無駄無駄庵日記

釣って釣られて釣れ釣れ日和。
無駄を重ねて日が暮れる。

魚見聞録⑦桜鯛

2010年04月10日 | 無駄無駄庵日記

魚見聞録⑦ 桜鯛

春、真鯛は水温の上昇にともない越冬場を離れ、産卵のために浅場の岩礁帯に移動しはじめる。それを「のっこみ鯛」「のぼり鯛」と云い、雄の腹部が婚姻色をなし紅色に染まる。季節が桜の花の咲くころと重なるので「桜鯛」という美しい名がついた。

ただし、この桜鯛は俗称。和名の桜鯛は別にいる。スズキ目ハタ科の小魚。あるとき偶然にこの魚が釣れた。大きさは20cmほど。体色は濃い紅色。桜の花びらを散らしたような斑点が体にあった。綺麗な魚だった。このような綺麗な魚を剥製にして、フィギュアのように飾るのもいいなと、そのとき思った。

             

真鯛はその色や姿をもって目出度い魚とされ、日本人の美意識や生活文化に深く関わってきた。鯛の名の語源は、平安時代の律令「延喜式」(927年)に見られる「タヒラウヲ(平魚)」が訛ったものという説が有力だ。記紀にもこの真鯛が登場する。兄の海幸彦から借りた釣り鈎で釣りをした弟の山幸彦が魚に鈎を取られてしまうという神話がそれ。

鈎を取ったのは真鯛。兄から鈎の返却を迫られた山幸彦は綿津見の国の海神の助けを得て鈎を取り戻すのだが、その場面を「古事記(福永武彦訳本)」には、「鯛が咽に何やら棘が刺さり、物が食べられなくて困ったとこぼしている。だから犯人は鯛だろう」と記しされている。

ちなみに、この兄弟の母の名は「木花之開耶姫(コノハナノサクヤビメ)」。その名の「サクヤ」がサクラの語源とか。桜と鯛の巡り合わせ。歴史の糸は絡まったかのようだが、そうではない。なぜならここでの鯛の登場の仕方は少なからず、卑俗で人間臭い。

                                                        

室町時代以前の都は山に囲まれた奈良や京都であり、魚といえば鯉が主。大陸文化の影響が濃く、神饌の魚、目出度い魚といえば、龍門の魚、出世魚としての鯉が主流であった。鯛は先の物語のように口の卑しい下種な魚とされ、まだ不遇を囲っていたのだろう。

「桜鯛」という美意識は竹田出雲の歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の上演に端を発した戯れ歌「花は桜木、人は武士、柱は檜、魚は鯛、小袖は紅梅、花はみ吉野、、、、」にそのルーツがあり、侍の世になって生まれた美意識だと聞く。元禄期、歌舞伎は随一の芸能。このころから真鯛は桜と並び称され、晴れの魚、目出度い魚の筆頭となったようだ。

      

俳諧師、其角は「津の国の何五両せん桜鯛」と詠み、津の国(大阪あたり)では何と五両もするのかと、「桜鯛」の誉れに驚いている。

                花の雨鯛に塩するゆふべかな

この句は其角と同じ芭蕉門の俳諧師、仙花の元禄期の作品。「花の雨」の「花」は桜の花。雨に濡れる桜、塩を振られる鯛。折しも夕暮れ、ゆったりした時間の流れのなか、散りゆく命が美しくも哀れではある。これもまた「桜鯛」の美意識に違いない。

                        

この春もまたいくどか鯛釣りに出かけるつもり。船の揺れに体を預け、鯛のアタリを待つ。ゴツンゴツン、真鯛の引きに酔いしれながらリールを巻く。深い海から釣れ上がり、春の眩い光を全身で跳ね返した真鯛は今も昔も勇壮で美しい。花の頃なら、なおさらのことだ。

注:この魚見聞録は2008~2009年に南村が「週刊釣場速報」に連載したものです。今回、ここに掲載するにあたって、一部加筆修正をしました。

 

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