月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

329.明石市穂蓼八幡神社先代屋台の復元月刊「祭」2021.3月3号)

2021-04-01 00:42:00 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の題材-
●明石穂蓼(ほたて)八幡神社屋台の復元
 2021年1月11日、明石市穂蓼(ほたて)八幡神社の先代屋台が明石布団太鼓プロジェクトと地元の方がよびかけ、自町をふくめた太鼓台、屋台の復元経験豊富西宮市大市八幡神社祭礼関係者の方々が作業の中心となって復元されました。
 



●欄干金具の文字
 「昔の本物布団から、枠組みのしっかりした現在のようなハリボテ布団の、過渡段階の布袋を四辺におく形式の屋根です。」といった屋台本体については報告書ができあがってるそうなので、ここではこれ以上ふれないようにします。
 とりあえずは、欄干の金具についてあれやこれや言うことにします。
 ま金具の動物を見ると、未、酉、辰、巳、丑など十二支の動物がいることがわかります。
 






 この漢字は乾(いぬい)と思われます。

 
 これはおそらく艮(うしとら)か坤(ひつじさる)でしょう。にた文字が二つありましたがどちらがどちらかは分かりませんでした。
 

 
 
 
 巽(たつみ)は見当たりませんでしたが、なくなってしまっている部分のどこかにおそらくついていたものと思われます。
 
●刺繍
 刺繍は龍の水引幕。円の龍は播州屋台では珍しいです。高覧掛けは海女の珠とり、三木では明石町と栄町の図柄です。淡路や四国で好まれる刺繍です。
 龍の鱗がへこんでます。この本によると古い手法だとか。実はこれについては詳しくご教示をたまわったこともあるのですが、この記事作成の目的できいたことではないので、これ以上はふれないようにします。
 



 
台車
 だんじりを思わせる台車です。明石にはこのての台車がけっこう残っています。おもしろいのは、このような台車を魚住や垂水などで「だんじり」と呼んでるとききました。案外台車の歴史はところによっては古いのかもしれません。
 






 
 
編集後記
 まずは、この記事作成のきっかけを下さった復元作業関係者の皆様方にお礼申し上げます。
 月刊「祭」といえば台車。ということで、最後は結局台車の話になりました。大慌ての3月3号。文章は31日23時40分出来上がりました。写真は4月になっての出来上がりです。夜明け前なので、セーフということにして下さい。
 
 
 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

328.鯉から龍へ。好まれた地域と説話の生まれた背景(月刊「祭」2021.3月2号)

2021-03-26 15:33:00 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
今回は鯉の滝登りについてのお話です。
物語の出典やその解説は、他サイトにおんぶに抱っこです^_^;

●鯉の滝登り刺繍が好まれた地域
 この屋台は昭和初期に彫師・井波の川原啓秀、大工、縫師は共に淡路の人で、それぞれ柏木福平、梶内近一という錚々たる顔ぶれで製作されました。鯉の布団締めは当然、梶内近一によって作られたものです。


↑東這田屋台とその布団締め

 この図柄は、どうやら淡路や讃岐(香川県)で好まれた図柄だったようです。下の写真は香川県高松市牟礼町宮北落合太鼓台の布団締めで、鯉の滝登りがモチーフになっています。

↑高松市牟礼町宮北落合太鼓台の布団締め
観音寺太鼓台研究グループ(代表・尾﨑明男)『太鼓台文化の歴史』(ヴォックス)2011より

 さらに、その元をたどると人形浄瑠璃がさかんだった淡路、農村歌舞伎が盛んだった讃岐(香川県)などでは、その衣装としても好まれていたことが伺えます。

↑淡路人形浄瑠璃資料館(南あわじ市中央公民館図書館2階)
の人形浄瑠璃衣装

●鯉の滝登りの出典
 鯉が滝を上り切ると龍になるという、立身出世の象徴として用いられる図柄ですが、その出典はどのようなものだったのでしょうか? 
 こちらのサイトによると、「太平御覧」という書物(宋の時代、977-983頃成立、ウィキぺd●ア)に以下のような文章があるとのことです。

辛氏三秦記曰、河津一名龍門……大魚?集門下數千、不得上、上則爲龍。
辛氏の「三秦記」が言うには、(黄)河の一名龍門と呼ばれる滝の下に大魚が集まるが、なかなか上れないが、上りきれば龍になる

という意味で、ここでは魚が鯉かどうかは分かりません。しかし、昔の絵図の魚を見る限り、髭があるなどやはり鯉であることが多いとのことです。

●鯉の滝登りの説話が生まれた理由
 中国の『山海経(紀元前四世紀から三世紀に成立らしいバイwikiぺdia)』では、
「龍、鱗蟲之長」とあります(参考 周正律「漢代における龍の属性の多様化について」『東アジア文化交渉研究8』2015)。
龍は鱗がある動物・鱗蟲の長とされており、鯉を含む魚はその鱗蟲に属する事になります。昔の中国の動物の分類の考え方が、魚が龍になるという説話を生んだと言えるでしょう。

編集後記
 播磨国明石郡小寺のめでたき門出を迎えた若き友たちに、この拙文を捧ぐ。






コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

327.狭間、欄間の立体感(月刊「祭」2021.3月1号)

2021-03-11 21:05:00 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
●言うは易し、やるは難しの立体感考
今回は「立体感」のある狭間、欄間とはどういうものかを考えていきます。
 ここでは、「立体感がある」というのは、「立体的に見える」という意味で使います。


二次元(絵)の立体感の出し方
 まず、絵の場合はあらゆる工夫が必要となります。思いつく限りでは、①影をつける。②奥行きなどの線を一定の決まりに基づいて引く。という2つの方法があります。
 
①影をつける
 影をつければ、円が球のように立体感を持って見えてきます。





②奥行きなどの線を一定の決まりに基づいて引く
  アの絵は正面から見たビルです。
 イは奥行きの線を1つの点から出した線上に表す、一点透視図法を使ってみました。このようにすれば、立体感を感じる表現になります。
 絵の場合、平面に描く以上、なんらかの工夫が立体感を得るためには必要となってきます。



●「いい狭間、欄間彫刻」の絶対条件-立体感
 さて、ここからが本題です。狭間、欄間彫刻において、どうしても欲しいのが「立体感」です。これが感じられる彫刻が、いい彫刻となるための必要条件になると言えるでしょう。
 そのためにはどのようにすればいいのでしょうか??
 それは、「立体的」に彫ればいいと思われます。
 
立体的に彫るためには?
 「立体感を出す」ための方法が「立体的」に彫るということです。立体的というのは、実物の大きさと同じ比率で彫ることです。つまり、横幅と高さを20分の1にしたならば、奥行きも20分の1にすることです(下図B)。逆に、横幅と高さは20分の1なのに、奥行きだけ40分の1にしてしまうと立体的な彫刻は不可能になります(下図A)。
 
 


 彫刻の場合、想像を絶する努力で彫る技術を身につけることができたならば、横幅、高さ、奥行きを全て同じ比率で縮小(拡大)して彫ることで、立体的な彫刻は可能になります。
 
●狭間、欄間の工夫
 本文の前に
 この記事より、この書籍の方が、この記事で言おうとしていることを、正確に詳しく理解できます。
 
 
狭間、欄間の立体感はスペース確保の歴史
 
1 狭間に高さのない屋台
 上の写真は加古郡稲美町住吉神社印西屋台の狭間です。非常に精巧な彫刻で、狭間はおそらく一枚板で作られています。現在三木、姫路、高砂などで見られる多くの屋台よりも狭間の高さはそんなにありません(おそらく20センチ以下)。精巧で見事な彫り物ですが、狭間の高さが限られているので人物もその大きさに、合わせて作られています。
 そこからさらに大きな人物を彫るための工夫が生み出されます。

2 大きな人物を彫るために
 
 結局大きな人物を彫るには、狭間の高さを高くしないといけません。しかし、狭間の高さを高くするだけでは、上の図のAのようになってしまいます。
 そこで、板を合わせるなどして奥行きを出し、結果、前面にせり出す構造の狭間が作られるようになりました。
 上の写真は、加古川市日岡神社の旧大野屋台(現在は加古川総合文化センター所蔵)のものです。下から撮影すると狭間がせり出しているのが分かります。
 
まとめ
①狭間、欄間で「立体感」を出すためには実物と同じ比率の高さ、奥行き、幅の「立体的」なものをつくるのが、シンプルな方法です。
 
②より大きな人物をつくろうとするために、狭間の高さを高くすると、それにともない横幅を大きくし、さらに、奥行きも出さないといけない。そのためにせり出した構造のものが生まれた。
 
 
 


 
 


 
 





 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

326.女性の参加度はどのくらい!?-祭を比べる難しさ-(月刊「祭」2020.2月4号)

2021-02-15 12:57:00 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-

●組織研究という祭研究の主流!?

 これを社会学というべきか、民俗学というべきか、はたまた別の呼び方があるのかは分かりませんが、屋台やだんじりの祭を研究でよくされているのが、組織の研究です。管理人もそれっぽいことをやろうとして、失敗しかけたことがありました。同様の失敗をしている人を見たことはありませんが、今後同じ失敗をするのをふせぐために、今回の記事をあげることにします。
 それが「祭を比べる」ということです。
 その難しさを、管理人が失敗しかけた女性の参加という視点から考えていきます。
 なお、この記事は女性の参加の可否を取り上げている物ではないということをはじめにおことわりしておきます。

●大阪、岸和田、尼崎の比較 

1.女性が綱元を曳く大阪市東成区比売許曽神社 東小橋(ひがしおばせ)だんじり

 

 地車本体のすぐ前の綱元はだんじりが、すぐそばにある危険な場所です。ここを女性が曳いています。

2.女性が綱元を曳かない岸和田だんじり祭

 

 

 一方、岸和田のだんじりの多くは映像のように、綱を女性が握ることはあっても、綱元は男性が務めています。

3.女性がだんじりに触れない尼崎の祭

 尼崎市貴船神社のだんじりは女性が地車に触れることはありません。

これらのことから、「大阪市比売許曽神社→岸和田→尼崎の順に女性の参加が進んでいる」と言いたくなります。しかし、安易にこの結論を出すことは出来ません。

 

●科学的検証の鉄則、比べる条件以外は揃える

 小学校五年生の時に習うのが、比べたい条件以外は条件を揃えるというのが実験の鉄則です。例えば、塩と砂糖の水への解けやすさを比べるときに、塩10gに水50g、砂糖1gに水100gで比べても正確には比べられないというものです。正確に比べるためには、塩と砂糖という物質を変える以外は、水、塩、砂糖の重さ、水温などすべての条件はそろえないといけません。

 祭を比べるときもいっしょです。例えば大阪、岸和田、尼崎のだんじりの動かし方はそれぞれ同じではありません。大阪は比較的おだやかで、岸和田はやりまわしをします。尼崎にいたっては、山合わせといって下の写真のようにだんじりをウイリーさせた状態でぶつけあいます。

 つまり危険なものほど、女性が参加していないというものがうかびあがってきます。危険な動かし方など、揃えられない条件も考えて、祭を比べるという視点が、祭の比較には必要になってきます。

●民俗学という体験の学問

 結局、女性の参加の度合いなどを比べるときに、だんじりの引き方などが分かっていないと議論が明後日の方向に行ってしまうことは明白です。民俗学が体験の学問やということをどっかで聞いたことがあります。その真偽はさておき、フィールドワークを重んじるのは、このような危険性などを体感的に理解する必要があるからでしょう。結局、担いでみんとわからん、引いてみんとわからんことがあるというシンプルな結論になってしまいました。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

326.하나(ハナ)(月刊「祭」2021.2月3号)

2021-02-14 17:26:51 | コリア、外国

●韓国語と日本語の共通点
 朝鮮半島と日本はかなり近い位置にあり、祭をふくめた文化に共通点が見られます。
 言語にもその類似性が見られます。それは、文法の類似や感謝をカンシャ、カムサと日韓それぞれで読む漢字語レベルだけでなく、それぞれの固有語レベルでも類似が見られます。

 今回はそのような固有語の類似の例をあげ、特に「ハナ」という言葉を少しだけ詳しめに見ていきます。

・マブシイ
 目+ブシ+イで出来た言葉である可能性があります。これに対応する韓国語は눈 부시다(ヌンブシダ)。눈(ヌン)は目、다(ダ)は語尾で、부시(ブシ)が目などをくらますなどの意味を両国の言葉で持っているノかも知れません。

・ナラ
 かつての都だった奈良。その語源は奈落とも言われていますが、韓国語で国を意味する나라(ナラ)が語源とも言われています。


・ヘビと뱀(ペム)

 こちらに詳しく書きました。どちらもらヘビ🐍を意味する言葉です。

●하나(ハナ)
 さて、祭関係者なら切っても切れない「ハナ」も韓国語由来の言葉であると思われます。
 韓国語では하나(ハナ)は、ひとつ、一を意味します。
 日本では、花、鼻、端、はな(はじめ)などの意味を持ちますが、大元の意味ははじめとか物事の先端を意味します。「はなから」と言えば最初から、一からという意味になるので、하나(ハナ)に近い意味があると言えるでしょう。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

325,姫路城下の屋台ならぬ花台!?(月刊「祭」2021.2月2号)

2021-02-14 02:02:00 | 屋台・だんじり・神輿-その他伝承、歴史-
●三ツ山祭で有名な射楯兵主神社
 播州の国宝にして世界遺産の姫路城。そのお膝元の神社が射楯兵主神社です。平成二十五年(2013)には二十年に一回の三ツ山祭が行われました。現在は置山の祭として知られていますが、もともとは播州の要所であり、いち早く盛大な◯◯車の祭が行われていたようです。
 そこには、「◯◯車」や屋台ならぬ「花台」なるものも出されていたようです。
 


●もともとは車だった三ツ山
※ドヤ顔で下の内容を書いていましたが、これより詳細かつわかりやすい文章が、小栗栖健治「三ツ山祭の成立と展開 第一節 天神地祇祭と臨時祭」姫路市教育委員会文化財課『播磨国三ツ山大祭調査報告書』2015所収に出ています。
 
 天正九年九月九日(1581)の記述とさられる『惣社(射楯兵主神社のこと)集日記』には、その当時伝わっている神社や祭礼の歴史が記されています。
 その中の大永元年(1521)、二年(1522)の記事を見ていきましょう。
 大永元年六月卯日 装山并花台 -中略- 三村ゟ車出 九院ゟ台捧
 
 装山は飾り山、現在の三ツ山を連想させます。花台は、神仏に備える花の作り物かと考えていますが、これだけでは分かりません。さて、装山と花台のうち、花台は「九院ゟ台捧」とあることから九つの寺院から出されていたと思われます。となると、「三村」から出されていたのは「装山」のはずですが、「三村車出」と三村から出されるのは車となっています。山=車の可能性、山を出しさらに車を出していた可能性の両方がこの記述から考えられそうです。しかし、上で挙げた「報告書」では『播磨国飾東郡国衙庄惣社略記』の
 
 同(大永元)年六月卯日、神部ノ社三山ノ形チ装山之造車并ニ宝前装花台捧上ス
 
という引用文を挙げ、三ツ山が車であったことを指摘しました。
 さらに大永二年の記述を見ていきましょう。
 
 大永二年五月三日大祭祀 装山を改、国府村、宿村、福中村三司ゟ広前三ヶ所ニ作ル、高サ三間二尺と云、木竹にて造り、色絹にて巻之
 この年から装山を改めて、今のような置き山になったことが見て取れます。
 
 下の絵が成立した時は、すでに置き山になっている時代です。しかし、作者がそれを意図したのかどうかは分かりませんが、置き山前の車時代の山を想像する手掛かりになるのかも??

寛永十年(1633)頃 「播磨国総社三ツ山祭礼図」
 
 
●大祭祀、九カ寺院が出す屋台ならぬ「花台」
 ドヤ顔で上の内容を書こうとしたのですが、残念ながらオリジナリティはありませんでした。ここからは、オリジナリティがあるはずですが、この記述の紹介、あるいは類似記事の紹介は兵庫県立博物館がすでに展示していました。が、少しばかり初だしな内容もあるので、最後までお付き合いください。
 まずは『惣社集日記』の大永元年の記事をもう一度あげてみます。
大永元年六月卯日 装山并花台 -中略- 三村ゟ車出 九院ゟ台捧
 大永元年に花台、台を捧げていたのは九院でした。三村の山が神仏の依代であるとするならば、花台は「捧」の文字からわかるように、神仏に捧げる性質のものであったことがわかります。
 この九院の内容が大永二年の大祭祀の記事にも見られます。そこには、「花台」の姿が少しばかり想像できる記述が残っていました。
 九ケ寺院造花を出す、当年造花車を改メ
広前ニ装山す
 
 大永二年の記事では九カ寺院造花を出すとあることから、花台は造花であることが分かります。さらに、当年「造花車を改め、装山す」ということからこの年から置き山になったと思われます。逆に言えばそれまでは、花台造花車でした。
 
●寺院が出す造花車
 寺院が出す造花車がどのようなものかは、なかなか知る由もありません。しかし、寺院が造花の車を出していた事例は河内にありました。
 それが『河内名所図会』に載っている、誉田八幡の車楽です。といっても、車楽はここでは音楽を意味しており、この車自体は「藤花車」と呼ばれていたそうです。絵を見ると、車の上には造り花が見られます。この車楽は誉田八幡の東西二箇寺から出ていました*。この二点は大きな共通点と言えるでしょう。
 

「河内名所図会」享和元年(1801)
 
 屋台・だんじりが隆盛する前の祭りでは、花車を寺院が出して神仏に捧げるいう形態が一つの祭の型としてあったのかもしれません。
 
 
*大阪市立博物館「第121回特別展 南河内の文化財 平成5年3月1日〜4月11日」(大阪市立博物館)1993
 
 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

324.屋台と車、レトロ回帰の90年代(月刊「祭」2021.2月1号)

2021-02-12 16:15:00 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
伝統回帰?ザックリ1990年代の日本(管理人独断)
 この頃の日本はバブル崩壊もあったのか、「ヨーロッパ、新しいもの嗜好」から「アジア、国内、伝統回帰」が見られたように思えます。
 猿岩石がヒッチハイクをすることで、アジアの旅行を志す人が増えました(多分)。隣国ヘイトを加速させたので管理人は好きではないですが、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」で古き日本に想いを馳せる人が出てきた面はあったと思われます*。
 ダウンタウンの松本人志さんが、作務衣を着たり、東洋式龍の革ジャンを着てで始めたのもこの頃だと記憶しています。
 そんな感じで、日本の伝統や古いもの回帰の見られた90年代、車も屋台もその傾向があったようです。
 そこで、90年代のレトロ回帰した様子を車たら屋台それぞれで見ていきましょう。
 
*残念なのは、祭ヘイトな愚か者のかなり多くの割合(管理人が数えた限りでは8割程度)は、隣国ヘイトな者たちで、祭という面では「ゴー宣」はプラマイゼロとなります。社会的には差別推進の面が大きく、社会的には大きな衰退を促した著作群であると管理人は評価しています。
 
●車のレトロ回帰
 とりあえず、画像なしですが思い浮かぶ車種を挙げてみます。
 クロスカントリー風の車だそうです。
 
 ミツオカ自動車でマーチベースだそうな。美遊人と書くそう。
 
 リンク先の記事によると、レトロブームの火付け役はスズキだったそうです。
 
 90年代後半ころ発売されたものは、よく外車?と聞かれることがありました。


 
 写真は管理人が所有していたものです。
レトロ風ですが、ミラーはドアミラーがつけられていましたし、ハンドルにはエアバッグが入っていました。

ミラジーノ
 友人の所有車です。ドアミラーをフェンダーミラーに付け替えています。




 
レトロ「風」車の特徴
 本当にレトロな車ではなく、レトロ「風」車なので、現代的な特徴もあわせもっています。
 一つ目がフェンダーミラーではなく、ドアミラーであること。おそらく多くのものが自動で開閉できるものだと思われます。
 二つめは、エアバッグ。レトロな車だとエアバッグのない細いハンドルがカッコ良かったりしますが、多くのレトロ「風」車はエアバッグがついています。
 安全性や利便性を損なわない範囲でのレトロ回帰であったことが、90年代のレトロ「風」車に見ることができます。
 
●屋台のレトロ回帰
 90年代の屋台のレトロ回帰は主に神輿屋根屋台で見られたように思います。その契機のきっかけとなったのは、やはり粕谷氏の存在が大きかったと思われます。地味だけど優れた工芸のある屋台の再評価の熱が高まりました。
 分かりやすいのは屋根の昇り総才の部分です。そこで、90年代に昇り総才の金具を箱形にした二つの屋台を見ていきます。
 
松原八幡神社 木場屋台
屋根の四隅から頂上に昇る部分を「昇り総才」と呼びます。そこに華やかな金具をつけており、総才金具などと呼ばれています。下の写真のような飾り金具の分かれ目があるものが、箱形とよばれる昔からよく見られるものだそうです。
 
 戦後あたりからでしょうか、経済的に豊かになるにつれ、分かれ目が分からないようなものが増えてきたそうです。しかし、木場屋台は平成五年(1995)年の屋台新調で箱形のものをしつらえました。
 
 
英賀神社 山崎屋台
1990年代末より小さな屋台から大屋台に変える計画が立てられ、2000年に完成した屋台です。管理人に屋台、特に、神輿屋根屋台を教えてくださった師匠でもある播州祭礼研究室の皆さんが新調に協力しました。屋根の勾配も主流になりつつあった急なものではなく、やや浅めに作られたのもレトロ回帰の流れと言えるでしょう。


 

完全にレトロ回帰したのか
 とはいえ、上の二つの屋台はともに完全に昔のものに戻したとはいえません。
 まずは大きさです。山崎屋台は大屋台にしていますし、木場屋台も「灘のかんか祭」で練り合わせができる大きさのやたいです。
 そして、練り棒のボルト止めも現代化したものと言えるでしょう。

●レトロ回帰した屋台、車のレトロにならなかった部分
 車は見かけがレトロ回帰していましたが、安全や利便性の機能はレトロ回帰していませんでした。
 屋台もまた、金具などの見た目はレトロ回帰しましたが、練り合わせなどを考えた大きさなど機能や安全に関わる部分は、レトロ回帰にはなっていないようです。
 
 
 
謝辞:
 下の二社の自動車会社のおかげで本記事が出来上がりました。そして、管理人の安上がり自動車中心マツオタライフもこの二社のおかげでなりたっております。あらためて感謝申し上げます。
 
 30万という低予算で好みの車を伝えたところ、しっかり走る車を斡旋、販売してくださいました。
 お客さんのニーズに応えてくださる信頼できる車屋さんです。
 
 先代のボレロ の購入、友人の車のミラー付け替え、塗装をしていただきました。旧車大好きな社長さんは、1930年代の自動車を復活しようとしています。
 




 
 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

323.祭のウェブ資料(月刊「祭」2020.1月5号)

2021-01-31 14:10:00 | ブログ運営など

●屋台、だんじり研究ウェブページの先駆性
 屋台やだんじりの研究は、なんらかの研究機関に属していない在野の方たちによってなされてきました。粕谷氏や尾関氏らを除いては、その成果の発表の場は専らウェブページでした。
 三木では幸祭会秋月会(現在は掲示板のみ)、横山氏(閉鎖)、播州東側はナメラコゾウ氏、播州西側はN氏ら四神会・播州祭礼研究室(ホームページ閉鎖、枝ページがいくつか残っている)の活躍によって、どこにどんな屋台があるのかを手軽に知ることができるようになりました。
 とにかく現場に行って生のものを観察、記録して公開するというシンプルな方法の積み重ねは、屋台研究の大きな手助けとなりました。さらに、指導要領の改訂などで、小中学校で地域の祭などの学習の機運が盛り上がった時も、教材作成に大きな助けになったと思われます。
 現在、明石市が布団太鼓プロジェクトでインターネットのサイトを作っています。リーダーの藤本氏も祭関係者からの叩き上げであり、神社ごとの編集方法は上記のサイトの方法を踏襲しています。

●月刊「祭」の功績!?
-動画との連動-
 さて、上の名だたるサイトに比べ少々(かなり)見劣りのする我が月刊「祭」。内容はともかくとして、自分でも最近気づいたのですが、そこそこ新しい取り組みをしていました。それが動画との連動です。
 屋台やだんじりの研究は掛け声や担ぎ方などの研究が不可欠です。このブログでは、文章+参考画像ならぬ参考映像をYouTubeと連動して掲載しています。

●ウェブ資料の問題点
 さまざまな先駆性、利点が見られるウェブ資料ですが、問題点も見られます。

①優良サイトの閉鎖
 上で掲げたサイトの中で、秋月会、播州祭礼研究室は閉鎖されてしまっています。諸処の事情で閉鎖されてしまった場合に、絶版の本を図書館まで見に行くというようなことはできなくなります。
 管理人も親ページとしていた「祭と民俗の旅」はYahooジオシティーズの閉鎖に伴い、幕を閉じました。

②参考文献としての使用
 管理人は某学会に原稿を投稿した時に、播州祭礼研究室と播州祭り行脚のウェブサイトを参考文献として挙げました。その時は、いつ閉鎖されるか分からないウェブサイトは参考文献として相応しくないという批判を受けました。正直なところ、そこ以外で参考にできる文献がないからそれをあげていたので、かなり腹が立ったのが本音です。同じ学会でその7年後にはウェブサイトを参考にしたものが通っていた(通った論文はめちゃよかった)ことにも、疑問を感じてしまったこともありました。
 でも、後々その学会の言い分にも一理あることを思い知らされました。それが、播州祭礼研究室、秋月会のサイトの閉鎖です。「いつ閉鎖されるか分からない」が自分にも起きました。
 とはいえ、いつ閉鎖されるかわからないからといってそれを挙げないというのは間違いです。自身が参考にしたものは堂々と挙げるべきです。それが、先行研究をした方へのマナーと言えるでしょう。
 そして、いつなくなるかわからない当該ページを画像として保存しておくことで、再現可能性を担保しておくことが好ましいと思われます。

③コピペにご注意
 無断コピペはされるものとある程度は割り切る必要がありそうです。個人的には、就職活動優先の学生がやっつけ仕事でコピペしてレポート提出してギリギリ単位をとるといったケースは、片目をつぶるというか気づきようがないしあきらめています。気づいても目をつむるとおもいます。
 しかし、それをその道のプロがやるというのは、×です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

322.階段チャレンジ(月刊「祭」2020.1月5号)

2021-01-28 11:51:00 | 学習-体作り-
●播州三木のリバウンド王
 この記事で息巻いたのもむなしく、見事にトレーニングは挫折しました。気軽にできる運動量ではなかったのが、挫折の要因ということにしておきます。体重も見事にリバウンド。
 そこで、ぐーんとハードルを下げて努力目標と達成目標を立ててみることにしました。

●階段チャレンジ
 大宮八幡宮の氏子ということで、明石町の屋台蔵から石段を登り、本殿の石段を登り切ったらゴール。おおよそ144メートルくらいの距離です。そのタイムを記録することにしました。






↑1月3日の記録

↑1月26日の記録
大幅に縮めることができたのは、道の明るさだと思います^_^;

●腿上げ100回 ◯セット
 タイムを縮めるためのトレーニングとして、腿上げ100 回を何セットか行うことにします。
 実は10セットにしようかと思ったのですが、続けることを優先しました。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

321.政(まつりごと)の原則(月刊「祭」2020.1月4号)

2021-01-27 14:31:48 | 教育の政(まつりごと)

●祭で政(まつりごと)の過去
 今は政教分離が原則でしたが、かつては祭・占いの結果で政(まつりごと)が行われていました。もちろん、完全な占いのギャンブルというより、忖度がかなりあったとは思いますが。。
 現在は祭政分離の社会ですが、依然として政治の影響を祭は受け続けています。そこで、月刊「祭」でも管理人自身が関係の深い(かった)教育荷役それぞれの政(まつりごと)についてカテゴリをもうけています。

●疑わせない仕様の学習指導要領
 このブログでも政(まつりごと)の基本について書いていませんでした。

①持つ者は自分に有利なシステムをつくろうとする。

 どこかで聞いたような何を今更な言葉ですが、社会科の学習指導要領にもこの類のことは書いていません。
 その影響は、たとえば「報道の教育」でもスポンサーの存在は小学生の教科書には書いていません。もちろん「スポンサーの顔色で内容が決まる危険性がある。」なんてことも書いていません。
  
騙されないために学ぶ

なんてことは、学習指導要領に書けませんが、民主国家を名乗る以上、①くらいの内容はもりこんでほしいものです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする