退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1187: 私がアメリカに来た理由、そして住み続ける理由

2019-04-04 10:00:02 | アメリカ便り
いつも仕事をする、この上もなく座り心地の悪いキッチンテーブルの椅子から、しとしとと降っている雨を見ています。
鳥たちは相変わらず、餌箱にやってきています。

なんとなく、中国とアメリカの貿易協定が結ばれそうですね。
中国と協定を結ぶぐらいなら、メキシコとやった方が良い気がしますが。
メキシコとのボーダーに金をかけて、メキシコ人、中南米人を締め出すより、それにかける金でメキシコ、中南米に企業誘致をやった方がより平和的だし、効率が良いように感じます。
昨日のニュースでは太平洋に突き出たメキシコ国境の壁を飛び越えているメキシコ(中南米)人を映し出していました。
トンネル掘ったり、考えるのですよ、死に物狂いに人達は。
それだけ、ホンジュラスとか中南米の人たちは窮地に追いやられているのです。

さて続きです。
まずは私がアメリカに来た理由。
もう4,5年前になりますが、私はこれに関して、自費出版をしました。
原稿用紙96枚。
と言うのも100枚以上になると、値段が上がると言われたので。
大枚100万円かかりました。
勿論売れ残りがたくさんありました。
売れたより、友達親戚に‟もらっていただいた”と言うところでしょうか。
読んだ人たちからは評判が良かったですが。
最初から‟売る”と言うより、‟何かを残したかった”のです。
まー、自己満足でしょう。
充分満足いたしました。

高校を出た後、3年間タダと言うありがたい国立大学付属の臨床検査技師学校を出て、公務員として市立病院に勤務。
でも学校にいる時から、どういうわけか‟クリントイーストウッドのいるアメリカに行きたい!!”だったんです。
クリントイーストウッドは冗談ですが。
あこがれていたんですね、ケネディーとアポロ11の国に。
英語は5段階で3しかとったことにない私が。
愛国精神満載の私は、‟日本人がどうして英語を勉強しなければいけないのだ、勉強したい奴がすればいい”、と思っていたので。

とにかく嫌いでした、英語が、と言うより語学が。
興味がまるっきり湧かなかった。
こうやってアメリカに住んで、翻訳を仕事としている現在でも。
中学3年の時、英語検定4級に見事に落ちたぐらいですから。

学校を終えて市立病院で公務員として1年間働きましたが、いい年をして腰にチェーンをつけた、容姿の悪さ以上に性格が悪いというより、不気味だったボスに目をつけられながら、仕事の合間に英語の勉強をしました。
自分で、1年しかいないと決めていたので、にらまれても何されてもへっちゃら。
このボスには腰巻の初老が3人がくっついていました。
若い、私たちに何かにつけてえばり腐っていました。
‟井の中の蛙”状態の親父グループ。
今考えても‟気持ち悪~”。
私が辞める時、仲間から、‟ボスの前で胡坐くなんて、とか、ボスの目の前で、英語勉強してるんだから、”とか羨望のまなざしで(と自分では思っている)見つめられました。
市立病院なので、‟給料上げろ!”の組合運動も‟参加しろ”と言われたので、しましたよ。
どんなところでも楽しめる私なので、仲間とは楽しい付き合いをしました。

この続きは次回です。
と書いたところで、またまた長ーい仕事が入ってきました。
でも、ちょっとお休みします。
ショッピングに行かなくちゃ。

ハブグレジュンタのマミー




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