シーカヤック海旅チャレンジのつづき
追い風を利用してビクビク久多島(くたじま)に到着。ここまでで18kmの距離だったらしい。追い風を受けても結構な疲労感が襲っていた。
腕が乳酸のたまり具合で悲鳴をあげていたのだ。
左右に交互にパドルを入れ、漕ぎ漕ぎするシーカヤックは基本的な漕ぎ方として腕のチカラで漕ぐのではなく、体全体で漕ぎましょう!と教わる。
しかしちょっとの時間のレクリエーションシーカヤックではそれほど疲労感は感じない。
しかし半日漕ぎ続けるとソロソロ体が「腕だけで漕いでますよね?もう動きません」とダダをコネはじめる。
そして事前に計画していた「小湊(こみなと)」という漁港を目指すことになった。
さらに18kmだという。
ここでもどれほどの距離感で自分の疲労感と根性が数値化できない私は従うしかなく、風上への18kmを少し甘く考えていた。
最初は向かい風の波の方が漕ぎやすささえ感じていた。
波が前から船体に当たるため、シーカヤックが切り裂く様に直進性を得て、安定するのだ。波が前から後ろに流れるからスピードも速く感じる。風もボーッと耳鳴りし、スピード感が増すのだ。
しかしそれは罠なのだ。
波が前から後ろに流れるのはルームランナーの上に乗っている様なもので中々前に進んでいないのである。
明らかに2人からの遅れが顕著になり始めた。
休憩も増え、私を気にかけてくれる2人の様子が自分でも情けなくなるくらいの疲労感が襲ってきた。
前に全然進まないんだもの。
本当に泣きそうになっていた。
大の大人が助けを求めることができないつまらないプライド。
私を誘ってくれた1人が前に進まなくなってきている私の表情を見て、「こりゃダメだ」と判断するまでにそう時間はかからなかっただろう。
「引っ張りましょうか?」
そんな手があったの?心の中で叫びながら、もう少し早くに引っ張ってもらっても良かったよ!とかは声には出さなかった。
そして疲労困憊でグッタリの私を向かい風で引っ張っていくのはベテランカヤッカーでも大変だったと思う。
小湊(こみなと)への直行は諦め、一度日本3大砂丘のひとつ吹上浜に一旦上陸することになった。
「10分くらい引っ張りますよ」と言ってくれてから1時間くらいは引っ張ってくれた。正直腕の披露は回復していなかった。
そしてやっとの引っ張りだこで浜の近くにたどり着くと風が吹く吹上浜は飛んでもないサーフ(波)が叩きつけているのだ。
素人がシーカヤックに乗って上陸出来るような様子ではない。
それを察知したベテラン組は私を安全に上陸させてくれる為にロープでシーカヤックを引っ張ってくれたまま、私は波が無いところでパドルを持って船体を離脱。泳いで上陸に成功した。
そして数分後にはシーカヤック自体も無傷で上陸した。
大の字になって砂浜に寝っ転がりたい思いもありながら2人にありがとうございますを伝えに近づいた。
やさしい2人は「いい思い出できたじゃないですか。あそこに行ってきたんだって今日から言えますよ!」と指差す海原の霞んだ水平線にポツッと小さな岩場が見えた。
明らかに遠い小さな島。それが今さっまで白い波しぶきを浴びて堂々と東シナ海に佇んでいた久多島なのだ。
ずいぶん遠くへ行ったものだ。
確かに帰りはお世話になりましたが、行きは自力で到着しましたから「久多島に行った」とは自慢しても良さそうだ。
小さな声で帰りはダウンしたけどね、と付け加えたりしながら。
そして震える腕と足と身体全体を吹き荒れる風を受けながら砂浜で癒した。そして海の上では「沈(チン)」を恐れて落ち着いて水分補給もままならないが、安心してペットボトルをガブ飲みした。
2リットルの水がもう少しで飲み干しそうな勢いだった。
ある意味私の中のシーカヤックの海旅チャレンジは終了していた。
ここからどうやって車にシーカヤックを乗せるのか?と考えていた。
2人は厄介な長距離初心者を如何に安全で楽に車のところまで連れていくかを相談していた。
結局決断としてシーカヤックで海岸沿いのウネリの小さなゾーンを風上に進み、小湊に自力で行く、という決断を下した。
大丈夫?と聞かれては、「今のところは」と答えるのが精一杯だった。
一回海旅チャレンジは終わっていた私の心と身体は飛んでもない「やらされ感」を感じながら、自分の責任でここに上陸しているわけで、車のところに行く努力をしなければならないのは当然だ。
ただ身体がいう事を聞かないくらいが問題なわけで。
ストレッチをしたりおむすびを食べてエネルギー補給をしたりして覚悟を決めた。
ただ日焼けをした私の顔は確実に引きつっていたと思う。
あとは気分も消化試合のような気分で、負け戦だった。疲労回復もすでに身体の限界を超えていたらしく2時間くらい小湊方向に進んで行き、もう少しで堤防だというところで夕方の吹き返しの様な向かい風が私の入港を拒んだ。
情けない事にさらに引っ張ってもらわないと前に進まなくなった私は堤防までの30分くらいをまた引っ張ってもらった。
グッタリしながら堤防を横目に入港する私は釣り人からどの様に映ったのだろうか?
そんな赤面体験もどうでも良くなっていたくらい、どうでも良くなっていた。
無事?小湊に辿り着いた。
日が明るくなったとはいえ、19:20くらいのゴール。
朝の9:30に出発したので10時間?!
とんでもない時間の海旅となった。
後片付けをダラダラ終えた私はそこで解散し、申し訳なく家路についた。
その後土日を休みに設定していた為、家にグッタリ。身体は全く動けなかった。
未だに後遺症の筋肉痛が残っている。日焼けも想像を絶する剥けっぷりとなり、顔面はボロボロになって、初めてのシーカヤック海旅チャレンジもボロボロになったのである。
いかがだっただろうか?
私の情けなさが全面に押し出された海旅はこれにて幕を閉じるのだが、シーカヤックは楽しいスポーツだと思う。ただレースやストイックな旅は私には会っていない。
別の目的があって、その手段としてのシーカヤックが私の関わり方になりそうだ。
無人島にいく為のシーカヤック、海からしかエントリー出来ない場所へのシーカヤック、シュノーケルスポットへのシーカヤックとかなどなど。
今回私をフォローしてくださったお二人はといえば、
ひとりは仕事で土日をシーカヤックの指導。ひとりは物足りなかったのかさらに遠くの島へシーカヤックを漕ぎ出したというから海の鉄人たちである。
まだまだ自分とは関わりの薄い世界がある。
私はまたひとつ大きくなった。なんせ日焼けによる脱皮をしているのだから。
追い風を利用してビクビク久多島(くたじま)に到着。ここまでで18kmの距離だったらしい。追い風を受けても結構な疲労感が襲っていた。
腕が乳酸のたまり具合で悲鳴をあげていたのだ。
左右に交互にパドルを入れ、漕ぎ漕ぎするシーカヤックは基本的な漕ぎ方として腕のチカラで漕ぐのではなく、体全体で漕ぎましょう!と教わる。
しかしちょっとの時間のレクリエーションシーカヤックではそれほど疲労感は感じない。
しかし半日漕ぎ続けるとソロソロ体が「腕だけで漕いでますよね?もう動きません」とダダをコネはじめる。
そして事前に計画していた「小湊(こみなと)」という漁港を目指すことになった。
さらに18kmだという。
ここでもどれほどの距離感で自分の疲労感と根性が数値化できない私は従うしかなく、風上への18kmを少し甘く考えていた。
最初は向かい風の波の方が漕ぎやすささえ感じていた。
波が前から船体に当たるため、シーカヤックが切り裂く様に直進性を得て、安定するのだ。波が前から後ろに流れるからスピードも速く感じる。風もボーッと耳鳴りし、スピード感が増すのだ。
しかしそれは罠なのだ。
波が前から後ろに流れるのはルームランナーの上に乗っている様なもので中々前に進んでいないのである。
明らかに2人からの遅れが顕著になり始めた。
休憩も増え、私を気にかけてくれる2人の様子が自分でも情けなくなるくらいの疲労感が襲ってきた。
前に全然進まないんだもの。
本当に泣きそうになっていた。
大の大人が助けを求めることができないつまらないプライド。
私を誘ってくれた1人が前に進まなくなってきている私の表情を見て、「こりゃダメだ」と判断するまでにそう時間はかからなかっただろう。
「引っ張りましょうか?」
そんな手があったの?心の中で叫びながら、もう少し早くに引っ張ってもらっても良かったよ!とかは声には出さなかった。
そして疲労困憊でグッタリの私を向かい風で引っ張っていくのはベテランカヤッカーでも大変だったと思う。
小湊(こみなと)への直行は諦め、一度日本3大砂丘のひとつ吹上浜に一旦上陸することになった。
「10分くらい引っ張りますよ」と言ってくれてから1時間くらいは引っ張ってくれた。正直腕の披露は回復していなかった。
そしてやっとの引っ張りだこで浜の近くにたどり着くと風が吹く吹上浜は飛んでもないサーフ(波)が叩きつけているのだ。
素人がシーカヤックに乗って上陸出来るような様子ではない。
それを察知したベテラン組は私を安全に上陸させてくれる為にロープでシーカヤックを引っ張ってくれたまま、私は波が無いところでパドルを持って船体を離脱。泳いで上陸に成功した。
そして数分後にはシーカヤック自体も無傷で上陸した。
大の字になって砂浜に寝っ転がりたい思いもありながら2人にありがとうございますを伝えに近づいた。
やさしい2人は「いい思い出できたじゃないですか。あそこに行ってきたんだって今日から言えますよ!」と指差す海原の霞んだ水平線にポツッと小さな岩場が見えた。
明らかに遠い小さな島。それが今さっまで白い波しぶきを浴びて堂々と東シナ海に佇んでいた久多島なのだ。
ずいぶん遠くへ行ったものだ。
確かに帰りはお世話になりましたが、行きは自力で到着しましたから「久多島に行った」とは自慢しても良さそうだ。
小さな声で帰りはダウンしたけどね、と付け加えたりしながら。
そして震える腕と足と身体全体を吹き荒れる風を受けながら砂浜で癒した。そして海の上では「沈(チン)」を恐れて落ち着いて水分補給もままならないが、安心してペットボトルをガブ飲みした。
2リットルの水がもう少しで飲み干しそうな勢いだった。
ある意味私の中のシーカヤックの海旅チャレンジは終了していた。
ここからどうやって車にシーカヤックを乗せるのか?と考えていた。
2人は厄介な長距離初心者を如何に安全で楽に車のところまで連れていくかを相談していた。
結局決断としてシーカヤックで海岸沿いのウネリの小さなゾーンを風上に進み、小湊に自力で行く、という決断を下した。
大丈夫?と聞かれては、「今のところは」と答えるのが精一杯だった。
一回海旅チャレンジは終わっていた私の心と身体は飛んでもない「やらされ感」を感じながら、自分の責任でここに上陸しているわけで、車のところに行く努力をしなければならないのは当然だ。
ただ身体がいう事を聞かないくらいが問題なわけで。
ストレッチをしたりおむすびを食べてエネルギー補給をしたりして覚悟を決めた。
ただ日焼けをした私の顔は確実に引きつっていたと思う。
あとは気分も消化試合のような気分で、負け戦だった。疲労回復もすでに身体の限界を超えていたらしく2時間くらい小湊方向に進んで行き、もう少しで堤防だというところで夕方の吹き返しの様な向かい風が私の入港を拒んだ。
情けない事にさらに引っ張ってもらわないと前に進まなくなった私は堤防までの30分くらいをまた引っ張ってもらった。
グッタリしながら堤防を横目に入港する私は釣り人からどの様に映ったのだろうか?
そんな赤面体験もどうでも良くなっていたくらい、どうでも良くなっていた。
無事?小湊に辿り着いた。
日が明るくなったとはいえ、19:20くらいのゴール。
朝の9:30に出発したので10時間?!
とんでもない時間の海旅となった。
後片付けをダラダラ終えた私はそこで解散し、申し訳なく家路についた。
その後土日を休みに設定していた為、家にグッタリ。身体は全く動けなかった。
未だに後遺症の筋肉痛が残っている。日焼けも想像を絶する剥けっぷりとなり、顔面はボロボロになって、初めてのシーカヤック海旅チャレンジもボロボロになったのである。
いかがだっただろうか?
私の情けなさが全面に押し出された海旅はこれにて幕を閉じるのだが、シーカヤックは楽しいスポーツだと思う。ただレースやストイックな旅は私には会っていない。
別の目的があって、その手段としてのシーカヤックが私の関わり方になりそうだ。
無人島にいく為のシーカヤック、海からしかエントリー出来ない場所へのシーカヤック、シュノーケルスポットへのシーカヤックとかなどなど。
今回私をフォローしてくださったお二人はといえば、
ひとりは仕事で土日をシーカヤックの指導。ひとりは物足りなかったのかさらに遠くの島へシーカヤックを漕ぎ出したというから海の鉄人たちである。
まだまだ自分とは関わりの薄い世界がある。
私はまたひとつ大きくなった。なんせ日焼けによる脱皮をしているのだから。