ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

【ネタバレ】連続DVD観てます

2011-07-17 | 雑念
映画を観ない日々が続いていた。

年単位で観ていなかったと思う。しかし何気ない会話の中に、結婚して小さな子供さんがいる人は映画を観る時間もスペースも無いとおっしゃる。

つまり映画を鑑賞するという行為は独身の楽しみ及びキッズの親には出来ない贅沢な時間の過ごし方である。

キッズと過ごす時間も贅沢なんだろうが、私が今出来る贅沢な時間の過ごし方として映画の価値を再発見したのでした。

立て続けにゴリゴリ観まくっても1日4本が限界だ。

1.なくもんか
2.007は二度死ぬ
3.プレデターズ(2010)
4.ワルキューレ

「なくもんか」は宮藤官九郎脚本に惹かれ借りた。面白かったよ。そこそこ。さすがクドカンと言ったところ。別にどうって事無いSTORYをセリフや展開で魅せる。言わずもがな阿部サダヲは鉄板の面白さがある。残念は漫才シーンのネタの悪さくらいか。

「007は二度死ぬ」は最近よく関わる地域、鹿児島の南さつま市坊津の沖秋目島が1967年の姿を映画の中で残しているという事でどうしても観たかった作品。しかしさすが007シリーズ。STORYに入り込んでしまう。敵も敵として敵らしいのでわかりやすいのだ。白い猫を膝の上に乗せてなぜなぜする。そんな典型的なヒールはこの作品を真似ているとしか思えないほど印象的。上手に秋目の海のシーンを使って日本という国での007噺を展開していく。目的は不純だったが、作品としても面白かったのだ。

「ワルキューレ」はヒトラー暗殺の事実を基に作った作品。しかし脚本に深みが無い。アクション映画なのかサスペンスなのか中途半端な大作感が結局どっちつかずの「何気ない映画」になってしまった。同じ様な時代の同じ様な作品で「イングロリアス・バスターズ」は切り口がマニアックで具体的。だからセンスが光る。お金をかけてそれなりの映画を作ってしまった。ワルキューレは少し残念だ。

「プレデターズ」はシュワちゃん出世作のひとつ「プレデター」のシリーズもの。残念ながらシュワちゃんは出ないが、プレデターが人間を狩りに使うという設定で「キューブ」の様な設定で始まる。オープニングが謎だらけで興味をそそり引き込まれたが、中盤はお決まりのエイリアン方式。順番に1人ずつ殺されていくパターンだった。でも何故かプレデターシリーズは熱感知の映像と透明映像が魅力的で観られてしまう。飽きずに。不思議である。

そんなこんなで辛口映画評論だが、当然私の好みだけの映画評論。

こんな文句に騙されず、贅沢なムービーライフを楽しもうじゃないか!


シーカヤック海旅その3

2011-07-13 | 雑念
シーカヤック海旅チャレンジのつづき

追い風を利用してビクビク久多島(くたじま)に到着。ここまでで18kmの距離だったらしい。追い風を受けても結構な疲労感が襲っていた。

腕が乳酸のたまり具合で悲鳴をあげていたのだ。

左右に交互にパドルを入れ、漕ぎ漕ぎするシーカヤックは基本的な漕ぎ方として腕のチカラで漕ぐのではなく、体全体で漕ぎましょう!と教わる。

しかしちょっとの時間のレクリエーションシーカヤックではそれほど疲労感は感じない。

しかし半日漕ぎ続けるとソロソロ体が「腕だけで漕いでますよね?もう動きません」とダダをコネはじめる。

そして事前に計画していた「小湊(こみなと)」という漁港を目指すことになった。
さらに18kmだという。

ここでもどれほどの距離感で自分の疲労感と根性が数値化できない私は従うしかなく、風上への18kmを少し甘く考えていた。

最初は向かい風の波の方が漕ぎやすささえ感じていた。

波が前から船体に当たるため、シーカヤックが切り裂く様に直進性を得て、安定するのだ。波が前から後ろに流れるからスピードも速く感じる。風もボーッと耳鳴りし、スピード感が増すのだ。

しかしそれは罠なのだ。

波が前から後ろに流れるのはルームランナーの上に乗っている様なもので中々前に進んでいないのである。

明らかに2人からの遅れが顕著になり始めた。

休憩も増え、私を気にかけてくれる2人の様子が自分でも情けなくなるくらいの疲労感が襲ってきた。

前に全然進まないんだもの。

本当に泣きそうになっていた。
大の大人が助けを求めることができないつまらないプライド。

私を誘ってくれた1人が前に進まなくなってきている私の表情を見て、「こりゃダメだ」と判断するまでにそう時間はかからなかっただろう。

「引っ張りましょうか?」

そんな手があったの?心の中で叫びながら、もう少し早くに引っ張ってもらっても良かったよ!とかは声には出さなかった。

そして疲労困憊でグッタリの私を向かい風で引っ張っていくのはベテランカヤッカーでも大変だったと思う。

小湊(こみなと)への直行は諦め、一度日本3大砂丘のひとつ吹上浜に一旦上陸することになった。

「10分くらい引っ張りますよ」と言ってくれてから1時間くらいは引っ張ってくれた。正直腕の披露は回復していなかった。

そしてやっとの引っ張りだこで浜の近くにたどり着くと風が吹く吹上浜は飛んでもないサーフ(波)が叩きつけているのだ。

素人がシーカヤックに乗って上陸出来るような様子ではない。

それを察知したベテラン組は私を安全に上陸させてくれる為にロープでシーカヤックを引っ張ってくれたまま、私は波が無いところでパドルを持って船体を離脱。泳いで上陸に成功した。

そして数分後にはシーカヤック自体も無傷で上陸した。

大の字になって砂浜に寝っ転がりたい思いもありながら2人にありがとうございますを伝えに近づいた。

やさしい2人は「いい思い出できたじゃないですか。あそこに行ってきたんだって今日から言えますよ!」と指差す海原の霞んだ水平線にポツッと小さな岩場が見えた。

明らかに遠い小さな島。それが今さっまで白い波しぶきを浴びて堂々と東シナ海に佇んでいた久多島なのだ。

ずいぶん遠くへ行ったものだ。

確かに帰りはお世話になりましたが、行きは自力で到着しましたから「久多島に行った」とは自慢しても良さそうだ。

小さな声で帰りはダウンしたけどね、と付け加えたりしながら。

そして震える腕と足と身体全体を吹き荒れる風を受けながら砂浜で癒した。そして海の上では「沈(チン)」を恐れて落ち着いて水分補給もままならないが、安心してペットボトルをガブ飲みした。

2リットルの水がもう少しで飲み干しそうな勢いだった。

ある意味私の中のシーカヤックの海旅チャレンジは終了していた。

ここからどうやって車にシーカヤックを乗せるのか?と考えていた。

2人は厄介な長距離初心者を如何に安全で楽に車のところまで連れていくかを相談していた。

結局決断としてシーカヤックで海岸沿いのウネリの小さなゾーンを風上に進み、小湊に自力で行く、という決断を下した。

大丈夫?と聞かれては、「今のところは」と答えるのが精一杯だった。

一回海旅チャレンジは終わっていた私の心と身体は飛んでもない「やらされ感」を感じながら、自分の責任でここに上陸しているわけで、車のところに行く努力をしなければならないのは当然だ。

ただ身体がいう事を聞かないくらいが問題なわけで。

ストレッチをしたりおむすびを食べてエネルギー補給をしたりして覚悟を決めた。

ただ日焼けをした私の顔は確実に引きつっていたと思う。

あとは気分も消化試合のような気分で、負け戦だった。疲労回復もすでに身体の限界を超えていたらしく2時間くらい小湊方向に進んで行き、もう少しで堤防だというところで夕方の吹き返しの様な向かい風が私の入港を拒んだ。

情けない事にさらに引っ張ってもらわないと前に進まなくなった私は堤防までの30分くらいをまた引っ張ってもらった。

グッタリしながら堤防を横目に入港する私は釣り人からどの様に映ったのだろうか?

そんな赤面体験もどうでも良くなっていたくらい、どうでも良くなっていた。

無事?小湊に辿り着いた。

日が明るくなったとはいえ、19:20くらいのゴール。

朝の9:30に出発したので10時間?!

とんでもない時間の海旅となった。

後片付けをダラダラ終えた私はそこで解散し、申し訳なく家路についた。

その後土日を休みに設定していた為、家にグッタリ。身体は全く動けなかった。

未だに後遺症の筋肉痛が残っている。日焼けも想像を絶する剥けっぷりとなり、顔面はボロボロになって、初めてのシーカヤック海旅チャレンジもボロボロになったのである。

いかがだっただろうか?

私の情けなさが全面に押し出された海旅はこれにて幕を閉じるのだが、シーカヤックは楽しいスポーツだと思う。ただレースやストイックな旅は私には会っていない。

別の目的があって、その手段としてのシーカヤックが私の関わり方になりそうだ。

無人島にいく為のシーカヤック、海からしかエントリー出来ない場所へのシーカヤック、シュノーケルスポットへのシーカヤックとかなどなど。

今回私をフォローしてくださったお二人はといえば、

ひとりは仕事で土日をシーカヤックの指導。ひとりは物足りなかったのかさらに遠くの島へシーカヤックを漕ぎ出したというから海の鉄人たちである。

まだまだ自分とは関わりの薄い世界がある。

私はまたひとつ大きくなった。なんせ日焼けによる脱皮をしているのだから。

ブレインぶるんぶるん。

2011-07-11 | 雑念
職場で「ブレインストーミング」をしました。

何人かやったことはありそうな雰囲気でしたが基本的なルールに忠実に行います。

直前にwebでルールの再確認をしてみると、

1.食事をする様な雰囲気で(5~6人で)

と書いてあります。3人ずつの3チームでやろうと思っていたけど、「3人は少ないかな?」と4人or5人の2チームで行いました。

2.イスは使わず立って行いましょう

とある。うーん、効果は分からないが素直に立ってやってみよう。

3.無理だと感じる目標を立てよう

ともある。「20分で100アイデアを目指す」という課題を出そうとしていたけど、「20分で200アイデアを目指す」に変更した。

4.天井の高い部屋で行う

とある。ここまでくると信憑性を疑いたくもなるが、統計的にアイデアがよく出るのは天井が高い部屋だとのこと。これは事務所が決まっているため変えられないが、圧迫感は少ない事務所だと思うからいいだろうと。

5.全員がペンを持つ

とある。平等な準備が多くのアイデアを生むと。1人がリーダーを取ると媚びるんだとも。何かわかる様な気がする。

結局全員(9人)で230くらいのアイデアが出た。

150くらい出ればイイかと思っていたけど、基本的な設定に忠実に行ってよかったと思いました。

いやいや、正直上記の5つのルールはあまり意識していなかったルールでした。

下記のサイトに上手にまとめられていましたのでご紹介

http://www.upgrowth.org/stanford/

シーカヤック海旅2

2011-07-09 | 雑念
前回は「沈(チン)」を恐れる私は一つ目の目標「久多島(くたじま)」を目指していたところだったと思います。

恐れは、意識始めると徐々に大きくなるのです。

後ろからの波は私のバランス感覚を少しずつ奪っていく、ような気になるのです。

そしてスタート地点の笠沙から18km離れたところにポツンと佇む久多島に近づいた。離れたところから見ると小さな岩場の様なこの島は近くから大きなウネリの中で眺めるととんでもない大きなしぶきを浴びて爆音をあげている。

私以外の2人は「まじでそんな近くまで近寄ります?」というくらい波しぶきの近くまで近寄り、ビデオなんかをまわしてます。

私は波のチカラで岩場に吸い寄せられる勢いを自分のチカラで回避できる自信がなく、これ以上近づけないのです。

今になって思い出すとあんなに激しく海が叩きつけられても崩れ落ちない堂々たる立ち姿は、ビデオに収められなかったものの、目に焼き付いているのです。

遊覧船にでも乗らないと決してあんな近くで(それほど近くではないかもしれないが・・・)見られることはないだろう。

そして心地よい疲れのまま、岩に叩きつけられない様に大回りをして島を回避。

そして車を待機させている小湊に向かうことに。しかしその選択が私を地獄の旅路にいざなうことになるのである。

まあわたしは選択したというよりついていったという感覚だった。

その小湊へは更に18km風上へ行く。


シーカヤック海旅1

2011-07-09 | 雑念
昨日のシーカヤック海旅チャレンジについて。

現在、身体がボロボロでiPhoneの入力もままならない状態。あし、うで、かた、こし、筋肉痛のとんでもない状態だと思う。

そして眼球を日焼けしてしばしばする。サングラスしないといけません。反省。

顔面の日焼けの異常さから出歩けません。恥ずかしいです。テッカテカです。真っ赤っかです。

そんな状態になった原因、チャレンジをご報告したいのです。

朝7時に集合した私たち。3人。
1人は私を誘ってくれた海の近くの施設にお勤めの方。普段施設でお客様にシーカヤックを指導しているベテランです。

もう1人は「はじめまして」の屈強な方。普段運送の仕事をされているそうで、奄美シーカヤックマラソンに出場され好成績をおさめたそうです。

そんな中、素人同前の私が迷惑をかけないはずもありません。

しかしスタート地点では体力ありそうな私に見えたに違いありません。

そして以下のルートを選択した様です。

その日の前日には台風の様な南東の風が吹き荒れ、ウネリが2mから3mはあったようです。

そして出発点の笠沙を出た私達はその日の穏やかな波と風に誘われ、「久多島(くたじま)」を目指すことになったのです。

笠沙から18kmの地点。そしてガッツリ追い風。楽にたどり着けるでしょう、というのがベテランカヤッカーの計画でした。

距離も疲労度もイメージできない初の長距離海旅に緊張しながらも「そんな距離無理ですよ!」という理由もない。

そして走り出した。

海を滑るように移動する。透明度と太陽の光でエメラルドグリーンに見える南さつまの海は心を癒した。

「めちゃめちゃ綺麗ですね」などとたまに近くに並走して話をする余裕もあった。

そして徐々にウネリが出てくる。

初心者にとっての後ろからのウネリが船体にいかに影響を与え、「沈(チン)」への恐怖にとりつかれて行くことを想像できるだそうか?

ではこの後果たしてどうなってしまうのか?