バスツアーで四国新居浜の、近代化産業遺産・旧別子銅山東平を歩いて
きました。(2011.05.06)
東洋のマチュピチュと謳っている通り、標高800mの山奥に鉱山と共に
東洋のマチュピチュと謳っている通り、標高800mの山奥に鉱山と共に
劇場、商店、診療所、墓地、変電所があり、1万人を越えた人の
生活する立派な街(旧別子銅山)であったようです。
明治13年牛車道開通、明治26年鉱山専用鉄道が開通しました。
その以前は標高差800mの急峻な山道を、鉱石を背負って降り、
明治13年牛車道開通、明治26年鉱山専用鉄道が開通しました。
その以前は標高差800mの急峻な山道を、鉱石を背負って降り、
帰りは物資を運び上げた、想像を絶する重労働だったようです。
マイントピア別子からは小型バスに乗り換えて、細い山道を登り
ました。駐車場から遺跡を見下ろした写真です。
駐車場から一旦下り見上げた写真、下から見上げると迫力が
ありました。
インクライン跡、エレベーターを斜めにしたケーブルカーの
ようなもので、効率よく荷を揚げることができます。
鉱石と物資の運搬は、明治初期までは主に女性が担っていた
鉱石と物資の運搬は、明治初期までは主に女性が担っていた
ようです。担ぐ重量はマイントピア別子から新居浜まで、比較
的平坦地で男45Kg、女30Kgとありました。
赤石山系の遠望、いつの日か登ってみたいです。