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グレッグ・マダックスを不世出の大投手にした「指導者たちの度量」

2008年12月09日 | Baseball/MLB

 

 

 グレッグ・マダックスのピッチングを初めて実際に見ることができたのは、1992年8月、シカゴのリグレーフィールドだった。もちろん、まだ彼がシカゴ・カブスのユニフォームを着ているころだ。

 

 この試合、マダックスは相手のアストロズ打線(当時は、まだユニフォームの袖に「レインボーユニフォーム」の名残りが残っており、打線にはこの年に捕手から二塁に転向したばかりのクレイグ・ビジオもいた)相手に1対0のシャットアウト勝ちを演じている。このシーズン、マダックスは4回の完封をマークし、通算では35回記録しているから、私はこの歴史的な大投手が残した偉大な足跡の一ページを幸運にも目撃することができたわけだ。

 

 そのマダックスが、第二次世界大戦後にデビューし、ナショナルリーグだけでプレーした投手としては最多となる通算355勝の大記録を置き土産に、今季限りでの現役引退を発表した。

 

「精密機械」の異名を取った、メジャーリーグ史上屈指の技巧派右腕投手ぶりは、投球回数5008回1/3で、3371個の奪三振に対し、与四球が999個! 9イニングス平均でわずか1.8個弱のフォアボールしか与えていない。ちなみに通算勝利数上位十傑のうち、通算四球が3ケタにとどまっているのは、19世紀にプレーした投手を除くと、ともに通算373勝のクリスティー・マシューソン(4780回2/3で844四球)とグローバー・クリーブランド・アレクサンダー(5190回で951四球)の二人しかいない。また同時に、投手分業制の時代にあって、マダックスが5000を超える投球回数を記録したことも驚異的だ。

 

 かつて、大阪タイガースと毎日オリオンズで活躍した若林忠志投手は、引退後しばらくして、自分の通算奪三振が999個で終わっているのに気づいて現役に復帰し、1000奪三振と引き換えに1敗と自責点8を計上したエピソードを残している。マダックスの場合は逆に、自分の通算四球を3ケタで終わらせるためにユニフォームを脱いだのではないかと思ったほどだ。しかし、999のフォアボールで現役を終えるとは、いかにも「精密機械」らしい逸話として、今後語り継がれることだろう。

 

 

 マダックスといえば、全ポジションを通じて最多のゴールドグラブ受賞18回を誇る守備の名手としても名をはせた。私自身、実際にフィールドでその見事なグラブさばきを目の当たりにしたり、スカパー!MLBライブの中継で、コメンテーターの職分を忘れて興奮しすぎたりしたこともある。身長183cmとプロの投手としてはもちろん、一般のアメリカ人男性としても平均以下の体格で、速球のスピードは140kmそこそこだった彼にもしこの守備力がなかったら、355勝や通算3..16の防御率をマークすることはできなかっただろうとも言われている。

 

 その一方でマダックスは走者を背負ったときの牽制や盗塁阻止は意外にも数字が低かった。というよりも、自身の投球術と守備力に絶対の自信を持っていたため、走者に神経をつかうよりも、打者を打ち取ることに集中していたのだ。

 

 

 もちろん全部が全部そうだと決めつけるつもりはないが、もしマダックスのように、「私は走者を背負っていても打者に集中したいので、不必要な牽制やクイックモーションはやりません」という姿勢の投手が現れたら、プロ・アマ問わず日本の野球指導者がそれを簡単に認めるだろうか。ましてマダックスのように150kmを常時超えるスピードを持たない技巧派投手であれば、脅し、なだめ、すかしながら「牽制球やクイックモーションの効用」を必死に説くだろうし、それでも言うことを聞かなければ試合に使わないことも考えられる。

 

 

 私は何も、マダックスのように、すべての投手が「走者を気にせず、目の前の投手に集中すべき」だとは思わない。牽制やクイックモーションの技術を磨き、それを有効に活用してピンチを脱する名投手も、アンディー・ペティットなど洋の東西を問わず数多いからだ。1970年代のパ・リーグで、もし東尾修(ライオンズ)や鈴木啓示(バファローズ)といったエースたちが卓越した牽制術を持っていなければ、福本豊(ブレーブス)の通算盗塁数は2000にも達し、阪急ブレーブスの優勝回数も倍増していたかもしれない。

 

 要は指導者に必要なのは、自分が教える投手が「マダックス」タイプなのか、「ぺティット」タイプなのかを見抜き、どちらが彼らにとってベスト、あるいはベターなのかを判断する能力なのだ。

 

 高校やマイナー時代、そしてメジャー昇格直後も、マダックスはさまざまな指導者に教えを受けてきたはずだが、おそらく多くのコーチたちは、「ランナーよりも打者」というマダックスのアプローチを少なくとも否定的にはとらえなかったのだろう。

 

 私は少なくとも、スポーツの指導者は教える選手が「やりたい」「試してみたい」と望んでいる方法を、(それが故障を誘発する危険を伴わない限り)、何度かやらせてみる度量が必要だと思う。だが、特にトーナメント至上主義の高校野球では、指導者がそういう指導法を実行したくてもできない環境にあるのもまた事実だ。

 

 いずれにしても、355勝投手グレッグ・マダックスは、彼がその野球人生で接してきたアマチュアやプロの指導者の「度量の大きさ」「寛容さ」「的確な判断」があればこそ誕生したといえる。正直なところ、日本のスポーツ界をいまだ厚く覆っている暗雲「体育会系体質」のもとでは、マダックスのような投手が出現する可能性は極めて低くなることは確かだろう。

 

 私にとって幸運だったのは、ウォーレン・スパーン(ブレーブス)が1963年に記録して以来、40年以上もメジャーリーグで途切れていた「350」の勝ち星が、ロジャー・クレメンスとマダックスの二人によって、自分の「目の黒いうち」に達成されたことだ(ここではクレメンスに関してそれ以上語ることはしない)。

 

 そして今日、MLB公式サイトに掲載されているHistorical Player Statsで、現役選手を示すアスタリスク「*」が、マダックスの名前の横から消えた。私にとっては、彼の引退会見やそれを伝えるニュース映像よりも、消えたアスタリスクこそが、グレッグ・マダックスが永遠にマウンドから去った事実を何よりも実感させられる出来事だった……。

 

 

Greg Maddux: Master on the Mound (Millbrook Sports World)

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
左側の写真 (ADELANTE)
2008-12-09 23:36:30
左側の写真は若いなあ。

東尾投手はマダックス型の投手だとばかりおもっていたのですが違っていたのですね。(山田、村田、高橋直、東尾、鈴木の時代のパリーグが大好きな私です)