さきほどまで、沖縄空手のDVDを見てた。息子が少林寺拳法をやっているので、少林寺をはじめとして合気道、空手などのを見たりする。さすがに、達人ともなると、どこか違うと感ずる。もちろん、身体の動きもそうなのだが、人間的迫力とでもいおうか、雰囲気が違う。
それは単に強いとかそういうものではなくて、人間性に結びついているようである。
ぼくも少林寺をやろうかと思ったことがあるのだが、この面でのDNAは息子とまったく反対の要素をもっているようだ(@_@;)
「健康のためにやるのなら、いいのではないですか」なんていわれてしまった。
そりゃ、そうだわさ。この年からはじめて、極みに達するだなんて無理な話だ。下手すると年がら年中包帯を巻いていなければならないことになりそうだ。
それでも、夢だけは捨てないほうがいいと思う。いや、いっぱい持っているべきだと思うのだ。それが原動力となっていくだろう。
ぼくの友人に「永遠の青年」と称しているおじさんがいるが、実態はさておき、この心がけは立派なことだと心底思う。もちろん、ぼく自身はとても恥ずかしくてそんなことは言えないけどね。
それは単に強いとかそういうものではなくて、人間性に結びついているようである。
ぼくも少林寺をやろうかと思ったことがあるのだが、この面でのDNAは息子とまったく反対の要素をもっているようだ(@_@;)
「健康のためにやるのなら、いいのではないですか」なんていわれてしまった。
そりゃ、そうだわさ。この年からはじめて、極みに達するだなんて無理な話だ。下手すると年がら年中包帯を巻いていなければならないことになりそうだ。
それでも、夢だけは捨てないほうがいいと思う。いや、いっぱい持っているべきだと思うのだ。それが原動力となっていくだろう。
ぼくの友人に「永遠の青年」と称しているおじさんがいるが、実態はさておき、この心がけは立派なことだと心底思う。もちろん、ぼく自身はとても恥ずかしくてそんなことは言えないけどね。
僕の友人でもあるけどね、身体つきは、僕より若そうだ。
夢には、実現可能なものと、果かない見果てぬ”夢”の二種類あるし・・・。
彼は僕たち共通の友人である訳だけど、「称している、、」と云うより、<人呼んで、「永遠の青年」>が状況認識としては正しいでしょう。
実際、僕自身、彼との付き合いはン十年になるけど、本人自ら「永遠の青年」と口にしたのは聞いたことはありません。
しかし、同じ歳でありながら、あの若さ。
いや、羨ましい。。。
「永遠の青年」そのことばは、憧憬と無限の優しさを感じさせつつ、人の口から唱えられる・・・。
っていうことは、それが誰かなんてどうでもいいことなんだね。