大連の魯迅路沿い、旧満鉄協和会館の斜め向かいにこんな一戸建ての老建築が残っています。
ポツンと一軒家風でとても目立っているので、大連で暮らしたことのある人ならおなじみだと思います。
この建物が何だったのか分からなかったので、駐在中にはこの日記でご紹介していなかったのですが、今年大連を訪問したときに立ち寄ってみたところ、壁にこんなプレートが掛けられていました。
当時はなかったものです。
行政から大連市歴史建築という建築物の指定を受けたようです。
「満鉄憲兵隊第一任隊長住宅」と紹介されています。
1920年代の建築であると。その下には、元々は日本軍憲兵分隊軍官だったとも記されています。
本当でしょうか。
たしかに関東軍の憲兵隊はこの北側にありましたが、満鉄憲兵隊とは首をかしげます。
満鉄の中に軍事警察があったのでしょうか。あるいは、当時この一帯は満鉄関連の施設が集中していたので、地名として「満鉄」という文字を使ったのでしょうか。
ネットを探すと、関東軍陸軍倉庫官舎だったと説明している文献もあります。
真偽のほどはわかりませんが、いずれにしても行政が建物を保護する意思を示しているのは望ましいことです。
魯迅路を挟んで斜め向かいは旧満鉄協和会館です。
建物は今も残っています。
ポツンと一軒家風でとても目立っているので、大連で暮らしたことのある人ならおなじみだと思います。
この建物が何だったのか分からなかったので、駐在中にはこの日記でご紹介していなかったのですが、今年大連を訪問したときに立ち寄ってみたところ、壁にこんなプレートが掛けられていました。
当時はなかったものです。
行政から大連市歴史建築という建築物の指定を受けたようです。
「満鉄憲兵隊第一任隊長住宅」と紹介されています。
1920年代の建築であると。その下には、元々は日本軍憲兵分隊軍官だったとも記されています。
本当でしょうか。
たしかに関東軍の憲兵隊はこの北側にありましたが、満鉄憲兵隊とは首をかしげます。
満鉄の中に軍事警察があったのでしょうか。あるいは、当時この一帯は満鉄関連の施設が集中していたので、地名として「満鉄」という文字を使ったのでしょうか。
ネットを探すと、関東軍陸軍倉庫官舎だったと説明している文献もあります。
真偽のほどはわかりませんが、いずれにしても行政が建物を保護する意思を示しているのは望ましいことです。
魯迅路を挟んで斜め向かいは旧満鉄協和会館です。
建物は今も残っています。