何遠亭

未だ之を思わざるなり、
夫れ何の遠きことか之有らん
          孔子の論語より

20100321(日) 北山修プロデュース「さよならコンサート」 九大医学部百年講堂 そのいち

2010年03月24日 00時30分09秒 | 音楽
この春、きたやまおさむさんが九大を定年退職される。
北山先生としてのきたやまさんに逢いたい。大学も見てみたい。幸ちゃんの唄も聴きたい。勿論きたやまさんの唄も。
そんな単純な理由で参加したかったのだけれど、窓口は九大の生協だったので、
きっと生徒さん向けのイベントなんだよな~とおそるおそる申し込んだが、普通に返事が来た(笑)

当日は前夜からの春の嵐が残り、飛行機は大揺れだった。
それでもちょっと遅れた程度で福岡に着き、昼御飯を食べて九大へ。
13時半過ぎに着いたら、会場の百年講堂は50人以上?の人が並んでいたので、そのまま並ぶ。
開場時間きっちりに入場、思いのほか前の方に座る事が出来た。

16時になり、北山先生登場。蝶ネクタイが可愛い。ちょっとした挨拶の後、
新しい九大の伊都キャンパスに作られた”嚶鳴天空広場”のテーマソングの発表会。
(大分移転も進んで、百年講堂があるこの地は医学部と大学病院が残っている)
作詞は勿論北山先生。作曲(編曲も殆ど)とボーカル、演奏(シンセ、バイオリン)は生徒さんから公募したそう。
一人一人が紹介されて、初々しく輝く生徒さん達がステージに並んで、唄が始まった。
タイトルは『愛し伊都の国』
ここは第二のふるさと・・・九大を去る北山さんの想いと願い。
優しいメロディーと、あたたかい詩にウルウル・・・。
「出来れば、もうこれ以上は動かないで欲しい」と云っていたのは、やはり寂しさもあるのかな。

そして北山先生のレクチャー。テーマは、ずっと避けて来た『どうして唄を辞めたか。心理学を選んだか』
「唄を辞めた理由・・・下手だからです。」ズバリ云っちゃいました。
「吉田拓郎はまだ良かったけど、井上陽水が出て来た時はもう駄目だなと。
よくもまぁこんな私を加藤和彦がそばに置いてくれたなと思います。」
『帰って来たヨッパライ』は一度目は許されるけど、2度目は天国を追い出される。
「天国を追い出されて、畑の真ん中で目が覚めたのは私だったんです。帰って来たヨッパライは私自身でした。
『出て行け~』と云った神様は、親父だった。そういう人でしたから。」と。
それから、「パーソナル志向であるという事。」
患者さんと一対一で向かい合う仕事をしたかったとか。
「唄もみんなの為のものだとは思っていない。誰かの為に作るもの」とも云っていました。
『ハレンチ』の300枚は自分の周りの人達の為に作ったものだったと。
唄に対してもパーソナル志向。
沢山の人達に唄い継がれる唄を作った人の言葉としては意外でした。結果そうなっただけなんだな~って。
そして、先程発表した『愛し伊都の国』
「この唄をきっかけに彼等に何かが起こるかもしれない。でもきっと今日だけで終わってしまう。
だから、もう一度聴きたいと思いませんか!」と再び、彼らをステージに呼び戻す。
”ザ・クインテット”と名付けられ、アンコール。
今度は後ろのスクリーンに九大のキャンパスと北山先生の部屋、そして歌詞が映し出されました。
(この映像も生徒さん製作だそうです。)

”嚶鳴天空広場”がその名の通り、小鳥がさえずるように九大の生徒さん達が集う場所となり、
地元の人達にとっても憩いの場所になるように、
そして九大で過ごした大勢の人達の帰る場所になるといいなと思います。


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