する果樹農園、サトウキビ畑、砂糖工場などで劣悪な労働条件の下で働かされ、貧困や社会的不平等にあえいでいたなか、大波が来ればたちまち転覆しそうな小型船「グランマ号」に乗り込んで上陸し、一時は十数名の仲間しか残らなかった窮地から反攻に転じ、ゲリラ戦の展開によって傀儡腐敗政権を追い詰め、ついに彼らを首都ハバナから追放し革命を成就させたフィデル・カストロチェ・ゲバラの人気は、老若男女を問わず日本でも高い。それは、もはや「自治領」とさえ呼べないのではと思われるような、「現」対米従属国家の国民として、カリブ海に浮かぶ「元」傀儡国家だった人口1千万あまりの小国が、国際社会を舞台に堂々とアメリカと対峙している姿への敬意もあるのだろう。

そして、もうひとつ、キューバと日本の距離を縮める役割を果たしているのが「野球」である。若い頃、ワシントン・セネタースの入団テストを受けて不合格だったという伝説も持つカストロ国家評議会議長は、メジャーに多くの選手を輩出しながら、アメリカとの国交断絶後に目標を失った才能ある国内の野球選手の受け皿として、そして依然として貧しい生活水準にある国民の娯楽として、野球の普及・発展により力を入れた。野球の才能を持つ少年を全国から見つけ、国家プロジェクトで育成し、国内リーグでふるいにかけて代表選手を選ぶシステムは、サッカーの代表選手育成のそれにも共通する。そうして強化された代表チームは、五輪や世界選手権(ワールドカップ)での国際大会で無敵と呼ばれるまでになり、国威発揚のシンボルになっているが、彼らの目的はあくまでもキューバ国内における「野球の普及・発展」によって、自国民にレベルの高い国民的娯楽を提供することにある。

もちろん、キューバにもキューバ野球にも問題がないわけではない。近年はオルランドとリバンのエルナンデス兄弟、ローランド・アローホ、ホセ・コントレラスなど代表チームの主力選手たちが次々と亡命し、メジャーリーグと契約を結んで巨万の富を得ている。金の魔力は恐ろしいが、だからと言って私はエルナンデス兄弟やコントレラスを金の亡者、裏切り者などと非難するつもりはない。それも彼らに与えられた人生における選択肢の一つだ。ただ、忘れてならないのは、かつての主砲で国民的英雄だったオマール・リナレスをはじめとする代表選手のスターたちの多くは、依然としてキューバの市民であり続けているということである。

昨年の末、米財務省がカストロ政権への経済制裁を理由に、いったんはキューバ代表の入国を拒否したとき、私は「キューバが参加しない野球の世界大会などありえない」と、取材も観戦もボイコットすることをこのBlogでも宣言した。その後、プエルトリコなど中南米の同胞諸国が必死の交渉を行なった末、キューバの参加は一転して認められた(私も無事観戦できるようになって、ホントによかった~=笑)。しかし、彼らには経済制裁を理由に、優勝賞金の授与が米政府によって禁じられ、その賞金はキューバ代表の名義で、昨年のハリケーン「カトリーナ」の被害者に寄付することになっている。
もちろんキューバ代表はアマチュアだから、もともと「賞金」が目的ではないのかもしれない。しかし、あれだけの困難な闘いを戦ってきて、決勝にまで進出し、たとえ優勝しても与えられるのはトロフィーやメダルだけというのはいかがなものだろうか? たとえば、これから代表選手を目指すキューバの子供たち全員が手にできるだけのバット、ボール、グラブ、ユニフォームなどの野球用品一式に換えて、代表チームがそれを主催者から受け取るという方法も取れたのではないだろうか。

いずれにしても、野球に限らずサッカーW杯でも、オリンピックでも、国際スポーツ大会においてもっとも大切なのは「国家の威信・名誉」ではなく、「国際的な友情・友好」である。幸いにして日本とキューバは有史以来一度も戦火を交えることなく、お互いの国の市民を不当にも拉致するような国家的犯罪を犯すこともなく、革命後も日米安保下の制約を超えて良好な関係を保ってきた。忘れてはならないのは、1996年の暮れに起こったペルーの日本大使館占拠事件で、キューバ政府が事態解決のためにゲリラとの連絡役や交渉場所の提供など、大変な尽力をしてくれたことである。

私がキューバを見ていていつも思うのは、いわゆる「グローバル・スタンダード」や「グローバリゼーション」なるものが、本当に世界を豊かに、幸せにするのかということである。たとえばユニクロ(ファーストリテイリング)という衣料品チェーンがある。安くて品質のいいカジュアルウェアを売り物にしているが、その「安さ」は平均賃金がまだ安い中国の労働力に依存して成り立っている。しかし、かつての日本がそうであったように、経済発展がめざましい中国で安い労働力を使い続けることは遠からず行き詰るだろう。そのあと、安い労働力なるものはどこに求めるのか? ビルマ(ミャンマー)か? 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)か? あるいはカリブ海に浮かぶ世界最貧国と言われるハイチなのか?(同社の柳井正会長兼社長は、そういうことを真剣に考えながら経営に当たっているのかな? 給与体系の「低価格路線」もそろそろ最高の必要があるんじゃないのかな?)  いずれにしてもそれは「搾取」の連鎖ともいうべき病的な経済構造である。そして、いつかはそうした搾取の連鎖も終着点にたどり着かざるを得ない。むしろ「フェア・トレード」の精神やルールが世界の常識になることこそ、本当に必要なことであろう。貧しい国がいつまでも貧しいままでは、人口問題も環境問題も永久に解決せぬまま、人類は滅亡の日を早めることにもなりかねないのだ。

キューバ革命は、アメリカによる「搾取」を拒否して成立し、現在も継続している政治体制である。その間、旧ソ連の崩壊・冷戦の終結などで、一時は深刻な経済危機に直面した。現在も電力事情は、昭和20年代の日本ぐらいではないだろうか。
しかし、少なくともキューバは飢餓による大量の死者を出さなかったし、野球をはじめとする娯楽も市民に提供し続けてきた。

かつて、アメリカが第二次世界大戦に突入した頃、当時のMLBコミッショナー、ケネソー・マウンテン・ランディスが、当時の大統領フランクリン・D・ローズヴェルトに「戦時下でメジャーリーグを開催していかがなものか」とお伺いを立てる手紙を送ったところ、ローズヴェルトはランディスにすぐに返事を出し、「戦争で国民が不自由を強いられるときだからこそ、娯楽としての野球は必要である」と、戦時下のMLB開催を認めた。この手紙は「グリーンライト(青信号)レター」と呼ばれ、現在もクーパースタウンの野球殿堂博物館に保管されている。太平洋戦争で日米の勝敗の差を分けたのは、物資・国力の差ももちろんだが、こうした政治家の姿勢も大きかっただろう。同じ時期、日本軍国主義政府は野球を「敵性競技」として弾圧し、国民には「ほしがりません勝つまでは」と、ひたすら忍従を強いる一方で、政治家、高級軍人、高級官僚などの特権階級は「飢え」とは無縁の日々を送っていたのである。

カストロが独裁者との非難を浴びながらも、一方で友好国も多いのは、彼の政治姿勢がこのローズヴェルトのそれにも通じるものがあるからではないだろうか。もちろん彼を手放しで礼賛するものではないが、少なくとも文革時の毛沢東や、どこぞの「将軍様」、あるいはイスラム原理主義に毒されナチ礼賛まで行なうイランの大統領などと同類として扱い、「危険国家」呼ばわりして敵視政策を続けるアメリカ政府には同調することはできない。なぜならば、彼らが「キューバには民主主義はない」と宣伝しながら、その一方で支援を続けてきたのは、チリのピノチェト政権に代表される、悪名高き軍事独裁、ファシスト国家だったからである。そうした独裁国家でいったいどれだけの罪なき市民が殺されてきたか? 自国の利益が保証されるのであれば、友好国が独裁国であってもかまわないというのは、倫理的にも通用しない言い草である。

さて、こんなことを長々と書いたのは、明日WBCで決勝を戦う相手は、こうした歴史的背景を持った国の人たちなのだということを、このBlogの訪問者の皆さんにも一人でも多く知ってもらいたかったからである。この際、ハッキリいおう。日本とキューバによるWBC決勝戦は、私が望んでいた最高の顔合わせなのだ。明日の試合がベースボールの歴史と、日本とキューバ両国民の友好関係に、また輝かしい1頁を記す素晴らしい試合になることを、心から願わずにはいられない。



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4 コメント

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キューバ代表頑張れ! (ふで弟)
2006-03-21 00:25:18
はじめてコメントさせて頂きます。



本日のブログを拝読し、キューバについて勉強させて頂きました。明日はキューバも応援したくなってきました。もちろん最終的には日本に勝って欲しい気持ちではあるけど、いい試合をして欲しいものです。



しかし、キューバが優勝した場合に、米国の経済制裁が理由で同国代表に賞金が渡らず、キューバ代表名義でカトリーナ台風の被害者に渡されるとは知りませんでした。



本件にはなんか皮肉というか不思議な思いを感じます。

昨年のカトリーナ災害の際、キューバは国としてカトリーナ被害への医療支援をいちはやく申し出たのに米国に黙殺されてたらしいです。



↓時間のある方はご参考まで(日本キューバ友好協会理事長さんの文章です)



http://homepage3.nifty.com/aajc/archive23.html



上記文章の中にカストロ議長のニカラグア地震についてのコメントも出てきてます。キューバは当時の米国傀儡政権のニカラグアにも医療支援をしていたんですね。



ニカラグア地震といえば、その救援物資を運ぶ飛行機事故で亡くなったロベルト・クレメンテが想い出されますが、この精神をたたえてクレメンテ賞を設けたアメリカと、今回のキューバに対する出場妨害や優勝賞金への考え方など、なんとも皮肉なものを感じてしまいます。



日本代表にはもちろん頑張って欲しいですが、キューバが優勝して、カストロさんがどんなコメントをするか聞いてみたい気もしてきました。とにかく明日は楽しみです。

真の豊かさとは? (Ryo Ueda)
2006-03-21 00:36:44
コメントありがとうございます。さきほど、TBSの「ニュース23」でキューバ野球の特集をやっていました。詳しくはまた後日エントリーしますが、代表選手でも折れたバットをテープで補修してまた練習で使っているほど、決して恵まれた環境ではないように思えます。しかし、キューバやドミニカ共和国の野球事情を紹介する番組を見るたびに思うのは、道具はなくても野球をプレーできる環境は日本よりもはるかに多いということです。広場だけではありません。路地裏の小さなスペースも利用して、ゴムまりで野球に大人までが興じる姿。それは、1970年代ごろまでの日本にもあった光景です。最近、近所の公園でも(別に禁止されているわけではありませんが)草野球に興じる子供の姿を見ることがありません。そうした光景を目にするたびに、子供が野球(ユニフォームを着てやる「少年野球」ではありません)に興じる路地裏さえないような日本のスポーツ環境が、本当に「豊か」なのか、疑問に思わずにはいられないのです。
キューバと日本とベースボール (HiRO@zetton05)
2006-03-21 07:53:44
私も「News23」見ました。

その後、こちらでこのエントリーを拝見しました。

キューバ革命やカストロ議長のことは知っていても表層的、教科書的にしか知らなかった自分。勉強させていただきました。ありがとうございました。

今日の、キューバとの決勝戦を、また違った目で見ることができそうです。

私も今、東京で暮らしていて感じますが、東京では子供が気軽に野球をする場所がない。空き地も無く、公園も危ないからと禁止の場所も多い。なんと貧相な環境でしょう。東京では、これに気付いてすらいない方も多い。

キューバでは、本当に生活の中に野球があるんですね。野球をするのも、観るのも両方含めて。

キューバの選手を見ていると、とにかく個人の運動能力が高い。チーム全体の足の速さなら今回のWBC随一でしょう。そして守備を見ていると、さらにまだ伸び代があるようにも思えます。

ベースボールというスポーツの、今後の発展のためには、素晴らしい決勝の顔ぶれになりましたね。

今日の決勝戦の愉しみが一層増しました。
野球魂について (ryoichi Urata)
2006-03-22 16:37:40
素晴らしいコメントに感動です。

野球バカを輩出させないためにも、こうした国際レベルでの啓蒙に力を入れてください。

おそらく、殆どの日本人は、キューバを北朝鮮と似ているようなイメージを抱いているのではないでしょうか。

気候は大きく異なるので、ラテン系の陽気さがあるのが違うところかな・・・くらいではないでしょうか。最近、旅行してき友人の話では「とてもよかった。人間は素直でやさしい、物価は安いし、海は綺麗だし・・・」でした。

パリからでも7,8時間のフライトで近くはないけれど、

見聞を広めるために、一度訪れようと思っています。

路地裏でゴムボールで戯れた昔を、思い出して身震いして

います。そんな少年たちが大勢いるところを見たいものです。