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豊前街道南関御茶屋跡

2010-03-02 11:29:01 | 日記
豊前街道南関御茶屋跡(ぶぜんかいどうなんかんおちゃやあと)とは、熊本県玉名郡南関町にある国指定の史跡である。本項では御茶屋跡と称する。 南関御茶屋跡。前日土砂崩れがあったので土が積まれている。この御茶屋跡は、1852年(嘉永5年)に建てられたもので、参勤交代時に藩主の休憩所、宿泊所として用いられた建物である。2003年(平成15年)8月、腹切坂とともに国の史跡に指定され保存修理により、2004年(平成16年)度に修理が完了。2005年(平成17年)5月13日オープンした。修理金およそ1億1400万円沿革南関は、古代には官道が通り、大水駅が置かれ、国境警備のための関が設けられたとされる地であり、古来、交通の要衝として発展した。関所はその後も機能し、現在の地名に通じる「みなみのせき」が定着したといわれている。道路は、近世においても豊前街道として利用され、江戸時代には参勤交代の道としてもおおいに利用された。参勤交代に際しては肥後国内における最後の休憩地、宿泊地であり、そのため、藩主はじめ藩士のための御茶屋が設置された。寛永17年(1640年)の記録では、御茶屋の建替工事が長期にわたっていることが記されるところから、江戸時代初期から施設の整備がなされていたことがわかる。現在の建物は、嘉永3年(1850年)に起工し、嘉永5年に竣工したもので、『瀬上文書』「南関御茶屋新規建て方見積り」によれば、改修理由は従来の建物が古くなり、また、狭く、間取りも悪かったためとされる。『永青文庫』「町在」および『木下文庫』「木下助之日記」により、建替工事に携わった人々の概要や工事の中身、また、各村々から拠出した人夫の数などがうかがい知れる。なお、鹿児島から江戸に渡る途中の篤姫も訪れ、休息をとっている。明治時代以降は、民家や旅館などとして利用されていたといわれる。1932年(昭和7年)には北原白秋の歓迎会が行われている。昭和の後半より老朽化が顕著となり、多くの人々から忘れられた存在であった。遺構概要および史跡指定遺構の概要現存の建物は、南北に長い造りで、北から御居間、御次の間、三の間と配される。御居間の改修、また玄関棟の欠損はあるものの、建物全体としては当時の御茶屋の姿が良好に遺存している。屋根には、藩主細川氏の九曜紋をあしらった鬼瓦や軒瓦が葺かれており、建物北には小規模な庭園も造られている。柱も

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