日々の景色と季節を過ごす

ペーパードライバーな自分はいつも徒歩で用事を足す。歩く早さで日々移り変わる花や気になる光景を書いてみる、そんなブログ。

お彼岸に寄せられるお墓の疑問

2018-03-20 15:32:24 | 日記
春のお彼岸、ラジオでお墓とかお参りとか、色んな庶民の質問にたいして御住職が答えている番組を家事をしながら聞いていた。

「お骨をいつまでも手元へおいていてもいいのか?」
わかったようなことを言う回りの人たちはどこにもいる、いつまでも手元においておくと行くべき所に行けないから早くお墓にいれるのが故人のためだ、などと言われた方の質問。
これは以前にも聞いたことがあって、私のなかでは疑問解消していたけど再度の回答だった、つまり、世の中には大切な人を亡くして、お骨になったってそばに一緒にいたい❗けど、回りが、早くしかるべき所に納めてあげないとかわいそうだ❗という、そんなことが色んなとこで繰り返されているんだなと思った。
御住職の回答はしかり。
「いつまでもお骨をそばに置いてもけっこう❗なんの問題もありません❗今までに、いつまでもお墓に入れないから何か悪いことが起こったなんて話も聞いたことがありません❗」
ここまではっきり御住職に言われたんじゃね、で、まぁ、人様ではないんだけど、我が家には未だに亡くなった2匹の猫たちのお骨があるわけで、でも自分達の年齢とか考えて、そろそろどうにかしないとなーとは考えているけど、できるんなら自分達のお骨と一緒に骨箱に混ぜてもらってもいいとさえ思ってるけどね、またそんな話になると、わかった風な人たちがやんや言うんだろうけど、でも自分達にしてみたらずっとそばに置いてあげたい、ただそれだけ、気持ちの構造は単純。

「夫の家の墓に入りたくない❗死んでから永遠に姑や夫と一緒にいたくない❗」
これもよく聞く話の質問。
私自身の話しでいうと、母が亡くなっていてお墓がある、私が死んだら一番希望するのは母と一緒のお墓に入りたい❗と思う、じゃ夫はどうする?といったら、夫も母親を早くに亡くしてお墓があるのでそっちにはいるのがいいんでない?何か問題ある?って思うけど、死んでから先はもう居たいとこにいさせてよ❗って思うわけ。
で、御住職の回答は?
日本では古来より結婚は家と家のつながりのもので、家に入るという考えから嫁ぎ先のお墓に入ることが当たり前の考え方、今は家という考え方も変わっては来ている、ただ、一つ言えることは、例えば嫁ぎ先のお墓に入ったとして、実は「千の風になって」の歌の通りで、そこに24時間365日、みんなでひしめき合っているわけではありません、自由に行きたいところへ行くことができる、そして、お盆やお彼岸には、そこへ帰ってくれば会いたい人がお参りに来てくれるからそのときは戻ればいい、そんな風に考えてもいいと思いますよ、な答え、まぁ、骨と魂になった時にはすべては自由なのかな?
春には光になって畑にふりそそぐ、のような生きているときよりすべてが自由で何者も束縛できない存在、そんな感覚なんだろうか?むしろもはや骨は自分にあらず、自分の脱け殻のこだわりなし、みたいな感覚なのかな?
弟のお嫁さんが若くして亡くなって、私の実家の納骨銅に納められたとき、なんだかちょっとかわいそうに思った、こんな遠く離れた他人の家に会ったこともない人と一緒に永遠に置かれるより自分の実家に帰りたいんじゃないかな?なんてね、でも、霊が自由になれるならそんな風に思わなくていいのかな?なんてね。

他にもいろいろあったけど、お墓問題、こんな核家族になって、子供たちが遠くで家庭をきずくことの多い時代、無縁仏、無縁墓?が増えていることも現実のようです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿