クインシー・ジョーンズ自叙伝

クインシー・ジョーンズの半生を彼の飾りのない、そして鋭い洞察力で描かれた物語。

マイケル ノーパン生尻に…“クインシー・ジョーンズ自叙伝よりその2

2010年12月29日 | クインシー自叙伝第36章
クインシー・ジョーンズ自叙伝
(2002年10月)
原題「The Autobiography of Quincy Jones」
著者 クインシー・ジョーンズ 訳 中山啓子

スリラー マイケル・ジャクソンがポップ・ミュージックを変えた瞬間

『スリラー』その2
(第36章、スリラーの記述)

そしてエンジニアを呼び、その場で即座にボーカルをつけた。マイケルは彼の心情を歌いあげた。その曲が《ビート・イット》だった。


(ブルース・スウェディン)

私たちはホットな曲だと思った。実際スタジオで《ビート・イット》に取り組んでいたとき、エンジニアのブルース・スウェディンに呼ばれて行くと、右のスピーカーから火花が飛び散っていた。それは40年のキャリアがある私でさえみたことのない光景で《ビート・イット》はそれほど強烈だった。


また「スリラー』のセッションで、私はマイケルが日常生活の中で人慣れしていないことをはじめて理解した。あるとき、私たちがウエストレイクのスタジオで仕事をしていると、健康そうなカリフォルニア・ガールがスタジオの窓に歩み寄った。


道路に面したその窓は、内側からしか見通せないマジックミラーだった。彼女はドレスを頭の高さまで捲り上げると、下着をいっさい着けていない下半身を剥き出しにした。


私とロッドとブルースは喜んで眺めた。締め切りの強烈なプレッシャーを受ける真っ只中で、私たちは口を開けて見とれた。だが振り返ると、エホバの証人の敬虔な信者マイケルは、コンソール卓の陰に隠れて、女性の下半身を見まいとしていた。



私たちは、マスターテープの締め切り当日の午前9時まで、3つのスタジオでオーバーダビングとファイナル・ミックスと調整を同時進行で行った。そして6フィートのボール紙の筒を通して歌ったマイケルの《ビリー・ジーン》のボーカルに最後の仕上げをした。


ブルース・スウェディンは、ウンドゥグ・レオン・チャンスラーのライブ・ドラムスによる最後のオーバーダビングでドラム・マシーンを取り替えるというマジックを使った。




私はエディ・ヴァン・ヘイレンを別の小さなスタジオに案内した。そこにはギブソンの大型スピーカー2台と、彼に1級のギター・ソロを弾いてもらうために用意した6本入りのビール2箱が置かれていた。


(グレッグ・フィリンゲインズ)



そうして私たちは《ビートイット》のベース・ラインをグレッグ・フィリンゲインズのミニ・ムーグ・シンセサイザーとともにダビングした。
(※グレッグ・フィリンゲインズ=キーボード奏者、歌手であり、スティービー・ワンダー、エリック・クラプトンなどと共同作業を行っている、クラプトンの日本公演にも同行していた。TOTOには2005年から3年間正式メンバーとなっている)




ブルースは私たちのリズム・トラックを12トラックのテープに録音し、その後デジタルに変換して、例のファットなアナログのリズム・サウンドを出したいと思っていた。私たちは全員、そのリズム・サウンドが気に入り、“ビッグな足とタイトなスカート”と呼んだ。


ブルースはマスタリングをするため、そのテープを持ってバーニー・グランドマンのスタジオへ出かけた。バーニーはマスタリングの第一人者だった。その間、私はマイケルを自宅に連れて行き、書斎のソファーに寝かせ、毛布をかけて、午前9時から3時間の仮眠をとらせた。


私たちは世界に向けて発表するレコードのテスト盤を聴くため、12時までにスタジオに戻らなければならなかった。私は眠ることができなかった。期待で胸が弾んだ。私たち全員ほとんど狂乱状態になっていた。

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マイケルってほんと、ウブだったんですね。まだまだいろんなエピソードがでてきます。ビート・イットサウンドに火花が散ってっていうのもすごいですね。

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『スリラー』クインシー・ジョーンズ自叙伝よりその3へ続

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