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山下大輔に見た一流アスリートの「肉体の秘密」

2006年01月20日 | Baseball/MLB
今日、夕方のニュースで、スピードスケートの大菅小百合の特集が流れていたが、彼女の大腿部(太もも周り)は56cmと、私のウエストぐらいあるという(ウソです=笑)。スケートでは最大の武器となるその大腿部も、ジーンズを選ぶ際には合うサイズがなかなかなく苦労の種だという話を聞いていて、ふと思い出したのが、前横浜ベイスターズ監督(現イーグルス編成部長)の山下大輔氏の現役時代である。
横浜スタジアムでの試合前に関係者食堂でインタビューしたときのことだと思うが、私服姿で入ってきた山下さんの姿を見て、引き締まったウエストにもかかわらず、ジーンズの胴回りの部分がブカブカなのに気づいた。聞いてみると、やはり太ももにサイズをあわせなければならないため、ウエストはどうしても余ってしまうのだという。
山下さんと言えば、横浜大洋ホエールズ時代には8年連続でセ・リーグのダイヤモンドグラブ(現ゴールデングラブ)に輝いた名遊撃手で、これは現在も回数、連続受賞ともにセ・リーグ記録である。彼はショートストップとしては決して強肩ではなかったが、とにかく打球に追いつき、捕球して送球するまでの一連の流れが、他チームのショートよりも1テンポも2テンポも速かった。しかも二遊間、三遊間の深い守備位置に飛んだ打球でもほとんどからだの真正面で処理していて、いわゆる逆シングルでの捕球が少なかった。要するにタイガースの平田あたりが横っ飛びで捕っていた打球でも、山下大輔は真正面で捕球していたのである。その鉄壁の守備を支えていたのが、鍛えられた太ももに象徴された強靭な下半身だったわけだ。

スポーツが多様化しても、プロ野球のスター選手は依然として日本のスポーツ界全体からみてもトップアスリートであることが多い。山下氏と同時期に大洋でプレーしていた屋鋪要は陸上短距離選手として育てられていれば五輪の短距離ファイナリストにまでなれたのでは評されていたし、1961年に中日ドラゴンズでデビューして35勝をマークした権藤博氏をキャンプで見た織田幹雄氏(日本最初の五輪金メダリスト)は「今からでも鍛えれば(それから3年後に開催された)東京五輪に間に合うぞ」とその優れた身体能力を絶賛したと言われている。また西鉄ライオンズの主砲だった中西太氏は、相撲を取らせても十両クラスの力士と互角に渡り合えた。

プロ入りしたばかりの清原和博を初めて間近で見たときの衝撃は一生忘れないだろう。高校を出たばかりの18歳の少年が、外国人選手と見間違うほどの肉体の持ち主だったのである。その年、彼は日本シリーズで自打球を当てて足の指を亀裂骨折したために、2日前のBlogで紹介したリプケン、サンドバーグ、オジー・スミスらが出場した日米野球に出られなかったのだが、これは少なからず彼のキャリアにとって損失だったのではないだろうか。それから20年経って、彼は単なる「巨漢」になってしまった。そう言えば、86年の全米オールスターにはあのホセ・カンセコもいたのは偶然だろうか(笑)。


野球場だけでなく、スポーツ会場でフィールドやアリーナに近い席を取ることができたら、ぜひ間近でアスリートたちの肉体をよく観察して欲しい。ちょっと小柄に見える選手でも、立派な腰周りや太もも、太い腕を持っている選手は一流のプレーを見せてくれることが多い。
私が実際に見たアスリートのなかで、もっともバランスが取れたすばらしい肉体をしていたのは、やはりマイケル・ジョーダンだろうか。彼の銅像がブルズの本拠地ユナイテッドセンターの前に建てられているが、その出来ばえはご本人の肉体の美しさには遠く及ばない。

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