いろいろと考えることばかりだ・・・。自分のこともそうなのだけれど、爺・婆の調子がよくないようだ。どう対処すべきか思いあぐねていて、息子に相談してみると返ってきた言葉が「因縁果報に基づいて考えたら・・・」であった。
ふ~ん、因縁果報ねぇ・・・と内心つぶやきながら、なんだったっけ・・・と思えば、そうそう、ウィズダムのことなんだ。目の前の世界におきる諸現象は、そして自分がとらえるものは、自分のこころの動機などの「因」が基いとなって、周囲の環境、諸条件を媒介として結果がうみだされてくる。ごくごく当然のように思えるけれど、こころを因としてとらえる、その働きをみる、ということはなかなか難しい。
ともすると、自分の正当化や自己弁護に終始することになるから。究極のところ、自分のこころに始まり、自分のこころに帰ってくるなどと、どうしても思えないだろう。
ついでに、また、息子から「カルマを浄化してくれないと、みんなが困る」・・・「それなら、息子はどうなのさ?」と聞き返したいところだが、まあ、まずは自分だね、と思うしね。
「私がかわります」と宣言することは、いやはや、簡単なことではない・・・。
ふ~ん、因縁果報ねぇ・・・と内心つぶやきながら、なんだったっけ・・・と思えば、そうそう、ウィズダムのことなんだ。目の前の世界におきる諸現象は、そして自分がとらえるものは、自分のこころの動機などの「因」が基いとなって、周囲の環境、諸条件を媒介として結果がうみだされてくる。ごくごく当然のように思えるけれど、こころを因としてとらえる、その働きをみる、ということはなかなか難しい。
ともすると、自分の正当化や自己弁護に終始することになるから。究極のところ、自分のこころに始まり、自分のこころに帰ってくるなどと、どうしても思えないだろう。
ついでに、また、息子から「カルマを浄化してくれないと、みんなが困る」・・・「それなら、息子はどうなのさ?」と聞き返したいところだが、まあ、まずは自分だね、と思うしね。
「私がかわります」と宣言することは、いやはや、簡単なことではない・・・。
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